山松ゆうきち の小屋

目次


ある高名な大先

生2 (奥さん

倒れる)


宇宙人はいない


ヴァナラシの戦い 
(ガンジスの牙)


自己紹介

ロクロウと言う名のインド人 1

ロクロウと言う名のインド人2

ロクロウと言う名のインド人 4

横着者

病院

ある高名な大先生

インド、コルカタで漫画教室

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中編ドラマ 連続四回

 ロクロウと言う名のインド人 3回目      

偉大なるガンジーと、ネールが指導者となり、イギリスから自治権を返してもらって建国されたインドは、自国で物を作り供給する政策に転換したのです。
民族の自主独立。
聞こえは良いのですが,有り体に言えば鎖国したのでした。
ヒンズー教や、イスラム教、仏教、シク教、ジャイナ教など雑多な宗教が入り混じった、白人、黄人、黒人の多民族を、強力な権利を持つマハラジャ(殿様)やバラモン(祭司)や地主は、議員になり市長になり、サリカーリー(公務員)と呼び名を変え、争いは力で抑える,経済に無能な軍事国になったのです。
バネの均一な硬度や伸縮、耐久性等、品質の優れた商品よりも、自国の物、自分の回りの者が優先する、コネとツテと賄賂の氾濫国になり、イギリス統治下時代の乗り物である、時代遅れの汽車が今も走っています。
我々の会社の製品がいかに優れているか説明しようとも、インドは昔ながらの粗悪なバネやネジで事は足りる。
バネの巻きが一つ少なくても、ネジの山が均一でなくても、燃費の悪い昔ながらの車が走り、紙は黒くカサカサで書きにくく破れやすい。白い紙は裏が透けて見え、あらゆるほとんどの製品が、改良される事なくそのまま使われています。
これを打破するために、政府は市場を開放して製品の競争をうながそうとはしているが、インドの誇る七千年の長い文化と伝統は、否、自主独立の基本政策は、日本やヨーロッパの投資を妨げ、気の遠くなるような交渉と忍耐の時間が必要で、多額では無いが、その都度通訳と相談して賄賂の金も渡すのでした。
ですから支店長には、会社から融通のきく金がまかされているのです。

