山松ゆうきち の小屋


目次

自己紹介

ロクロウと言う名のインド人 1

ロクロウと言う名のインド人2

ロクロウと言う名のインド人3

ロクロウと言う名のインド人 4

横着者

病院

ある高名な大先生


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なんでも掲示板

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インド、コルカタで漫画教室


日印文化交流。
インドの招待で、NHKインターナショナルの伊藤さんとコルカタ(カルカッタ)に行き、一週間の予定で漫画教室をやって来ました。

ロボット博士で、日本語がペラペラに堪能なラノジットさん。
伊藤さんとの打ち合わせは三回。
主催を実行するのは、ラノジットさんの弟で、コルカタで漫画を出版している、マノジットさんと言う事でした。

7日間のワークショップで、生徒にマックス4ページの漫画を仕上げ、それをまとめて本にしたいとの事、
「描き方を教えて、作品を仕上げるんですか。出来るのかな。」

漫画の歴史をかいつまんで話して、
1コマ漫画を描くのは難しいが、基本ですから、
1コマから、2コマ、4コマを紹介して行き、描き方に入っていくのはどうですかと問う。

ラノジットさんから、日本漫画の特徴である、大きなコマ、小さなコマ、縦長横長のコマ、余白やコマからはみ出した、絵の配置や描き方を指導してほしいとの要望。
「4ページのものを、8ページとか16ページにするなら、風邪が吹いて、木がゆれ、葉が落ちる様子を、大小にコマを取って、いくらでも変化をつけて詳しく描けますが、4ページでは難しい。
強調は必要ですから、教えろと言えば教えますけど、問題は何をしっかり描くかであって、コマを横長に入れたり大きくすれば、大袈裟になり読みやすくはなりますが、その分中身が薄くなります。
それに、絵の描き方は大体決まっているが、10人がコマを割れば、10通りのコマ割りが出来ます。
作者がコマ組みをする、構成のテクニックまで、細かく指導するのは行き過ぎではないか、日本の漫画を見せるくらいで、良いのではないかと言って納得してもらう。

「血だるま剣法、などと言う差別を扱った漫画を出すような人を、インドへ行かせるのは問題ではないか。なんて馬鹿な事を文部省が言うんですよ。インド側も、何故そんな人を招待させるのかと言い出したんですよ。」
「えっ、今頃言うのですか。そんなのまで見ているの。」
「見てますよ。みんな知ってます。それで、日本には差別は無いと言う事になっている訳ですよ。インドも差別は無くなったと言う建前になっているんですよ。この問題はなんら問題ではないと言う結論になったのですよ。」
「あははは。」
3回目の打ち合わせの時、伊藤さんから、意外な面白い話を教えて頂いたのでした。

「大変安くて申し訳ないのですが。」
「初めての漫画教室ですから大変名誉に思っています。ありがとうございます。」
指導料と言うのか、講師代と言うのでしょうか、5万円と,、空港までの往復交通費1万円を前もって頂く。

気になる事が二つあった。
5年前、インドの首都デリーのウエストパテルナガルで、マンガカクシャー(漫画教室)のポスターを貼り、生徒を募集したが一人も来なかった。
「コルカタのような古い町で、はたして生徒は集まるのですか?。」
心配になり訊ねたのです。
「大丈夫です、応募は60人居ましたが、教室に入れないので40人にしました。」
ラノジットさんは、信じがたい事を言った。
「え〜。60人も応募があったの?。じゃ40人にしないで、60人全部入れて下さい。40人が最後まで続くとは思えません。」
「机が足りなくて教室に入れない。」
「立って聞いているだけでもいいしゃないですか。最後に1人も来なくなったら寂しいですよ。」
不安は消えず、そうお願いしたのでした。

もう一つは、俺が人前で喋った事が無いと言う事です。
もちろん教えた事もありません。
知人の高名な大先生は、(高名と言うのは、高と言う名の先生です。仮に高信太郎大先生とでもお呼びしましょうか。)
高大先生は講演慣れしているので、何かセオリーか秘訣はありますかとお聞きしたのですが、
「面白い事を言って笑わせりゃいいんだよ。俺の教えている、大学での漫画の授業は受けているよ。」
ノウハウなるものは何も無いようでした。
   (ホームページの容量がイッパイなので、写真を抜きました)

