山松ゆうきち の小屋

インド日記 1
<2月14、15日>

インド日記 3<2月17日>

インド日記 4
 <2月18日>

インド日記 5
  <2月19日>
インド日記 6
<2月20日>




自己紹介

インド、コルカタで漫画教室

宇宙人はいない

ある高名な大先生

ヴァナラシの戦い 

ロクロウと言う名のインド人 1
ロクロウと言う名のインド人2
ロクロウと言う名のインド人3
ロクロウと言う名のインド人 4

インド日記 

インドで英語版発売PR旅行 

& コミックコン

& 漫画教室

<デリー ムンバイ コルカタ 2012、2、16 〜 

2月16日

どんよりと目が覚める。
外は幾分明るい。
インドの時計は6時。
身体がだるく、起きるのが億劫で眠いが眠れない。
無性にタバコが吸いたくなるが、空港で没収されてライターは無い。
ホテルの電話を取るが応答なし。
廊下や階段を行ったり戻ったりしながら、階下のフロントを捜して行くが無人で誰も居ない。
仕方がないので部屋に戻り睡眠薬を半錠飲む。

11時起床。
フロントの奥にある食堂へ行くが、
カーナーメイク(食事)のタイムは、ギャーラーバジェ(11時)までだと言われる。
「カハーン、イート、ジャゲー(何処で食べる、場所は)」
身振り手振りで、紙に外で食事のできる場所を書いてもらい、
pot,relly,shahp,jat,village。カタカナでルビーを付け、オートで行くと幾らかかるのか値段を聞く。
<シャープ、ジャット、ビレッジ。オートリクシャー30ルピー>
ホテル名を聞き、33と書いた名刺を貰う。
<ホテル33〜ホテルタッティースリー>
タッティーはヒンディー語の数で30、スリーはイングリッシュで3。
何故にヒンディーと英語をミックスしているのだろうか。
ま、いいか、俺が詮索する事では無い。

前のインド行きで、1100ルピーを精算しないで持っていたのでそれを使うが、持っていなければ、朝、昼飯抜きになる所だった。
ラケーシュさんから連絡が無いのは、俺がインド通だと思っているからだろうか。
まあいいか、夕方には来ると言っていたのだから。

ここの町が、デリーのどこら辺りになるのか解からないが、昼前にしてはそこそこの人がたむろしていた。
食堂に入っても、メニューは解からないので、
「イエ、マエン、セーム、イート、チャパティー ドー (これ、私も、同じもの、食べる、チャパティーは2枚)」
二人居た客の食べている、ジャガ芋料理らしき皿を指差して注文する。
ジャガ芋にカレーのスパイスをまぶした料理は、何と言えばいいのか聞いてみた。
「イエ、カーナー ナーム?」
「アールィー <じゃが芋>」
「くふっ」
もうチョットで吹き出す所だった。
確かにそうだ。じゃが芋だ。
そしてもう一皿、じゃが芋が盛られた皿が出てきた。
「へっ?、キャー?、何ですかこれは?」
「アールィー <じゃが芋>」
何で料理の名を聞いただけで、もう一皿出て来るんだよ。
参った。
まずくはないが、二皿も食えないので残す。
食事代は34ルピーで60円くらいか。
いかんいかん無駄な金を使ってしまった。

ホテルへ帰って日記を書き、
カバンを開け、”旅の指差し会話帳” を捜すが出てこない。
「う〜〜ん、困った」
まあいいか、足りない所は身振り手振りで何とかなるだろう。

テレビをつけてみるが、
「アープカ <貴方は>」とか、
「〜ヘえ <〜です>」 くらいしか解からない。
インドを代表する国民的スポーツ、クリケットはルールが解からないから見ていてもつまんない。
する事がな〜〜んにも無いので、5時までには帰ると言って散歩に行く。
さっきオートで、ホテル前の広い道路の右側を走ったから、今度は左側をどんどんどん歩いて行くが、
な〜〜んにもない。
何処なんだここは?。

交差点には、右へ行けば何処、左方面は何々と表示されているが興味は無い。
レンタル サイキール(多分、貸し自転車屋)と看板が出ていて、10台くらいの自転車が鎖につながれていたので、近くに居た乞食のようにみすぼらしいおばさんに、
「レンタルマネー、キトネー (幾ら)」とか、
「キトネー ルピエー(なんぼ)」とか言ってみるが、首を振るだけ、
紅茶屋のおじさんにも聞くが、訳の解からん事を言って回りを指差すが意味不明。
写真のフィルムを入れる容器くらいの、プラスチックがいくつか捨てられていた。
「まさか、この小さいのが、インド名物チャーイを入れる容器?」
チャーイを1杯注文したら、その容器に7分目ほど入った紅茶を出された。
5ルピー。
2年前まで、小カップに入った紅茶が2〜3ルピーだった。
ちなみに10ルピーだった10本入りのタバコは、20ルピーに値上げされている。