柿本さんからは、病気が恐いからキスはするな。コンドームは二枚重ねて使用しろと言ってくれましたが、セックスをする気など毛頭にありませんでした。
クリシュナは、洗濯と掃除以外、何をやるにもおどおどしてじっと待つ、口数の少ない少女です。
バザールから買って来た食材を使い、料理を作ってもらうのですが、驚いた事に包丁もまな板も使わないで、刃渡り五、六センチのブリキの小刀を手に持って調理するのです。
それは、ダンタンおばさんが作る貧素な料理が、豪華な宮廷料理に見えるくらいに貧しい物で、一口食べると何とも嫌な味がしました。
彼女は料理を知らない、知ってはいるが、それは私の食べる料理と違うのです。
インドの野良犬や猫は解らないが、日本の野良犬や猫ならそっぽを向き、食べないのではないかと思われるような代物でした。
この娘は、毎日このような食べ物以下の物を食べているのかと驚き、冗談を通り越して腹が痛くなるほどに笑ってしまいました。
彼女を特訓しました。
特訓と言っても、私が作るのを見せて、手伝わせるだけですけどね。
会社から帰ると、やる事が無いので、遊びにも行かず部屋に居て、大人しく外を眺めています。
「ロクサン、オカエリナサイ」
ドアの前で、お迎えするように教えたのです。
文字が読めませんでしたから、私もヒンディー語の勉強がてらに、二人で読み書きの勉強をしました。
私は途中から嫌になって、やったりやらなかったりで、いい加減なものでしたが、クリシュナは意外にも粘り強く熱心に、暇をみてはコツコツと書き取りの練習を繰り返していたのでした。
毎日バスにつかり、頭のてっぺんからつま先まで、綺麗に洗うようにも教えました。
いかにも栄養不足で育ったような、骨が細く肩幅の狭いきゃしゃな身体は、どう見ても幼い少女です。
「ここが胸、これが乳首ね」
「ココ、ガムニ、コラゲチキビ二」
「なひーん、なひーん、胸」
「ムネ」
「乳首」
「チクビ」
「陰毛」
「インモウ」
「ちんぽ」
「、、、、チ、ンポ」
「ヒンディー、キャー、ナーム(インドは、何て言うの)?」
「、、ヌーニー(オチンチン)」
売春婦だったにもかかわらず、消え入りそうな声で恥ずかしそうに顔をそむけるので、それが可愛くて面白く、つい意地悪をして、卑猥な日本語を教えながら、シャボンをつけて、私のいきたった一物を握らせて洗わせ、しごかせたのでございます。
「金玉、もみもみして、ドーナー(洗って)」
何を言っても、やらせても、躊躇はするのですが、嫌がる事はありませんでしたから、段々と図に乗って過激になっていったのです。
少女は無毛で、私の勃起した大砲が、いたいけで小さな割れ目に入るのかと心配しましたが、大勢と犯ったのだから大丈夫だとも思い、慙愧懺悔の後ろめたさはあったものの、コンドームを三枚重ねて装着して挿入を試みました。
クリシュナは、むしろそれを待っていたかのように足を開き、以外にもスムースに事は運び終わったのでした。
「ダルトホーナー(痛い)?」
そう聞くと、やはり恥ずかしそうに首を振り、あらぬほうを見ました。
「モーター(大きい)?」
それも首を振りました。
「アッチャー(素敵)?」
クリシュナはうなずき、そっとしがみついてきたのです。
こんなに太い一物が、こんな小さな穴に入り、支障なく機能するものなのか驚きもしました。
一度やってしまえば、罪悪感は薄れていき、気が向けば毎日でも抱くようになったのでした。
日本から、三箱も持って行ったコンドームはすぐに無くなり、インドのコンドームを買って使ってみたのですが、台所のゴム手袋みたいで、それを二枚も三枚重ねて使う気になりません。
「カウテリアは、病院でエイズや梅毒、みんな調べてもらった」
柿本さんに教えてもらい、クリシュナを、ホースピタルへ行かせて調べてもらったのです。
それからは、キスもすれば、セックスも生でするようになり、子供が出来たら、下ろさせれば良いと膣に出したのでした。
少女は歓喜に喘ぐ事は無く、アクションの無いマグロでしたから、
インド語では気が乗らないので、日本語を教えて楽しんだのです。
「ち、ん、ぽ、ほ、し、い」
「チ、ン、ポ、ホ、シ、イ」
「あ〜ん、おまんこ、きもち、いい」
「アーン、オマンコ、キモチイ、イイ」
まるで、喋る人形と言うのか、賢いペットを飼って仕込んでいるようで、それなりに楽しく過ごせるいこいの一時になったのでした。

私の給料は十二万円ほどでしたが、出張手当ての六万円はルピーに替え、変換率によって多少違いますが、月にだいたい一万二千ルピーを越すほどでしょうか、そっちは本箱の引き出しに入れて使い、
彼女の財布には千ルピーずつ入れていましたが、いちいち渡すのが面倒になので、無くなったら自分で、引き出しの金を出して使うように鍵を渡したのです。
「ルピエー、ナヒーン(お金が無い)、バードメン、チャーヒエー(次も欲しい)」
クリシュナは、いつも財布の中をを見せて、私に鍵を渡し、自分で引き出しを開けようとはしませんでしたから、柿本さんのお金が無くなったのは、彼女では無いとあらためて思ったのでした。
部屋代や光熱費、使っている車は会社持ちですし、私は胃が弱いようで、支店長や柿本さんのようにそれほど酒も飲めません。
辛い物も苦手ですから、遊びに行ったり外食しても、毎月半分より多くは残ったので、その残りを彼女の取り分にしました。
「イエ、アープカ、パエサー(これは、貴方のお金)、ティーク(解った)」
意味が解らないのかけげんな顔をし、かすかに微笑んでうなずきましたが、いつまでも引き出しのお金を取らないので、両手に載せて握らせ、
「これは、アープカ、ヴエータン(貴方の給料)」
彼女は、しばらく呆然と立っていましたが、
「ナヒーン、バホット、ズヤーダー(駄目、とても多い)」
会社に買ってもらったこの召使に対して、申し訳ないとは思うが、決して高いとは思ってません。
どことなく後ろめたさがあったのです。