5月22日

いつも、朝の4時か5時頃に寝るが、この日は1時半に就寝、4時半に起床。
俺の住んでいる西多摩から、成田までは3時間ぐらいかかる。
伊藤さんと成田で落ち合い、寝不足で午前10時出発。
途中、タイの避暑地ブウケットに着陸、2時間待って、バンコクに戻り4時間45分待機。
カルカッタに着いたのは、23日の夜中の午前1時半。
漫画ワークショップの主催者、ラノジット、マノジットさん兄弟が空港に待機していて、ホテルまで運んでくれました。
時差の3時間半を加えると、丸一日かかったことになる。
車や電車や飛行機に乗って眠れる事は無く、乗り継ぎの待ち時間も長くて、けっこうきつかった。
(容量がイッパイなので写真を抜きました)
 
          
 一泊1万円以上もする         
 高級ホテル。            

5月23日

ジャドブプール大学の、図書室のとなりの部屋を使うことになっていて、ドアには、インド人の描いた漫画が何枚か貼ってあった。
部屋の両サイドのテーブルには、日本の漫画が展示され、奥には、同時に開かれる折り紙教室の、紙で折られた人形が飾られていました。
漫画は紙の片面に描く事を、聞くだけでも良いと思うので、全員を教室に入れてほしいと頼んでいたのですが、結局、机が入らないという理由で、40名になったようです。

23日はセレモニーだけの予定で、漫画教室は明日からだと聞く。
撮影のカメラが何台か入り、ラノジットさんが側に来て、それぞれの挨拶を翻訳してくれました。
「山松です、よろしくお願いします。ここはコルカタなのに、何故に皆さんは英語で挨拶するのでしょうか?。」
ラノジットさんが、ベンガル語のわからない人を問うと、1人が手を上げる。
「色々な所から来て、ベンガル語の解からない人がいます。」
う〜ん。
普段の会話はベンガル語だと言い、挨拶は英語ですか。
「すみません。余計な事を聞いてしまいました。」

1週間は少ない。
セレモニーが終わり次第、教室を開きたいと申し出たのですが、机を出して並べなければいけないと言われる。

初めてインドに出回ったブルーフィルムと言うのか、裏DVDに出演した女性を追いかけたドキュメンタリーと、日本の少女漫画、同人誌のドキュメンタリーを撮った、バラット監督が、日本漫画ついての現状を、始めに話す事になっていた。
明日話す予定だった話を、今から話してくれないかと相談。

監督の話の間に、急いでサンプルのコピーを取りに行き、
監督の話が終わるのを待って、コピーを配る。
見本の漫画を見せて、歴史をかいつまんで話す。

鳥羽僧上の、鳥獣戯画。

山川惣治の、絵物語は今読んでも面白いが、漫画の登場と共に消えていった。
        この頃に少年少女の読み物として、江戸川乱歩の怪人二十面相等、有名な作         品が描かれた。
     
杉浦茂の、 城が歩き、喋るナンセンス。

平田弘史は、人間を真っ二つに切り裂く。今もハリウッドで時々にこの手法を使う。
        又、この頃から擬音が大きくなった事。

あすなひろしが、斜線を掛け合わせてのグラデーションを使う。

宮谷一彦が、スクリントーンを何枚も張り合わせて、写真のような絵を描くようになった。

谷岡ヤスジは、絵は極めてシンプルだが、中身はリアルである。

絵と文があれば漫画だが、文の無い漫画や、絵のほとんど無い漫画もある等々。

1コマ漫画
後ろ手に縛られた男が、死刑台の首に巻かれた縄が切れて遁走。見張っていた大勢の兵士に銃で狙われている。
題名は、「逃げると撃つぞ。」

酒ビンを持った男が、千鳥足で歩いているが、道路を横切った所だけ真っ直ぐ歩いて、道路を越した所から、また千鳥足になる。
題名は, 「酔っ払い。」
割りと反応良く笑ってくれた。

2コマ漫画を見せる。
4コマを見せ、起承転結を説明して、書かれている文字を読む。
1ページ、2ページ、4ページ、8ページと、日本漫画はページが増えていったと解説しました。

伊藤さんに、
「大変解りやすい説明だった。」
と意外な事を言われ、
人前で初めて喋ったにしては,良かったのかなと思いホットする。

それにしても、ラノジットさんは、俺の日本語の翻訳をしながら、スクリーンに漫画や写真を写し、会場の段取り、外からの来た人への対応と、一人で切り盛りして大忙しだ。

          