夕方5時と聞いていたが、6時になってもラケーシュさんは来ない。
フロントの電話を借りて、教えてもらった番号にかけてもらうが、
「xxxxxxxxx、xxxxxxxxxx。」
何を言っているのか、ちんぷんかんぷんで意味不明。
そばで聞いていたホテルマンが、時計を指して、
「シックスバジェ、ビースミナト (6時20分)」
にアーヤー(来る)と教えてくれたが、6時半になっても来ない。
もう一度電話をかけると、
「xxxxxxx、ダスミナト(10分待て)」
と言われるが、やはり20分待っても来ない。
う〜〜〜ん。
これは来ないな。
「今日5時から、コミックコンのイベントがあると言っていたが、聞き間違いだな」
そう判断した。
何てこった、一日無駄にしてしまった。

スレンダーサンの所へ行こう。
ここがデリーの何処か解からないが、オートを捕まえて、パテルナガルと言えば行ってくれるだろう。
デリーの真ん中へんから、100ルピーぐらいで大体何処へでも行けたから大丈夫。
羽田空港で買った土産を持って、部屋を出ようとしたら電話が鳴った。
「xxxxxxxxxxxxxx」
ラケーシュさんに限らず、インド人の発音は難解で聞きにくい。
「ニーチェ(下)?」
「ニーチェ、ニーチェ」
ラケーシュさんが来たのかと思って行くが、下のフロントにはホテルマンしか居ない。
「テレホン、アープ(電話はあなた)?」
「アア、xxxxxxxxx」
一体、この人は、俺に何のために電話をかけ、下へ来いと言ったのだろうか?。
まっ、いいか。
外へ出ようとすると、慌てたように止めに来て、ルームへ戻れとジェスチャーする。
「マエン、バーハル、ジャーナー(私は外へ行く)」
「ナッ、ウーパルxxxxx(駄目、上に行け)」
ホテルマンは指示する。
何なのだと思いながらも、無視する訳にもいかないので戻って階段を上ろうとしたら、
「エレベーター、xxxxxxxxxx」
エレベーターを指して、乗って部屋に戻れと言う。
「?、????」
自慢するほど、立派なエレベーターでもないだろうが、
エレベーターに乗ることに何の意味があるのか解からないので、階段を使って二階の部屋に行くが、誰も居ないし何にも無い。
階下に降りると、フロントのホテルマンは、もう一度エレベーターに乗って上がれと言う?。
俺が立派なのは、ここで腹を立てないで、意味不明ながら指定されたエレベーターに乗ろうとした事だ。
言葉の解からない無能な男が怒っても、自体は好転しない事を知っている。
ドアが開くと、あら不思議、中からラケーシュさんが出てきた。
「アープxxxxxxxダウン、xxxxxxマエン、アップ、xxxxxダウン、アップ」
貴方が降りると私が上がった。貴方が上がると、私が降りて行き違いになった。
身振り手振りの説明は、大体そんな事だろう。

昨日あげた東京バナナのお返しだろうか。プレゼントと言われて封筒を受け取る。
「わっ、何だろう、楽しみ。ワクワク」
タクシーでイベント会場へ行く途中、オープンしてもいいかと聞き開封。
”インドへ馬鹿がやって来た”の英語版の本が1冊入っていた。
「へ、これプレゼント、、」
思っていたより簡素な表紙。日本の本と同じ右読みで字が小さい。
「う〜〜〜ん、読みにくそう、何故に右開きなのだ」
「アッチャー(素敵)?」
ま、いいか、インドとは言え俺の描いたものが、英語に翻訳されて出版されるとは信じがたい事だ。
「アッチャー、アッチャー」