「どうだ、うまくいってるみたいだな、アッチの具合はいいのか」
「まあ、他の人を知らないので解りませんが、いいんじゃないでしょうか」
「おう、国際親善は成功か、そりゃ良かった。お前が意外にもロリータだとは知らなかったよ」
「自分でも驚きです」
「はははは、うまくいってんじゃ、一晩貸してくれとも言えんな」
「え、貸すんですか」
「お前達を見ていると、兄弟にも親子にも見える、相性がいいんだな」
「親子は酷いじゃないですか、そんなに歳は離れていませんよ」
「文句が多くて気の強い、カウテリアとはえらい違いだ」
日本語のうまくない方の通訳が、クリシュナを見て言ったのです。
「アノ女、ボシボシ、ティークナヒーン(セックス駄目)ネ」
「え!、貴方はクリシュナとセックスしたの。キャー、どうして駄目なの?」
「ワタシ、アノ人、十ルピーデ買ッタ。デモオマンコ小サイ、チンポ全部入ラナイ」
「えーっ、インド人のは、そんなに大きいの」
「ナヒーン、ビック、スモール、色々ネ、何処ノ国デモ同ジ。デモ私ノハチョットダケ大キイネ、アノ女、チョーター(小さい)」
売春が仕事だったのですから当然とはいえ、クリシュナが、辺りの男と犯りまくっていたのかと思うとげんなりし、インド人が私の男性器より、かなり大きそうだと想像してがっかりしました。

ディワーリーの祭りが近づき、親に会いに帰らないのは親不孝だと、お手伝いの女達に、クリシュナが怒られていました。
「ピーターマター(父母)、ガルニカト(家は近い)」
私が聞くと、
「アア、ニカト(近い)」
ダンタンは答え、
「ドール(遠い)」
とクリシュナは言いました。
カウテリアは、嘘をつくんじゃないよ、近いじゃないのと怒り、
「どうして帰らないの?」
と問うと、
「ナヒーン」
首を左右に振るばかりでした。
この三人は中が良いのか、悪いのか解らない。
最初は、年配のダンタンが威張っていて、あれこれ二人を指図して働かせていましたが、この頃は、彼女が掃除をしているようでした。
それを見て、クリシュナが箒を下さいと取りに行くのですが、
「ティーク、ティーク(大丈夫、大丈夫)、アープキ パエトナー(貴方は座って)」
と言い箒を放しません。
クリシュナは、私の部屋に住み込んでいて掃除をし、少しずつ料理もうまくなって、柿本さんや下田さんの食事も作るようになり、一緒の皿から分けるのを嫌がっていた、ダンタンもカウテリアも、皆でテーブルに座り食べるようになっていました。
クリシュナが料理を作るようになれば、他の部屋の掃除はダンタンとカウテリアになる。
カウテリアは気が強く、掃除を嫌がってしないが、柿本さんの女だから文句が言えません。
他人の家の掃除は下層の女の仕事だが、別のお手伝いを雇えば、もう柿本さんと私の部屋には女が居るので、ダンタンは用なしになる可能性が高いのです。
月に二百ルピーは、美味しいから手放したくない。そう思っているのか、背に腹は変えられず、身分の高いダンタンおばさんは、自分で箒を持って履き、雑巾がけをしているようでした。
日本から持って行った、人形の置物や時計や百円ライター等を、ダンタンが手にしてしげしげと眺めていると、クリシュナがいつまでも持つなと注意します。
持たなきゃ掃除出来ないでしょ、とダンタンは怒ります。
カーストは、ダンタンが高いので、偉いのは私よとふんぞり返って喋るのですが、いつの間にか立場が入れ替わり、何となくクリシュナやカウテリアのご機嫌を取っているようにも思えるのでした。

