山松ゆうきち の小屋


インド日記 1 
<2月14,15日>

インド日記2
 <2月16日>

インド日記 3<2月17日>

インド日記 4
 <2月18日>

インド日記 6
<2月20日>



自己紹介

インド、コルカタで漫画教室

宇宙人はいない

ある高名な大先生

ヴァナラシの戦い 

ロクロウと言う名のインド人 1
ロクロウと言う名のインド人2
ロクロウと言う名のインド人3
ロクロウと言う名のインド人 4

インド日記 5


2月19日

4時半、オシッコに起き、それから眠れない。
日記を書き、朝食後、また日記を書く。

11時、オートでデリーハートに向かう。

コミックコンは今日で終わる。
メインエベントのクライマックス日かな。
午前の会場にまだ人は少ない。
今日は、ステージに立って何か喋るらしい。
俺がまともにスピーチ出来ると思っているのだろうか。
「キャー、カへナー(何を、喋るの)」
聞いても、ラケーシュさんは、大した事ではないとでも言うように、首を傾けて取り合わない。
『STUPID GUY Goes to India』(『インドへ馬鹿がやって来た』の英語本・以下略)の1束20冊とバラの7、8冊を見せて、
「ブスタクナヒーン(本が無い)」
と言う。
「あるじゃない、ティーク」
「カル(明日)◇☆◎※△○、ブスタク ドカーン(本屋)☆◇○▼△※、ジャーナー(行く)×◇▲☆◎
んん?
「明日は、何処かの本屋に行くから、この本は取って置かなくてはいけない」
と言っている様だ。
それで昨日の途中から、サインするなと言った意味が解かったが、
本が無くなれば、何処に置いているのか知らないけど、取りに行けばいいだけの事ではないのか。
「スリー、☆○△▲※◎★、ブスタク、サブ、ベーチュナー(3000部の本は全部、売れた)、マドラス、☆◆★◇△※▲◇☆★
ラケーシュさんは、そう言って手を出し握手を求めて来た。
『インド馬鹿』の英語本は、このイベントに向けて発売したのかと思っていたので、意外であり驚きだった。
いつの発売か解からないが、3000部は完売し、マドラスから急ぎ印刷して追加本を3000持って来る。
そう言っているように聞こえた。
二人して手を叩いて喜んだ。
凄い。
凄いが、どうも売れ行きが早すぎ、何となく妙だ。
トイレから戻って、紙に書いてもう一度確かめる。
<3000+3000=6000>
「イエ、ティーク(これで、OK)」
「ノー、ノー」
彼はインドの地図を書き、北にデリー、西にムンバイ、東にコルカタ、そして南にマドラスを書き、
<300+2700>
と書いて、2700冊は(ラケーシュさん夫婦の会社のある)マドラスにあり、
300冊のうち、100冊はムンバイ。100冊はコルカタに回したので、
デリーには100冊しか持って来れなかった。
「何?それ、なんでデリーに100冊なのよ、まだ印刷してないの」
遠いので、今日明日には持って来れないと言う。
これだものな。何で手を叩いて喜ばせるのよ。
喜んでガッカリ。
そうだよな、そんなには売れるわけが無い。
多分、印刷が300冊しか間に合わず、急遽、ムンバイ、コルカタ、デリーに100冊ずつ配ったのだろうが、
なんでイベントを行うデリーに300冊持って来ないのよ。
俺がインドに来た意味が無いじゃん。
ジャンジャン。

本は無くとも、昨日の呼び込みの口上でも言って、宣伝をしようと思うが書いた紙が無い。
ラケーシュさんは首を小さく振り、奥さんも知らないと言う。
サインミスをして横に置いていた本も、どこへ行ったのか解からない。
参ったなあ。何にもやる事が無い。

ステージの近くを通るといつも、バンドの音がドンチャンドンチャン騒がしい。
アナウンサーは何を訴えているのか、スクリーンに映されたコミックをボリューム一杯に紹介していた。
何と映っているのは、「辰巳ヨシヒロ」先生の絵ではありませんか。
スペインで発売されたコミック誌を、デリーに居た時見せてもらった事があり、
ヨーロッパやアメリカでも発売していると、辰巳先生本人から聞いた事があったから、
辰巳さん凄いやと思いながら、しばらく説明を聞いていたが、何を言っているのかさっぱり解からない。
ステージ横で、機材をいじっている3、4人ほどのスタッフらしき人に、
「マエン、タツミヨシヒロサント、ドースト(私は、辰巳ヨシヒロさんと、友達)」
そう言ってみたが、何の反応もなかった。

