シマザキ印刷TOPへ

Love and Peace 2008年 その時々のオサムカラムコラム
Imagine all the people living life in peace John Lennon
               
(赤字はワンポイントイメージのためで、リンクではありません。 

2013年 2012年 2011年 2010年 2009年 2007年 2006年 2005年 2004年 

12月19日(金)
国民栄誉賞
ほとんどの日本国民が思っているであろうことを一言。「亡くなってからでは遅い」。
わが青春の「高校三年生」をはじめとする数々のヒット曲を作曲した故遠藤実氏に国民栄誉賞を授与するという。
国民栄誉賞は時の政府のお遊びみたいなもので、人気取りに使われることが多いが、かといって誰もがもらえるものではないからそれなりにたいした栄誉だとも思うが、どうせなら生前にやってほしいものだ。
ついでに現総理自らも含めて存命の歴代総理大臣にも授与してほしい。受賞理由はこの程度の知識識見品格人格でも首相というものが一定期間単に務めるだけなら務まるということを日本国民に知らしめた功績だ。
12月15日(月)
プロゴルフ石川遼君
昨日の朝は新聞の配達が来た後に雨が降り出したらしく、我が家の新聞受けは防雨対策がなされていないので、朝刊はビショビショ、重量10倍、水が滴り落ちるくらいであった。すべてのページを分けて、何とか乾かして読めるまでに回復させたのだが、外は相変わらずの結構な降りの雨、今日は新聞でもゆっくり読んで骨休みの一日だなと。
スポーツ欄を見たら今もっとも注目のプロゴルフは石川遼君の話題だ。
オイラもかつて人並みにゴルフなんてものもやったこともあるのだ。どんどんスコアがよくなって行くので、このまま行くとプロゴルファーになってしまう、オイラの天職は印刷屋だ、これではいけないとゴルフをやめてからかれこれ10年ぐらいになるだろうか。もっともどんどんスコアが良くなって来たといっても80台止まりだったけどね。実際はやめた理由はいろいろあって、ゲームとしては楽しいんだろうけれど、当時は高額なプレイ費等もあって、結局非常にストレスの溜まるスポーツだというのがオイラの認識で、いつの間にか誘われても行かなくなった。
オイラがやっていた頃は非常にマナーも厳しくて、例えばウエアなんてがなくてはいけないとか、紳士のスポーツという格付けなので、スポーツというには理不尽と思われる規則が多かった。今はみんな全然ラフな格好でプレイしている。
また、ボールがちょっとそれたら見つける時間を想定して何本か次に打つ予定のクラブを持って駆け足でラフを走り遅れないようにするとか、それが同組者や後続組に迷惑をかけないルールだった。
グリーンの上をスパイクシューズ(当時はスパイク付きのシューズだった、今はどうかな)を引きずったりすると大目玉、もちろんグリーン上を走ったり飛び跳ねたりするのはおおいなるNGだった。
さて石川遼君、どんな世界にも信じられないようなスター、ヒーローというのは出て来るもので、大したものだとただ感心するばかりだが、13日のプロゴルフ、シニア、女子対抗戦でも最終パットを見事バーディーで決め優勝の立役者になった。ところがその後遼君は大喜びでグリーン上を飛び跳ね、走り、他のメンバー達もグリーン上に乗ってみんなで飛び跳ねて喜びを表していた。
これってOKなんだろうか。翌日の新聞もそれに関しては何も論評せず、辛口でなる張本氏もTBSで例の「喝!」の一言もなかった。
ゴルフのルールやマナーは変わっても、グリーン上でのあの飛び跳ねようはいけないと思うのだが、今は許されてるの?プロは例外?あんなに大勢で飛び跳ね、走って、グリーンは痛まないの?
あっ、そうか、今はグリーンは人工芝だからいくら飛び跳ねてもいいんだ?。それとも見間違いで、あれはグリーン外だったのかな?
ゴルフをやってる皆さん、教えてちょうだい。
12月13日(土)
誤読は続くよいつまでも
麻生総理の誤読は続く。低迷をテイマイと読んだと今朝の東京新聞に出ていた。これなんかいいほうで、ソコマイって読むんじゃないかと思っていたけどね。彼は小学生以来どういう授業を受けてきたんだろう。
そこで麻生総理誤読予想をやってみましょう。誤読しそうな漢字は限りなくあるので、まずはYahoo!のトップページの記事から。
「税制大綱」は絶対ゼイセイオオアミって読むと思う。その前に・・・タイモウって読むのかな。いや待てよ、オオツナって読む方が確率が高いかも。「減税一色」はゲンゼイヒトイロだ。これは素直だ。麻生氏は生まれがいいから素直なのだ。素直だから自分で思った通り羞恥心も感じず読んでしまうのだ。ずうっとそれで通って来たし。羞恥心はなんて読むだろう。読めないけど何とか考えて読むよきっと。誰でも考えるのはサハジシンだろうなあ。