タクシーはかなり大きなホテルへ入る。
会場は映画館、もしくは学校の体育館ぐらいの広さで、壇上があり、新しい椅子が並んでいた。
中ほど右隅に着席。
「インドへ馬鹿がやって来た」の英語本を渡されたので、俺の本の出版記念パーティーかなとも思うが、それにしては大袈裟すぎる。
コミックコンなるイベントは、何をやるのか解からない。
壇上にスクリーンが張られ、マイクを持った女性司会者が、映し出されたコミックをボリュームたっぷりに説明紹介していく。
賞は、6つか7つぐらいあっただろうか、全てアクション漫画だった。
席は4分の1くらい埋まっていただろうか。
数にしておおよそ百人くらいかな。全て身内のようにも見える。
一時間くらいで賞は終わり、外で立食。
時々話しかけられるが、意味不明で何とも答えようがない。
ジュースを2杯飲み腹はパンパンになった。
パーティーは9時頃に終わり。
ラケーシュさんに、パテルナガルに住むスレンダーサンの所へ行きたいと告げると、
先ほどホテルに乗ってきたタクシーで行けと言うので、あり難く送ってもらう。
車は、見慣れたニューデリーの中心地カノートプレースを横ぎり、メトロに沿って北上する。
と言う事は、泊まっているホテル33は、かなり南にあると言う事だ。

たったの2年前なのに、町の面影は変わらないようで所々変わっている。
通りは一方通行になっていて、グルリと大回りをしてサラク(路地)に入るが、ドライバーは車が駐車しているので入れないと言って動かない。
「ティーク、ティーク、サブドライバー、ジャーナー(大丈夫、大丈夫、全てのドライバーが行く)」
説明しても、断固行こうとしない。
仕方がないから、時計を見て1時間で戻って来ると言い徒歩で行く。
路地も変わっていないようで、所々が変化していて横道を通り過ぎてしまった。
「へーイ、ジャパニー、ユキチ」
若かったアイロン屋の兄ちゃんが、いつも仕事をしているアイロン台の横で声をかけてくれ、
お前がいつも行くのは、この道ではないのかと手で示してくれる。
青年は腹が出て、2年で中年に変化していた。
何やかやとまくし立てるように話しかけて来るが、そんな暇は無い。
「タンキュー、アブ、ジャルド(ありがとう、今は、急いでいる)」
そう言って、狭い横道に入り、左に曲がって、突き当りにある3階立ての1階がスレンダーさんのガル(家)だ。

ドアをどんどん叩くと、奥さんのスマンさんが出て来て、錠を外し開けてくれた。
「オーホホ、ユキチサン。スレンダー、ユキチサンxxxxx」
寝ていたスレンダーさんを起こす。
俺が取り付けたクーラーは、そのまま残っている。
隣の部屋は、誰かに貸しているようだ。
東京バナナを渡し、
今朝早くにデリーに来た事を告げ、三から五日くらい居ると思うが、ムンバイ、コルカタに行くので急いで来た事を告げ、
「ジャパニーズ、ブスタク、イングリッシュ、ブスタク、チェンジ(日本の本、英語本になった)」
先ほど貰った英語版の本を見せる。
「オー、マエン、プレゼント(私にプレゼント)」
「ナヒーン、マエン、エーク、ブスタク(駄目、私も一冊しかない)」
読めるのか読めないのか、パラパラめくって、二人でうなずき苦笑いをしている。
ブーク(お腹)は大丈夫かと聞かれ、紅茶と、チャパティー二枚と、スープ二皿をご馳走になった。
今度はいつインドへ来るのかと聞かれるが、
「イエ、イングリッシュブスタク、ズヤーダーべチュナー、インド、アーヤー、(この、英語本が、沢山売れれば、インドへ来る)」
が、あまり期待しない方が良いと答える。
ベットで寝ていた、四歳になる一人娘のブミが目を覚まし、何やら唸り始めた。
「バウ、バウ〜、バウ」
「タヘルナー、ナヒーン、パーレーションホーナー (散歩もできない、困っている)」
スマンさんは、成長した娘を抱えてあやしながら首を振る。
立つ事も出来ず、言葉も喋れないようだ。
スレンダーサンに入口の通路に来てくれと言われ、出て見ると大きなオートバイがあった。
「アープカ、オート(あなたのオートバイ)?」
「アア、マエン、オート(ああ、私のオートバイ)」
銀行のカードを持ってくれる客を捜し、バスを乗り継いで勧誘に行くセールスをやっていたが、オートを買えば何倍も多く回れるが、高くて買えないと言っていた。
念願のオートバイを買ったのだ。
聞きなれているせいか、この夫婦のヒンディー語は解かり易い。
一時間は、あっと言う間に終わった。
スレンダーさんは、夜中だと言うのに、表でオートバイをバリンバリンふかし、車の待つサラクの入口まで送ってくれた。
0時近くにホテルへ帰り、シャワーを浴びる元気も無くバタンキュー。
      
                                                               <以下、2月17日に続く>