  ジャドブプールカレッジの校門     何故か校舎の塀沿いに、住所の無い家が長屋のように並んでいる。
                                                                   
        
  
   校舎入口                 教室入口

        
   授業開始                         食堂のおばちゃん

24日

1時から4時までの3時間が、漫画教室に割り当てられた時間で、
前のテーブルには、墨、ペン、ペン軸、紙など、日本で買っってもらった一通りの道具が置かれ、椅子席から、机に並べ変えられて教室らしくなっていました。
昨日は何人来ていたのか分らないけど、案の定、参加者は30名ほどに減っていたのです。
1週間は短かくて長い、明日は20名、あさっては10名と減っていきそうで、最後まで持つか不安になる。

原稿用紙の作り方。
絵は紙の片面だけに描くと説明。
1枚づつ渡した紙の半分に、正面からの顔を、鉛筆で描いてもらう。
目から描こうが鼻から描こうが、好みで描いて良いが、通常は卵形の輪郭を取って、真ん中の目と耳からデッサンすると説明する。
残りの半分を4等分して、同じ顔を4分の1に縮小して描いてもらう。
更に残りの4分の3に、悲しい顔、笑い顔、怒った顔を描いてもらってから、描き方を説明。
3時間は、あっと言う間に終わる。
急いで、上向きの顔、下向き、横向き、男と女の全身の入れ方、バック(背景)の入れ方等を説明する。

同時に開かれた、折り紙教室は、6時から〜8時までで、参加者は初日が20名、2日目も20名。

                                             

漫画の描き方説明 通訳はラノジットさん                  

 
                                             

  顔を描いてもらう

25日

12時40分。
予想どおり、5人ほどしか生徒が来ていない。
早く来て待っている生徒に、原稿に油や汚れがつかないように、手の下には別の紙をしくように支持して、
斜線でアミの描き方、掛け合わせてグラデーションの描き方を説明し、トレーニングと言って描いてもらう。
1時過ぎると、30名ほどがそろい、昨日鉛筆で描いた顔に、墨を付けてペンを入れてもらう。手は動かさず、原稿を回しながら線を引くほうが、効率が良いと支持する。
生徒は、15歳から20歳前後くらいが大半で、8歳、10歳が一人ずつ、60歳も一人居ました。
消しゴムをかけて仕上げると、もう4時になり、仕上がっていない人は、折り紙の始まる6時まで続ける事にОKをもらう。
30人居て、一人も墨をこぼさなかったのには、内心ビックリ。

絵が仕上がり、描き方が解かったところで、
「描くものに制限はありません。コマ割りも自由で、好きなもの、描きたいものを、別の紙にコマを割って、マックス4ページの、ネームを入れて来て下さい。」
一通り説明すれば、明日からは暇になる。
生徒と同じように、自分も漫画を描いた方が、見本が出来て良いと思い、落語の金魚をもじった3ページのネームを作る。

  金魚  <ゴールドフイッシュ>
       (ベンガル語で金魚の言葉は無い)

 インド人風の男が、最初の日に1分、次の日に2分と、金魚鉢から金魚を出して慣らさせる。
 10分、20分、1時間、2時間出しても平気になり、
 「らららら、らんらん。」
 男と金魚は、ダンスを楽しんだり、一緒に寝るようになり、
 もう金魚鉢に戻さなくても平気になった。
 尾びれで歩き、散歩も一緒にするようになるが、雨が降って来て雨宿りする。
 雨は上がり、帰り道。
 金魚は、スベって転び、水溜りに落ちておぼれて死ぬ。

夜は、領事館の招待で、
「安部総理や、xxxxxや、○○○○さん等が食事をした」
と領事のおっしゃる、高級そうなホテルへ、半ズボンから長ズボンに履き替えて行く。
「みんな一生懸命に描いているので、感動しました。」
副領事の女性に言われて、
「え?。インド人は飽きっぽいと思っていたんですけど、ああ、そうでしたか。そんなに熱心にやってましたか、気がつきませんでした。」

酒が飲めないので、俺だけコーラ。
多分最上級のホテルで、最上級の料理が出されているのでしょう。
大変美味しゅうございました。
ですが、好みもあるでしょうが、コルカタで一番美味しかったのは、カレッジで昼食に出された羊のスープです。