クリシュナは、チョーター(小さくて)、ガンター(汚い)、ミッティーガル(土の家)と言われる家に住んでいたと、ダンタンが言うので、インド人の家族の絆は大切で、クリシュナも親に会いたいだろうと思い、その村の地図を描いてもらいました。
祭りの日。
「カハ−ン、ジャーナーへー(どこへ行くの)」
「タラーイン、キラー」
私達は、タラーイン城へドライブして行きました。
千百九十二年、アフガ二スタン、ゴール朝のムハンマド将軍と、インド、チャウハーン朝のプリトゥヴイラージ三世がここで戦い。
ヒンズー教徒に勝利したイスラム軍は、以後、イギリスがインドを植民地にするまでの、長きに渡ってこの国を支配したのでした。
彼らは、財産や女を有無を言わせず持って行く。
この時から、ヒンズー教の女性も、イスラムの女性に習い、布で顔を覆うようになったようです。
その、インドの運命を変えた、有名な戦場を見たかったのです。
タラーインはタラオリと地名が変わり、今はタラオリ城と言っているそうで、城は町外れの平地にひっそりと建っていました。
広さは野球場くらいでしょうか、思っていたよりもかなり小さく、高さ五,六メートルくらいの城壁の上にあり、脇に一本川が流れていて、門の前に立てられている、ペプシコーラの看板がやけに大きく見えました。
これじゃ五千か一万人位の兵なら、中に入れるかも知れないが、それ以上は外で陣を張る事になったのではないかと思います。
門をくぐると、街中と同じように家が並び、人が住み暮らしていて、何とも城らしくないのでした。
周りは見渡す限りの平野で、木や林は見えるものの、丘や山がないのです。
平地では双方共に全軍の指揮は取れないから、力の強いインドの象と、俊敏なアフガニスタンの馬が、正面から平押しに戦ったのでしょうか。
戦いは別の場所だったかもしれませんが、五メートルの城壁に櫓が立てば、十五メートルか二十メートル位にはなりそうです。他に見晴らしの良い所はありませんから、バーラト(インド)軍は、ここを戦場に選んだと思います。
歴史に残る城と思っていたのですが、観光に訪れる人も居ないようで、あまりにひっそりとしたものですから、一寸拍子抜けしました。

クリシュナには、行き先を告げずドライブしました。
辺り一帯は、行けども行けどもなだらかな平原が続きます。
インド洋から北東に、ヒマラヤ山脈の近くまでのヒンドスターンの大平野は、海抜六百から八百メートルしかなく、ガンジス河やヤムナー川の流れは、流れているのかいないのか解らないほど、緩やかでゆったりとしています。
インド大陸にはもう一本、インダスの大河が流れています。
大アマゾンに匹敵するほどではありませんが、かっては木が茂り、森だったであろう大平原は、今はジャングルの面影は無く一面に田や畑ばかりで、盛り上がった所に林はあっても山は無く、この豊かな穀倉地帯を持つインドが、何故にこれほど貧しいのでしょうか。
村を越え、町を通り、平坦な道を走り続け、やがてポツリポツリと、小さなミッティーガル(土の家)らしき家が見えて来ました。
「アープカ、ガル、ジャーナー ハエ(貴方の家に行きます)」
クリシュナは、てっきり喜んでくれると思っていたのですが、
「ナヒーン、ナヒーン(駄目、駄目)」
顔の表情を変え、目を丸くして驚き、首を振って拒否したのです。
「キョーン(どうして)?」
聞いても、彼女は何も答えないでうつむき黙り、それから小さな声でつぶやきました。
「デークナー ナヒーン(見ないで)、ジャーナー ナヒーン(行かないで)」
見られたくないものを、見に行く事は出来ないので、村の近くで車を止めてあたりを見回しました。
いかにも貧弱で小さな、ミッティーガルなる土の家が何軒か見えます。
その家は、屋根も壁も土で出来ていて、土壁の周りに鍋や食器が、乱雑に転がっていました。
おそらく井戸は無く、何処からか水を汲んで来て、地に座り外で食事を取るのでしょう。
これから冬に向かうので、寒さを防ぐためだろうか、あるいは風が入らないようにするためか、出入り口は低く、立て付けの悪そうな扉から、人が屈んで出入りをしていました。
窓枠は一つありますが、枠だけでガラスはまっていません。
その隣は、もっとみすぼらしく貧弱でドアは無く、下半分は土で出来ていたが、上は細い柱で屋根の藁を支え中が丸見えでした。
三、四百メートルか先に、ミッティーガルらしい家が何十軒も並ぶ村が見えました。
この国の失業率は、三十パーセントを超えているのではないかと言われ、家のある人はまだましだとも聞きます。
かってインド軍が、イスラム軍との戦いに勝利した時。
「インドの民は喜ぶがいい、これでムスリムの奴隷から解放されて、バラモンの家畜になれる」
そう言って退却したらしいが、まさに時代を逆行したように今に至っても、カーストの低い不浄と言われる人達の生活は貧しいのでした。

