山松ゆうきち の小屋

インド日記 1 <2月14、15日>

インド日記2
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自己紹介

インド日記 3  

      2月17日

          2012、2、17 〜

7時起床。
シャワーを浴び、洗濯をして、パンツは椅子背もたれの木にかけ、シャツはクローゼットの衣紋掛けに通しドアノブに吊るして、階下に降りる。
ホテルで朝食。
9時、フロントからニーチェ(下)に来るように言われて行くと、
紙に数字を描いたり、パソコンで英語を日本語にして見せたりして、
一日4800ルピーの部屋代を請求されている事が解かる。
高け〜。
俺が払うのか。
一応確かめるために、ラケーシュさんの携帯番号を見せてかけてもらう。
「xxxxxxxxxxxxxxxx、xxxxxxxxxxxx」
携帯を渡される。
「もしもし、話が通じなくてお困りでしょうか」
何故か、女性の声で言われてビックリ。
「部屋代を請求されているのですが、ラケーシュさんが部屋代を払わないと言ったら、私が払いますと言って下さい」
「わかりました」
待つことしばし、再度携帯が鳴り、渡される。
「部屋代は、カンパニーが払う事になっていますので大丈夫です」
「会社が払う事になっている部屋代を、どうして俺に払えと言ったのでしょうか?」
「勘違いだそうです」
雰囲気で解かるのか、側でインド人がソーリーと謝る。

前にも同じような事があった。
一日300ルピーの安ホテルに泊まっていた時。
支配人サージャンさんには、出るときに一括して払うと約束していたが、
4日目ぐらいだったろうか、サージャンさんが休みの日。
台帳を見せて、ホテル代を払えと強行に迫られた。
「サージャン、カハーン、ボス、モバイル(サージャンは何処、ボスに携帯してくれ)」
と頑として受け付けなかった。
次の日、フロントのホテルマンはソーリーと謝ったが、何となく二重取りをする感じもあった。

次にそのホテルに行った時は、支配人だったサージャンさんは、自分で会社を作って居なかった。
3日目ぐらいだったろうか。
やはり同じホテルマンに、何故に3日も部屋代ためているのだ(そう聞こえた)、すぐに払えと言われた。
それから、毎日300ルピーずつ払っていたら、帳簿に付けるのが面倒になったのか、
「ノッ、ノッ、サブ、ティーク (ノー、全部でオーケイ)」
手で金を受け取らない仕草をして、ソッポを向いた。

一日500ルピーの部屋代が、5000ルピーと言われて怖くなり、払ったと言う話も聞いた事がある。
知らないと言う事は、いつも路頭に迷っているような恐怖を抱えている。
知識は必要だとは思うが、先入観が頭に残り、似たような事があると思い出してしまうから、対処が中途半端になる事も多々あって、知らなければきっぱりと断り対処できる場合もある。

10時に来ると言っていた、サリタさんがタクシーで来たのは11時40分。
サリタと言うから、日本人だと思い、日本語に出来る人を付けてくれたのだと、勝手に思っていたのですが、レッキとしたインド人の女性だった。
挨拶をするが、99,99%、混ぜ物の無い純金のように言葉が通じない。
行った先は、見覚えのあるデリーハート。
ここは、石川さんと何度か待ち合わせをした場所ではありませんか。
<中はお金持ちのショッピング街になっていて、入場料を払って入りますが高いですよ>
と説明され、興味が無いので、公園の先のゲートをくぐる事は一度も無かった。

