山松ゆうきち の小屋

インド日記 1 
<2月14,15日>

インド日記2
 <2月16日>

インド日記 3<2月17日>

インド日記 4
 <2月18日>

インド日記 5 <2月19日>


自己紹介

インド、コルカタで漫画教室

宇宙人はいない

ある高名な大先生

ヴァナラシの戦い 

ロクロウと言う名のインド人 1
ロクロウと言う名のインド人2
ロクロウと言う名のインド人3
ロクロウと言う名のインド人 4

インド日記 6

  2月20日

          2012、2、20 〜

2月20日

ホテルの朝食は、毎日大体同じだ。
コーヒー、マンゴー、トマト、じゃが芋、それにダール(豆スープ)とトーストに少々のご飯。

午後6時にどっかの本屋に行くから、5時から用意して待っていてくれと言われていた。
朝から日記の書き足し、これが中々に手間で午後3時までかかる。
やっぱり手帳が気になり、デリーハートまで取りに行く事にした。

建物の回りは閑散とし、人は居なくトイレには何も無かった。
狭い通路の柵の向こう側に、男が三人寝ていたので声をかける。
「マエン、イエ、トイレ、チョーター、ノート、ブールナー(私は、この、トイレに、小さい、ノート、忘れた)?」
眠そうに上体を起こし、いかにも面倒くさそうに、トイレ横の道沿いに立っている男に聞けと指差す。
道沿いに立つ男は、トイレを見張って金を取るわけではなく、
デリーハート会場周辺の警備をしているようで、十数人が二、三人ずつ組になって散らばっている。
警備員は俺の話を聞き、会場の入口で聞けと指差す。
入口に立つ男は、話の途中でうるさそうにチケットを買って中に入れと指差す。
中へは昨日までカードを貰っていてタダで入れたが、中の人が、道を隔てた向こうの出来事に関心があるとは思えない。
“これはダメだな”
あきらめて、オートでパハールガンジのメインバザールへ向かった。

予定は、明日の21日朝にデリーからムンバイへ行き、
22日の夕方、ムンバイからコルカタへ向かい、28日にコルカタからデリーに戻って、中国回りで羽田に帰国する事になっている。
実は23日にデリーから帰国の予定だったが、ラノジットさんマノジットさんにインドへ行くと連絡したら、
コルカタまで来て、漫画教室をやってくれないかと頼まれ、1週間の予定が2週間になった。
日本のラノジット(弟)さんと、コルカタのマノジット(兄)さんから、ムンバイからコルカタまでの飛行機チケットをプリントするように、毎日メールが入っているが、ムンバイからコルカタ、コルカタからデリー、デリーから羽田のチケットのコピーはすでにプリントして持っている。
持ってはいるが、無くした場合の予備にもう一枚ずつプリントした。
(デリーからムンバイまでのチケットは、何故か指示が無く貰ってない)

昼飯を食べてなくて腹が減っていた。
二階の階段の壁にオムレツ20ルピーと書いてある。
「イエ、キャー、カへナー(これは、何と、言う)?」
壁に張られた紙を指して問う。
「イエ、オムレツ、ビースルピー(これは、オムレツ、20ルピー)」
オムレツであることを確かめて、それを注文した。
カフェの若い店員は、携帯をかけ、ネットを見、お客か知人かオーナーか解からないが、長〜いお話が終わらない。
オムレツは、よその店から持って来るのかとも思った。
「メーン、ブーク、ナヒーン、カブ オムレツ カハーン、アーヤー (私は、腹が、減っている、いつ オムレツ、何処から、来る)」
「アブ(今)」
「アープ、メイク(あなたが、料理)」
「メーン、ティーク(わたしが、作る)」
若者は全ての用事が終わってから、階段の踊り場で小さな鉄鍋を出して調理を始めた。
待つことしばし、卵2個を鉄板で焼いて平たく伸ばし、伸ばした卵焼きで四角いパン二切れを包んで出来上がり。
パンに玉子焼き2個を挟んだサンドイッチは、デリーの屋台や店でよく売っている。
「えっ、イエ、オムレツ?、サンドイッチ、セーム(これが、オムレツ?、サンドイッチと、同じ)?」
「ノー、ノー、イエ、オムレツ」
まあ値段も同じだし、いいけどね。
ナマク(塩)を貰ってかけて食す。
それほど美味くは無いが、食べれなくも無い。
4時半外に出、オートを拾い、5時15分33ホテル到着。

6時55分、タクシーが迎えに来て、どっかのプスタクドカーン(本屋)に向かうが、道に迷いうろつく。
同じく徒歩でうろついていたサリタさんに会い、タクシーを降りて、本屋を捜すサリタさんに着いて行く。