どうでもいいけど、素直な麻生氏がよく青年会議所の会頭をやれたものだ。お金がありゃ何でも出来るのさ(嫉妬心)。←学習院出身ではこれは読めないかな。おっと、学習院の皆様ゴメンナサイ。
「新生児遺体遺棄」っていうオドロオドロシイ見出しもあるけど、これは・・・ケンタイケンスって読むだろうなあ。派遣の遣の字と間違えるし、棄は棄てるのスだからね。何しろ踏襲をフシュウと読んだのだからこんなのは朝飯前だ。
次は「高額賃貸」だ。これはもちろんコウガクタイシャクだ。実際わが入間市商工会の総代会で賃貸をタイシャクと読んだ人がいて、貸借対照表のことが頭にあったらしいんだね。わが総理なら当然そう読むであろう。
これでいくと、「出産一時金」はもちろん、そう、・・・イットキキンと読むのは懸命な読者の皆さんなら想像がつくでしょう。まさかいくら麻生さんでも「出産」は読めるよねぇ。そうです、デサンです。
オイラは年末で忙しいのだ、こんなバカやってる場合じゃないのでこんなところで。
で、最後にもうひとつ。わがアウトドアの仲間で今年静岡の田舎にこもった通称武兵衛氏のブログに枯葉の輪舞という詩が出ているが、これなんか絶対ロンブと読むと思う。イタリア語だかフランス語のロンドの意だし、総理は家柄がいいのでクラシックなんか待ってましただろうからね。それともロンマイと読むかな。
誤読じゃないけど、結構面白い変換ミスをひとつ。メールで「柿」を「下記」って打ってたぞ川口のT君。最初、ン、何じゃこれはって思ったけど、文脈から柿の事だと分かったからまぁいいか。
12月6日(土)
携帯電話
橋下徹大阪府知事は嫌いなタイプの人間だが、今度の公立小中高生徒の携帯持ち込み禁止令については「なかなかやるじゃん」ということで賛成だ。
きわめて極端な言い方をすれば、小中高校生はおろか成人にだって携帯電話は要らない。あれば便利だがなくても困らないという人もたくさんいるのではないかと思う。
特に小中高生にとっては便利さや有用性よりも悪影響有害性のほうが比率は高いと思う。有識者の中には規制はいけないとか、ルールを教えて現状に対応させるのがいいとか言っている人がいるけれども、ルールなんて教えたって守れるはずがないのが人間であって、飲酒運転撲滅担当の偉いお巡りさんでさえ飲酒運転で事故を起こしたのは記憶に新しい。子供たちにとっての携帯電話の正しい使い方のルールなんてあってないようなもので、エロサイトが見たければ見るのは当たり前だし、口で言えないいじめはメールならどんどん言えるってことだ。
制限時速40キロの道路はほとんどの場合制限速度以内では走っていないのが現状だけれども、これが規制を撤廃して正しい走行方法で運転しましょうなんて言って運転手の良識を信用したってそれは無理というもので、多分めちゃくちゃに事故が増えてしまう。飲酒運転禁止にしたって、ルールや理屈は分かっているのにやってしまうから厳しい規制を強いているのだ。
子供たちへの防犯の観点から携帯を持たせるのも必要だと言う意見もあるが、あれは防犯の観点でなく、犯罪が行われた時点から携帯電話が有用なのであって、携帯電話を持っているからといって犯罪に遭わないわけではない。ただし、犯人検挙や被害者救出には役立つかもしれないが。
というわけで小中高校生の携帯電話学内持ち込み禁止賛成なのだ。え、オイラ?もちろん携帯電話なんて持ってないけど全然不便を感じませんね。
ただし、人間というのは勝手なもので(人間というよりオイラかな)、携帯を持ってない人に連絡を取るのは誠に面倒ですな。携帯は他人を介さず本人が直接出るからいいよね。オイラの固定電話に電話してくる人はいつもそう感じているんだろうなぁ。(いつも「秘書」を介してゴメンナサイ)
関係者各位、貧乏なのでオイラはまだ当分携帯電話を持つ気はありませんのでよろしく。
12月1日(月) この間正月飾りを取ったばかりなのに、もう12月とは!それほど大げさに言わなくてもいいとも思うが、とにかく月日のたつのは早い。光陰矢の如しという言葉が古くからあるところを見ると、昔の人も感じていたらしい。たまにはここへも書き込みをしないと忘れ去られてしまうので書くのである。
この時季はあちらこちらでイルミネーションが輝き、ライトアップが行われ、師走の風情をかもし出しているのだが、ちょっと待てよ、一方では節電、省エネ、節約、CO2排出削減をうたっているのにどこそこの紅葉がライトアップ見に行きましょう、どこそこでは地域ごとイルミネーション豪華です、東京タワー新しいライトアップです、なんてことを宣伝して煽っている。前にも書いたがオイラのような貧乏人庶民は一体どうしていいのか分からないのである。節電するの、しないの?どこまで省エネすればいいの。何しろ印刷なんて商売は一定温度に室温を保っていないとインクが硬くなったりして製品の質に影響するからね。
なんだか真面目に省エネだの考えているのはバッカみたいに感じられる今日この頃なのであります。