「マーフキーゼー、ワーパス、ジャーナー(ごめんなさい、戻ろう)」
私は車に戻り、クリシュナに謝りました。
彼女は、ゆっくりと腕をあげて村を指差し、
「イエ、マエンガル、ジャーナー(あそこが、私の家、行きます)」
「ナッ。アッチャー、アッチャー。ワーパス(解った、解った。戻ろう)」
私たちは村へは入りませんでした。

クリシュナは、十二歳の時結婚したと言います。
結婚とは名ばかりで、八百ルピーで売られのでした。
いや、それは違う、八百ルピーは結納金で、やはり結婚したのでしょう。
通常はダウリーと言う持参金を、女が男に差し出し結婚しますが、男が金を出すのはそれなりの意味がありました。
生活は苦しく、すぐに他の男と寝るように強要されたが、あまりに稼ぎが少なく、2回転売され、前の父親のような歳の男には、一年ほど前に売られ結婚したのです。
結納金は二千ルピーだったと言います。
クリシュナは、途切れ途切れに話してくれ、
「マエン、ピーター、マター、ホーナーナヒーン(私に父母は居ない)」
そう言ったのです。
その女を、私は一万二千ルピーで買ったのでした。

クリシュナとの生活は二年近く続きました。
柿本さんの部屋へ行き、朝まで過ごすように言った事も何度かありました。
そればかりではありません。十二月三十一日の暮れ、下田さんと柿本さんと、酒を飲みタバコを吸って正月を待ちながら、
「ア〜ン、オマンコ、キモチイイデス〜,モットチンポ、イッパイツイテクダサイ〜」
教えた日本語を言わせながら、代わりばんこに犯した事もあったのです。

会社は、少しづつ大きくなり、従業員も二十人ほどに増え、まだ黒字になるほどには至っておらず、とても成功と言えるものではありませんでしたが、ぼちぼちとそれなりにはやっていました。
それが、突然閉鎖して帰国するように命令が下ったのです。
日本のバブルはまだ始まったばかりで、日本経済は有史いらい未曾有の好景気に向かっていましたが、関東発条は親会社からの発注が一時減少し、余裕が無くなってしまったのです。
今までのお礼に、二DKの小さなアパートを二万ルピーで買い、それをクリシュナにプレゼントしました。
それで、なんの支障も無く、後腐れなく別れたのです。
そう思っていました。

クリシュナに子供が出来た話はありませんでした。
二十年以上も経ち、三十年近くにもなって、今頃、私の子だと出て来られても、女は売春婦で厳密には誰の子か解りません。
ならば何故、私と同じ名の、ロクロウなるインド人の若者が近くに住み始めたのだろう。
偶然だろうか。いや違う、偶然ではない。
いかに日本通のインド人でも、ロクロウなる日本人は少なく、そんな名はつけない。
ならば、何が目的なのです。
玩具にして遊んだ私への復讐でしょうか?。
私の不安はつのる一方でした。
                              
                                   (3回目、終わり)