本屋には25人ほどの人が居ただろうか。
超満員で入口から入れない。
サインを頼まれ、ラケーシュ、ラクシュミー夫妻の前を通り、最奥の椅子の上を使った。
あの通訳が、びっしりと質問の書いてある紙を2枚持って来て、
「×○▼△に載せるので答えて下さい」
と言われる。
「インドへ来て、漫画を描くためにどんな研究をしましたか」
「研究、、、解からない事を調べる事はあるけれど、何に対しての研究ですか」
「漫画を描きますね、色々研究しますね、その研究です」
「う〜〜ん」
研究と言うのは、何年もかけて調べ追求すると言う事だろうか。
「漫画を描くのに研究はしません。あったこと、考えた事を描くだけです」
「研究しませんか、どうしてですか」
「う〜〜〜ん」
解かるような、解からないような、どう答えれば良いのか、答えにくい質問が多く、昨日のステージと同じようにとまどう。
この人の日本語とはどうも波長が合わず、前に進まない。
3つほど答えた所でラケーシュさんに呼ばれ、みんなの前でのインタビューになるが、
インタビァーは同じ通訳で他に居ない。

デリーハートのコミックコンの側で、折り紙風の独特のアートを出品していた枝村(えむら)さんが来ていたので、事情を話し、二人で協力して通訳をやってもらえないかと頼む。
インド人通訳は、それを嫌がらなかった。
「じゃ、僕もそれほど確かじゃないけど、一緒にやってみましょうか」
と言う事で、インドで本を出そうと思った事等の質問を受ける。
「コノニュースノ会社ノペーパー、デリーデ一番沢山出テイマスネ」
「そうですか、ありがとうございます」
「コノ新聞ハ、インドデモ一番デス」
インドは大きい。新聞社も二十以上もあるように記憶している。
そのうち10社ぐらいは、インドで一番と言うような気もする。
『血だるま剣法』については、平田弘史さんの代表作で面白いから、インドで売れると思ったと言うが、
もう何度か同じ質問は繰り返しされている。
一通り終わると、別のインタビューが始まるが、待っている人が6人も7人も居て中々終わらない。
9時を過ぎて、店は終わりで閉まると言われ、外へ出て暗い所でのインタビューは10時過ぎまで続いたのでした。
何故にこんなにインタビューが多いのだ。
実際人が変われど、質問の半分は繰り返しでえらく疲れた。
明日のムンバイにはどうやって行くのか、ラケーシュにさんに聞くと、自分の泊まっているホテルへ連れて行かれる。
奥さんのラクシュミーさん、サリタさんと、それに枝村さんが来てくれた。


サリタさんは、27日にコルカタに行くので、その時又会いましょうと言う。
「漫画ワークショップ、アーヤー(来る)?」
「イエー」
枝村さんに、
「サリタさんはマメですね、コルカタまで漫画教室を見に来てくれるそうですよ」
「サリタさんがコルカタへ行くのは本の販売ですよ。見たことありませんか、○×▽ってインドには何処にもある、かなり大きな本屋ですよ。今まで漫画は出してないみたいですから初めての試みじゃないですか」
「本屋さんが出版社もやっているんですか、手広くやってますね。サリタさんと、ラケーシュさんと奥さんの3人でマドラスから来たんだ。一人でも充分なようにも思いませんか」
「彼女とラケーシュさんは会社が違いますよ」
「えっ、違うの。同じ出版社と本屋じゃないんですか、どうして?」
「どんな関係なんでしょうね。そのへんの事情は解かりませんが、多分協力か提携してやっていると言う事じゃないですか」
「ああ、別々の会社なんだ」
イギリスやアメリカで、出版されたと思われる英語本が多数、デリーの店頭に並んでいる。
「インドの出版社も英語本を出していますが、文字や紙がどことなく粗末なんだよね。大袈裟に言えば、インドに英語の出版社は要らないんじゃないですか」
「そんな事もあって、本格的に英語の本を出そうと思っているんですよ。今急速に本市場が伸びていますよ」
自国の本が売れれば、自前で外国物を翻訳して出版できる。
「山松さんの本はその試みの一歩なんですよ」
う〜〜ん、第一歩か。何となく嬉しい言葉だ。
多分、損得に関係なく、サリタさんの本屋さんは、取材してくれるようにアチコチの出版社や新聞社に連絡を入れたのだろう。
奥さんのラクシュミーさんに、ラケーシュさんとどちらがオーナーか聞くと、本の印刷、製本の権利は半分づつだと言う。

それにしても長い事待たされたので、今から飛行機のチケットを取る手続きをしているのかとも思った。
これは飛行機は無理でバスかとも思ったが、ほどなく飛行機のチケットのコピーをくれた。
「どうして今まで渡してくれなかったのでしょう?」
「どうしてでしょうね」
皆にコーヒーが配られ、ラクシュミーさんからプレゼントをもらう。
ラケーシュさんは、パソコンに向かい携帯をかけ、中々サヨナラと言わないでまだ何かやっている。
「チケットを貰ったら、もう用は無いんじゃないですか。えらく待たせますが、まだ何かあるのでしょうか?」
枝村さんに言うと、
「明日の空港へはどうやって行くのか、手はずを整えているんじゃないですか」
「空港へは一人で大丈夫ですよ」
「いやあ、新しくなって、初めては解からないですよ、自分も行った時疲れちゃいましたましたからねえ。一人で行くと言うのは最後に取っといたらどうです」
結局、タクシーの運転手が空港のゲートまで送って行くと伝えられ、皆とはここで解散し、タクシーでホテルまで送ってもらう。
ホテルに帰ったのは、12時に近かった。

<以下、21日に続く>