一度だけ、急いでバザールに買い物に行った時、露天で羊のスープとチャパティー(14ルピー)を食べましたが、この時のスープも、ほんのりと辛味が入った同じような味付けで、大変美味しかった。
(1年半前のデリーでは、10本入りの一番安いタバコ、シャツ、パンツは10ルピーだったが、コルカタは全て20ルピーだった。バナナは5本で10ルピーが、コルカタは黄色いバナナは4本、青いのが3本で10ルピー、大きさは関係ない。。食事はデリーより安いが、物価はコルカタが高いのではないかと聞くと、デリーはもっと高くなっているはずですと言われる。<1ルピー、2〜3円。円高になると2円を割り、円安になると3円を越す。>)

土地柄もあるのでしょうが、北のデリーは肉や魚を好まない。
昆布等で出汁は取らないで、香辛料と唐辛子を大量に入れた、野菜穀物の料理が主で、俺にはすこぶる不味い。
最初のデリー訪問で、16キロ痩せて日本へ帰った。
次が10キロ痩せた。
コーヒーにまで、大量に香辛料が入っていた事があり吐き出した。
「俺はコーヒーを頼んだんですけど、これはキャー(何)?。」

小さい頃からの食習慣で、美味いか不味いかが決まるようにも思うが、デリーの食事は不味い。
それが、コルカタでは何を食べても口に合い、残さず食ってしまう。

泊まっているホテルに帰って、自作の下書きを入れ、顔を二つ描く。
    
                                        

  

4時から6時まで休憩で食事
ラノジットさん、バラットー監督、ゆうきち、マノジットさん

26日

教室の壁に、コマを割ったネーム用紙を3枚並べ、その下に、原稿用紙に移したコマ割りをサンプルとして貼る。
今日も早く来た生徒に、セルのサシを使って等間隔に線を引き、斜めに線を入れたもの、さらに3重に線を入れたものを並べて描き、線を重ねるとグラデーションがかかると説明する。
皆にもサシを使い線を引いてもらうが、横向き、あるいは下から、ペンを当てて描いている人がいるので、
「描き方に決まりはないが、サシを使う時は、ペンはサシの上に当てて描くほうがしっかりと描けます。」
と注意した。

原稿用紙を渡して、作ってきたネームを移してもらい、出来たら見せてくれるように伝える。
アクション物を描く人は、アメリカンコミックスの影響が強い。
コマ数が少なく、台詞やナレーションに、大量の文字を入れてストーリーを説明する。
したがって文字は小さく読みにくい。
「これは、私が見た感じを言うだけですから、描いたものを変えるか変えないかは、貴方が決めて下さい。」
ラノジットさんにベンガル語で、英語の解る人には伊藤さんにも、そのつど言ってもらい、
横からはみ出ても、上のコマにかかっても良いから、絵の邪魔にならないように、文字は2倍から4倍くらい大きく描き、強調する擬音文字は、更に大きく、デザインして入れたほうが見やすくなると指示する。

タイトルや名前を入れていない人がいたり、台詞とタイトルが同じ大きさで描いている人には、少し大きなコマを取り、大きな文字で描くのが一般的ですよ、と指導。
外枠の大きさが違う人には訂正させるが、文章の意味を聞き、よっぽどの事が無い限り、内容についてはそのままОk。
描き方は、ある程度教える事が出来るが、個人個人の描くものの中身は指導できない。
墨枠は、縦の線から引いて、横線を入れてから、人物バックを描くように言った。
今日は32名。これだけ居ると、次から次とネームを見たり、質問を受けたりで、暇が出来ると思って作った自作の漫画が描けない。

27日

ネームをチェックして鉛筆の下書き、終わった人にはペンを使って墨入れ。
空いた時間に、自作の下書き。
二列に並べて作った大きな机は、30名ぐらいが丁度良い人数に思えるが、消しゴムをかけると揺れて描きにくい。
やはり次から次と点検や質問が来るので、空き時間が無く、自作が全く描けない。

折り紙は20名程で、一列の机に固まってやっているから、
遅れている人は、もう一列の机を使って、8時まで作業しても良いかと聞き了解を取る。
15名程が残り、絵を描き続ける。

ホテルで、自作の下書きを続行する。

28日

少女の作品は、所々日本語で描かれていて、朝、目覚まし時計がうるさいので、ハンマーで壊して、安らかに眠ると言う作品だった。
時計の音を大きく沢山描けば、うるさい感じが出る。
女の子がハンマーを持つか、ハンマーを持つ手を入れると解りやすいと説明。
家を揺らしたいが、どう描けば良いかと聞かれ、外側に揺れた線を入れるか、二重に描くか、家を曲げるか、歪ませて描くか、もっと感じの出る描き方があれば、それを描くのが良いと言う。