入場料は30ルピー。
コミックコンのカードを貰い、首からぶら下げて無料でショッピング街に入ると、
民族品と言うのか、みやげ物屋と言うのか、絵やオモチャやバックや食べ物屋等の店がどっさりと並んでいる。
百メートルほど奥に、コミックコンの看板が立てかけてあり、そこから先は、各出版社ごとに、漫画の出店が左右にズラリ出ていて、真ん中にステージが設けられていた。
ステージの奥横の建物に入ると、両側は、各出版社ごと幅2〜3メートルほどに区切られテーブルが置かれていて、中ほどの一画にラケーシュさんが居た。
通路は狭く、テーブルには、ブラフト社出版の漫画本が10冊ほど置かれ、その中の1冊が、英語版の「インドへ馬鹿がやって来た」だった。
後ろにポスター、その下のダンボールに在庫本。
椅子には、ラケーシュさんの奥さんと俺が座るが、二人並ぶと一杯で動きにくい。
もしかして、1冊も売れなかったらどうしようと思うが、見込み違いは俺の責任では無いと思う事にする。
30分ほどして、1冊が売れほっとし、サインしている所の写真を取ってもらった。
30冊から40冊ぐらいサインしただろうか。
「サイン、ブスタク、バホット、トーラー、ベーチュナー(サイン本は少ししか売れなかった)」
奥さんに言ったら、
「アア、トーラー、ベーチュナー(そう、少しだけ売れた)」
と返事される。
8時近くになると、ぱったりと人が来なくなり、帰っても良いと言われるが閉店の9時まで居る。
明日からは、自分でオートを捕まえて来れるから、迎えに来なくて良いと告げ、
パハールガンジのメインバザールへ向かう。

メインバザールは、道幅が広くなり一変して、
いつも行くうなぎの寝床のような、狭いネットカフェは看板が外されてドアは閉まっていた。
前のジュース屋に、
「インターネット、ドカーン、バンド(インターネット閉店)」
と聞くと、
「ドカーン、カタム(店は終わり)」
と答えられる。
ここのターバンを巻いた店員と、もう一人の店員はとても親切だった。
スタービューホテルの地下にあった、ダイモンドさんが店長のネットカフェも閉まっている。
二階にあるホテルのロビーに上がり、支配人ロヒトさんを尋ねるが,
「ホーナーナヒーン、パターナヒーン(居ない、知らない)」
ネットカフェのダイモンドさんを聞くと、
「カタムホーナー(終わった)」
と言われ、トイレを借りる。
かって何度か使わせてもらった、オシッコの受け皿はようよう出来るほどに高くなっていた。
インド人を平均すれば、日本人より背は低いようにも思うし、子供も泊まるだろうに、何故にトイレをこんなに高くするのだろうか?
家に連れて行ってもらい、一緒に祭りに行ったピンドーのネットカフェも、
通りに面した二階に看板は出ているが、上がって見ると扉は閉まり閉店のままだった。

主要な店やホテルはそのまま残っているが、多くは改装していたり、店の名を変えて違う商売していたり、めまぐるしく変わっているようにも思える。
パラダイスホテルの隣のネットカフェへ行ってみると、インターネットの看板が出ていた。
このホテルの前には、いつも歳を取ったオーナーらしきお爺さんが立っていて、顔を覚えているのか声をかけてくれた。
「ナマステー、ネットカフェ、オープン」
「アア、オープン」
お爺さんはドアを開けてくれて一緒に中に入った。
電気が点いていない。
店員らしき若い男が入って来て、照明を一つだけ点けた。
「xxxxxxxxx、ホテルxxx」
多分、今何処に泊まっている、と言っているのだろう。
「ホテル、タッティースリー」
と言って持っている名刺を見せる。
「マエン、イエパラダイスホテル、ズヤーダー、アーヤー(私はこのパラダイスホテルに沢山来た)」
「アア、ズヤーダー、xxxxxxxx、xxxxxxxxx、xxxxxxxxxxx」
前の支配人だったサージャンさんは、今はカロールバーグに居ると言った話に花が咲く?
「サージャン、xxxxx、カロールバーグ、xxxxxxxx、xxxxxxxxx」
若者は近くに座っているだけで、10分たってもパソコンに電気が入らない。
「コンピューター、スイッチ、ナヒーン?」
「xxx、ナヒーン」
何なんだよ、これは。
ドカーン、オープン(店は開く)って言ったのは、店のドアは開くって事かよ。
爺さんは話し相手が欲しかっただけだったのかよ?

通りに面したカフェに入り、
「ジャパニーズ、アクシャル、チェンジ(日本文字に変えて)」
ヤフージャパンの日本文字を出してもらい、バンド、タイム(終わり)の時間を聞く。
「バーラーバジェ(11時)」
時計は10時20分。
未読メール28通。
ホームページ立ちションベンを作ってくれている、足立さんと家族にメールを送り、
同じ多摩川競艇で働く、小暮さんのブログを見ている途中で
「カタムホーナー(終わり)」
タイムアップになった。
12時過ぎ、ホテル33に帰りシャワーして寝る。

                                                          <以下18日へ続く>