『血だるま剣法』を翻訳してくれた、高倉さんが来てくれた。
長身で精悍な雰囲気。
日本に居る時メールで、無償の通訳はいませんかと連絡したら、
誰も居なければ、のぞいてみますよと言われていた。
「通訳が居るんじゃ、僕はいらなかったですね」
「さっき、賢いは何ですかって聞かれたんですけど、何だか怪しいんですよ」
「でも通訳ですから」
そうですね、通訳ですものね。

昨日、ラケーシュさんは、『血だるま剣法』と『サイキールリクシャー』のヒンディー語版を1冊ずつ持って来ていたので、それを出してくれと頼むと、
「アージ、ナヒーン(今日は無い)」
折角高倉さんが来てくれているのに、何にも無いのでは様にならない。
「オートだと、往復30分か40分で来れますから、ホテルに戻って、俺が持っている本を取って来ます」
「山松さんはステージがあるから、ここに居ないと。動いちゃまずいでしょ」
高倉さんに言われて席に座り直す。

「このコミックをどう思うか」
青年は、自分の描いたコミック本を持って問うて来た。
「ストーリーは読めないので解からないが、すでに絵は俺より上手いし、俺よりも日本漫画風で良いと思う」
通訳は高倉さん。
自分はこれから日本へ行って、スクールに通い漫画を学ぼうと思っている、と言う。
「学校は知識と技術の宝庫ですが、教えられるのはあくまでも基礎です。それらを学んだからと言って売れると言う事はありません。日本に行って同じような仲間と競争するのは、進歩し力にもなるでしょうが、貴方はすでに基礎が出来ているのだから、インドに居ても知識や技術を学び応用する事は出来るでしょう」
漫画は絵描きや音楽家のような、どこで誰に学んだからと言うようなステータスはほとんど無い。
「貴方の選ぶ事ですが、これ以上に学ぶ事よりも、描きたい事を描ききる事が大事かと思います」
こういった話に正解は無いが、説教と言うか指導と言うのか、どうしても自分の考えが出てしまう。

ステージには、通訳と2人で上がるとばかり思って、
“私は16の時から漫画を描いています”
から始まり、
“本、テープ、マジック、うどんを作り失敗しました。日本ではこういう人を馬鹿と言います”
と言った文を作っていたが、
実際には、ラケーシュさんもステージに上がり、
流暢に喋るラケーシュさんの質問に答える、インタビュー形式だった。
劇画の説明を求められ、
「東京の大手出版社が出した、子供向きの漫画をストーリー漫画。
大阪の弱小出版社で、貸し本屋向きに書かれた青少年漫画を、劇画と言ったように思います。俺は大阪出身なので、劇画かも知れません」
と答える。
「インドの漫画についてはどう思いますか」
には、
「アクション漫画は多くあり言う事はありませんが、日本では幅広いジャンルの漫画が描かれていますから、多分これからインドの漫画もそうなると思います」
「インドは、何が良かったですか」
「え?何がって、何を指して言っているの」
「色々ありますね、何が良かったですか」
「う〜ん」
食べ物は総じて美味くないし、漫画は読めないし、映画は言葉が解からないから見ないし、
答えようの無い質問を通訳から言われ、困ってマゴマゴしていると、
客席の高倉さんが、声をかけ補助し助けてくれた。
先ほどのコミックを持ってきた青年だろうか。
『インドへ馬鹿がやって来た』の英語版、『STUPID GUY Goes to India』を客席からかざし、
「この本は、読むととっても面白く、感動しました。私を先生の弟子にしてくれませんか」
と言われる。
「日本では、もう私の漫画を必要としていません。仕事が無いのです。それに貴方のような人に教えられる事はほとんどありません」
そう言って納得してもらった。もらえたかな?