日本語を教えていると言う先生の作品は、日本語で書かれていて、散歩に行って遊び帰るだけのお話。
ほんわかとしていて面白いが、タイトルと名前が無い。
下書きが入っていたので、1コマ目を断ち切りにして、枠線を伸ばしたらどうかと言う。
どう間違えたのか、1コマ目の枠線を消してしまっていた。
こっちの方が、タイトルを入れるにはそれらしくなった。

8歳の子供は、左サイドだけ一杯に描き、上下と右が余っている。
どうしてこうなるのか、見ただけで笑ってしまった。
左端が印刷されなくなり、右が空白になるが、それでも良いかと、ラノジットさんに通訳してもらう。

馬鹿に上手い人も何人かいる。
20歳くらいの女性は、シュールと言うのか、ありえない女の絵を描いていた。
デッサンもしっかりしているので、どこで習ったかを聞くと、デザインの学校に行っていたと言う。

文字を大きく描くように言ったせいか、少しだけ絵を描いて、大きな文字が並んだ作品もあった。
これは見ただけで可笑しくて笑ってしまい、
「アッチャー(良い)。」と誉めた。

恐竜を描いた男は、線の使い方も、デッサンも、すでに俺より上手いので、見本に皆に回して見てもらう。

大学で日本語を教えていると言う、インド人の先生を紹介されました。
よどみなく、町にいるおばさんのように気さくで、俺の日本語よりは確かな日本語を使っているように思い、3ページの翻訳を頼む。

副領事の女性が来て、後で挨拶しようと思っていたら、直ぐに帰ってしまっていた。
30日は選挙の日なので、危ないから外に出ないようにしてくれと、言いに来ただけらしい。
なんじゃい、それは。

不思議なコマ割りをした女性がいました。
何を描いているのかさっぱり解らない。
好きな女の子が犬に襲われ、スーパーヒーローになって助けたいと、男の子は変身を妄想する。
女の子は持っていた食べ物を落とし、犬はそれを食べ、男の子と女の子はラブラブになるといった話だと解ったが、犬は可愛いし、犬の食べているお菓子はいつ落としたのかも解らない。
かなりしつこく、解るように描いた方が良いと指導しました。
彼女に、描き直して付け足したいが、5ページになってしまうと問われ、予備の余った紙も、俺の持って行った紙もすでに無くなっていて、慌てて紙を捜し何とか間に合わせる。
これ、仕上がるのかな?。

ホテルへ帰るタクシーの中で、
「30日は外出禁止で、教室は休みだと言われていますが、このままでは、漫画が完成出来ない人が出てしまうので、俺が頑固で怒ると怖くて、仕方なく30日も教室を開いた事にしてくれませんか。」
「そうですか、わかりました。」
ラノジットさんからОKの返事をもらう。

     
  
  コマ割りとネームの下書きを点検                     ペン入れ

29日

「漫画は感性で描くものなのに、昨日は余計な指導をしてしまった。すみません。」
不思議なコマ割りをした女性が来ると謝った。
先の事は解からないが、もしかしたら、この意味不明の漫画を描く少女が、一番に大成するかも知れない。

膝にキャンバスを置いて、ペンを入れている男女が居た。
それでは細かい線が描けないのではないかと聞くと、机の高さが会わないので、立って描くしかないとの答え。
デッサンは取れているが、ペンの線は荒くぶっとい。

青年は、枠を書かないで、絵にペンを入れて持って来た。
「何故、枠線を墨で描かなかったのか。」
と聞くと、
「どうして枠から描かなければいけないのか。」
と聞き返す、
「先に絵を描くと、絵が枠線に届いていなかったり、枠からはみ出たりして、後で描き足したり、消したりしなくてはいけないので手間がかかります。」
と説明。

消しゴムをかけて鉛筆を消してから、細心の注意を払ってホワイトをかけるように言うが、
汚れや余計な線を消す、仕上げのホワイトは使い方が難しく、大事な線や枠まで消してしまったり、何度も消したり描いたりして、これ以上修正が無理そうな人には、代わって消して描いてあげる。
原稿の仕上がった人は、前のテーブルに提出して終わり。