ステージから降りると、
「インド人(通訳)に意味が解かっていない所があり、チョット残念でしたね」
と高倉さんに言われる。
『血だるま剣法』の翻訳者として、高倉さんを紹介し、そのままステージで通訳してもらった方が自然だったと思うが、
終わってから思ってもしょうがない。
「日本から、わざわざ飛行機代やホテル代を出して、高い費用をかけて俺を呼んでペイ出来るんでしょうかね。それに、サインする本が無いなんてドジだと思いませんか」
「それほど売れるとは思っていなかったかも知れませんね。山松さんは気にしなくていいんじゃないですか」
高倉さんを出入り口まで送り、売り場に戻ると、
台の上にある『STUPID GUY Goes to India』を下に入れたり、また上に置いたりしている。
ラケーシュさんに、何をしているのか聞くと、
本は無いが、これを見本にインターネットで買ってくれと、言っていたのでした。

今日のインタビューは4件。
昨日も2件か3件インタビューされたが、携帯で写真と声を撮ってメモするので、
個人の取材なのか、新聞社や出版社の取材なのか良くわからなかった。
記者は取材が始まる前に、
『STUPID GUY Goes to India』の写った小さな新聞記事を見せてくれた。
「おお、さすが新聞、早い。でも、チョーター、マエン、バラー、パサント(小さい、私は、大きいのが、好き)」
と言って笑う。
カメラやビデオカメラで撮りながらのインタビューもあった。
その度に、ごった返す中を通ってカメラマンと記者と通訳と、誰も居ないステージ裏の静かな場所へ行く。
この会場は禁煙なのだが、ここでは何人かがタバコを吸っていて、俺も何本か吸わせてもらう。

インド人通訳に、
「本が売れて嬉しいですか」
と聞かれ、
「売れているの?」
「とてもよく売れていますよ」
う〜〜ん、通訳が本屋に精通しているとは思えないし、売る本は無いけど売れているのかなあ。
日本の本屋、タコシェ、で初めてサイン会なるものをやった時、
『インドへ馬鹿がやって来た』は30冊ほど売れサインした。
英語版は60から70冊ぐらいサインしただろうか。
日本よりは売れているようにも思うが、30とか、70冊くらいじゃ大した事のないようにも思う。
本が無ければ、居てもしょうがないので5時頃、通訳と共に終わらせてもらう。

「原宿はここと似ていますか」
入場口に向かう途中、通訳は唐突に聞いてきた。
「え?、、」
「原宿は若者の集まる所ですね。ここも若者が集まります」
原宿は通っただけで行った事は無いが、規模が違うんじゃないのかな。
ここは間口が、2〜5メートルくらいの店が並び、奥行き全長100メートルほどの小さな商店と言うか出店街。
コミックコンのテーブルは、屋台の店よりも小さく、ここがいかに混んだとしても比べるべくも無いように思う。

出入り口で、トイレはないかと聞くと、左手にまわりをセメントで覆った小屋が、ポツンと建っていて、
「あそこトイレと思います、多分お金取られます」
横には、小屋を見張るように男が立っている。
インド人通訳と分かれて、その建物の裏にまわると、立ちションと個室のドアがありまぎれも無くトイレだった。
教えてもらわなければ絶対にトイレだとは思わない。
またがって壷の中を覗くと、暗くて深い。
便器に手帳を落とすと、下まで流れて行ってしまうと思い、ズボンに入っていた手帳を取り出して側に置き、俺自身も落ちないように用心しながら、久しぶりにインド式に用を足した。
小屋を見張る男から、トイレ代の請求は無かった。

パハールガンジーのメインバザールで、オートのドライバーは、500ルピーの釣りが無いと言って崩しに行った。
前を、捨てられたペットボトルを集めている男が通った。
「マダン」
俺が呼ぶと、
「オー、ジャパン」
元サイキールリクシャー(自転車タクシー)マダンは、俺を覚えていて返事した。
「サイキール カハーン(自転車は 何処)?」
「サイキール チョール(自転車は 盗られた)」
前に会った時もそう言った。
そんな訳無いだろ。
マダンが盗るなら解かるが、マダンから盗る奴が居るのかよ。
デリーはまだ寒い。
汚れた上着の下はランニングシャツで、頭は変わらずボサボサだ。
「バホットサルディー、マエン、エークカッポラ、チャーヒエー(とても寒い、私は、1枚服が、欲しい)」
「ナヒーン(ダメ)」
気安く着衣を要求するが断った。
「チャーイ、チャーヒエー(お茶が、飲みたい)」
「ОK、ティーク」
オートの運転手から釣りを貰い、マダンと茶を飲みに行く。
「マエン、ファミリー、モバイル、◎※△○☆◆★」
マダンは茶を飲みながら、以前にあった事を思い出して言った。
『またまたインドへ馬鹿がやって来た』#3マダン家訪問 参照
マダンには、ここデリーに家があり家族が居る。
何故に別々に暮らしているのかは解からないが、
多分に一緒に暮らすことを拒否されているように思える。
「アッチャー、ファミリー(良い、家族)」
聞くと、
「ナヒーン(ダメ)◇○◆△※▲◇☆★◎★◇☆
と答え、
「アープ、ホテル、◎◆※△○☆○△▲※」
「イエス、33ホテル」
インド人と喋る時は、簡単な単語しか解からない。
それも、俺向きに発音してくれるインド人のみ。
同じ事を言っても、音色が変わると聞き取れなくなる。
多分、今、ホテルに泊まっているのかと聞いているのだろうと想像で喋る。
「デリー、ドウーディーン、ホーナー、バードメン、ムンバイ、コルカタ、ジャーナー(デリーに2日居て、次は、ムンバイ、コルカタへ行く)」
マダンは、こっちが何を言っているのか、解かっているようにうなずく。
2ルピーだったチャーイ(茶)は、33ホテル近くでは5ルピー。
ここメインバザールでは、7ルピーになっていた。
食事をしないかと聞くと、
「ウ〜ン、△○☆◆★◇○◆△※」
首を振り、腹は減っていないようだった。
「カハーン、ジャーナー(どこへ、行く)」
「ネットカフェ、ジャーナー」
マダンはこっちから行けと言うように手招きし、カフェまで先導してくれたが、
俺は昨日のカフェに行きたかった。
「イエ、カフェ、ナヒーン(この、カフェは、ダメ)」
いかにもみすぼらしく寒そうなマダンに、
「アープ、サスターシャツ、カリドナー、プレゼント(貴方に、安いシャツ、プレゼント)」
マダンは大通りに出て、俺も何度か買った事のある吊るしの店に行き、50ルピーのズボンを選んだ。
「シャツ、ナヒーン」
彼は上着の襟を掴み、頭をかきながら、
「カッポラ、チャーヒエー。シャンプー、チャーヒエー。▲◇☆★◎★、チャーヒエー(服、欲しい。シャンプー、欲しい。×××××、欲しい)」
おおお、マダンは小ずるく賢い。
小出しにあれやこれが欲しいと言う、あの時のマダンに戻ったようだ。
「ノー、ナヒーン」
苦笑いしながらズボン代50ルピーを払って、マダンと別れ昨日のカフェに行く。

9時ごろまでネットカフェで過ごし、
ホテルへ帰るべくオートを捜す途中だった。
後ろのポケットに手帳が無い事に気づく。
慌ててカフェに戻るが忘れ物は無し。
忘れるとしたら、デリーハートのトイレしかない。
夕方の5時だったから、もう大分時間が経つ。
コミコンは今日で終わった。
今から行っても門は閉まり、誰も居ないだろうと思い、33ホテルへ帰る。

やっぱり無くても確かめに行くべきだったろうか。
手帳には、去年1年分の警備の日程と出来事を書いていた。
それが消えた。
厚くて硬い手帳は、しゃがむとズボンのポケットからはみ出して落ちた事が日本で何度かあり、
インドに来ても水洗トイレに落とした事があった。
薄くて落ちにくいパスポートと一緒にポケットに入れていて、手帳だけ出して用を足すトイレの脇に置いた。
ホテルの名刺は、パスポートに挟んでいて助かった。
この名刺が無ければ、住所が解からずホテルにも帰れなかった。
まだ夕食は可能だと言うので、チキンスープとナンを食す。
シャツを洗濯し、12時近くに就寝。

<以下20日へ続く>