30日もやると言っていたのに、
「今日の6時でフイニッシュ。」
出来なかった人は、31日までに仕上げて下さいと、ラノジットさんが勝手に変更。
何故明日はやらないのかと聞くと、
「日曜は、学校が閉まるから駄目と言われました。その代わりに、仕上がってない人は、あさっての月曜まで受付ます。」
との返事。

5時頃、テレビが生で入るから、描く真似をして下さいとお達しが出て待つが、中々に来ない。
大半の人が描き終わってから来るのではなく、何故に早くに来て、描いている最中の生を撮らないのかと質問する。

「アメリカンコミックスは殆んど消える。」
と、テレビのインタビューに答えたのですが、ラノジットさんは、
「それは、チョット言葉がきついので、影響を受けると言いました。」

夕べは夜を徹して、下描きをしペンを入れたのだろう。不思議なコマ割りの漫画も、シュールな絵を描いた漫画も、何とか仕上がりホットする。

副領事の女性もおいでになり、教室を貸してくれた偉〜い人達が、無事に終わった事を告げ、最後まで仕上げた29名(後で2名追加?)に、賞状を渡して終わった。
最悪1人も仕上がらないのではないかと思っていたので、
参加者の、ほとんど全員が描ききったのには驚きました。
面倒くさい作業を、やり切ってしまうとは思ってもいなかったのです。
学校の責任者?や、大学で日本語を教える先生や、知らない人が来て、
グッドだった、とても良いスクールだった、こんなに熱心に習う教室は、今まで無かったと言ってくれたが、果たしてどうだったのだろうか。

毎日様子を見に来てくれていた、ドキュメンタリーのバラットー監督とも、ここでお別れした。

帰りの車の中で、
「俺は、コルカタに来て、ホテルに泊まり、スクールへ行き、ホテルに帰り、スクールに行き、日本に帰る。行った所は、ホテルとスクールと、バザールに一回と、マノジットさんのオフィスに一回で、今日も、これからホテルで漫画を描き、明日はマノジットさんのオフィスで漫画を仕上げる。」
そう言うと大笑いになった。
少し大回りになるが、少しでもカルカッタを見て下さい、
「これがガンジス河です、橋を渡って戻ります。」
道路に並ぶ外灯ばかりが明るく、曇りなのだろうか、河や木や家は、空との区切りがかすかにあるだけで、黒くて何も見えない。
「気を使わないで下さい。観光に興味がある訳ではないのですから。」
そう言って、ホテルへ帰ってもらい、1ページ目のペンを入れて、2時半就寝。

  

   作品を前に並べてテレビ撮影の後、閉会を待つ

30日

七時起床。
シャワーを浴び、いつものように40分ほど、ラジオ体操とストレッチ。
漫画のペン入れ。
朝食を済ませ、ペン入れ。
(予備のペン先も少なく、俺の持っていたものも生徒に使わせたので、1本しかなかった。
生徒が使ったペン先2本を持って来たが、すでに先が太くなっていて、雨のシーンやバックが、とっても描きにくいのです。)

12時、ホテルのチェックアウト。
ラノジット、マノジットさんが迎えに来て、彼らのオフィスへ向かう。
漫画の製作、編集を兼ねた事務所は充分に広い。
中で一人、せっせと漫画を描く。
冷房が無いので、扇風機だけでは蒸し風呂のように熱く、肘から汗が絶え間なく落ち、ベタベタして非常に描きづらい。

外に出ていた、伊藤さんとラノジットさん兄弟が戻り、サンドイッチを買って来てもらう。
昨日までに充分に出来ると思っていたが、今日も中々仕上がらず、
襟に入れる模様を間違えたので、疲れもあり、これ以上あせって描けば間違いが多くなり、直しが増えると思い、金魚に貼ろうと思ったスクリントンは止め、漫画は9時半でストップした。
金魚が人間に抱きついている、”ひしっ”を、ヒンディー文字で描いたのですが、
「これはコルカタでは、トイレの事です。」
と言われて苦笑。
もう時間が無いので、書き直してくれるように頼む。

近くの店で焼きそばを食べ、12時近く空港へ到着。

31日

午前2時離陸。
忙しかったが、何とか無事に終わったように思う。

  

  のべ10日間、空港前でおわかれです。
    

インド、コルカタ(カルカッタ)での折紙漫画ワークショップの様子ははこちらから
              http://www.kriyetic-japan.com/indo-japan/ 
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