これも前々から書いていることだが、印刷という商売は当たり前だが誤字脱字などには大変神経を使う。一字違っただけでも、しかもそれがお客さんの原稿通りに印字した場合でも時によってはこちらが泣いて刷り直しになったりすることもあるのである。お客さんに校正を出しても正確にチェックしてくるとは限らないし、お得意さんを無碍に責めるわけにもいかないからね。
一般に漢字は読むよりも書く方が難しく、したがって変換による方法は漢字を書けない者にとっては大変便利なのは確かだが同音異義語の変換ミスがかなり多くなっているのを見かける。
しかし便利な変換方式も漢字を読めなくては変換のしようがなく、例えばこれは実話だが、「団塊」を「だんこん」と読んで変換したらしくて、「団魂の世代」と書いてあるものに出合った。
わが国の総理大臣様はオイラと同じで漫画がお好きらしいが、違うところはどうもあのお方は漫画しか読まないらしいことだ。漫画は読むというより見るという場合も多いので漢字など読めなくてもそんなの関係ねぇのだ。
元厚生事務次官襲撃事件で重傷を負った女性に対して、「早くカイガが治りますように・・・」と言ったらしい。これは秘書か官僚が書いた原稿の漢字「怪我(ケガ)」が読めなかったからで、漢字が読めない首相というのが定着してみんな諦め呆れているが、いくらなんでもこれはひどすぎるぞ。日本国のリーダーがこんな常識的な日本語を読めないのは困りもんだが、自分の言葉で語っていないからこんなことになってもいるのである。
印刷屋は一字で命取り、総理大臣は失言方言誤読なんでもOK、これならオイラの方が総理大臣に相応しいよ。
ただし、あさなま総理にも貢献大のところがあって、あの程度でも学習院は合格するし、総理大臣にもなれるということが分かったことだ。子供たちよ、勉強なんかしないで漫画読んでればいいんだよ、なんてね。でもこれっていいことなのかどうかね。それに大金持ちじゃなきゃやっぱりだめかもね。
麻生って「あさなま」って読むんでしょ。
11月6日(木)
黒人大統領
なんだかんだ言っても、(どうでもいいけど神田は元気かな?)アメリカのすごいところはいざとなったら変われるというところで、日本にはなかなか真似が出来ない。そこが世界のリーダーたる所以か。
逆に言うと人種差別が色濃く残るアメリカが黒人のリーダーを選んだというのはよほどのことで、それほどアメリカの状態はひどいとも言える。
半世紀ほど前、オイラがまだご幼少のみぎり、何がご幼少だ、要するに洟っ垂れ小僧だった頃、オイラの家の周りは米国駐留軍の家族だらけだった。我が家のすぐ隣もその向こうも前もその脇も米軍家族が住んでいた。要するに家の周りはほとんどアメリカ人だったのである。したがって、小学校から帰って来るとたいていはアメリカ人の同年代の子供と遊んだ。高学年の米青年には当時名「ジョンソン基地」現航空自衛隊入間基地内の映画館によく連れて行ってもらい、アメリカ国内で流行っている映画を日本人の誰よりも早く見られた。ちょっと後にはビートルズの映画もいち早く見たが、ファンの女の子がスクリーンに突進していくのには驚いたのを覚えている。
日本の英語の発音はほとんど役に立たず、一例を挙げると、水は”ウォーター”ではなく、”ワラ”、20は”トエンティー”ではなく”トニー”または”トエニー”、砂は”サンド”でなく”センエン”と発音した。遊んでいて「千円くれ」というつもりの英語”Give me senen”と言うとアメリカ人の子供は砂を持って来たのである。
あるとき白人と黒人とオイラの3人で遊んでいた。片言の英語と日本語でも子供はすぐ打ち解けて仲良くなって遊べるのである。けれどもそこはやはり子供、楽しく遊んでいる時はいいがちょっとしたことで喧嘩になってしまうことはよくあることだ。その時のことは今でもよく覚えているが、3人の中で一番威張るのは白人で、栄養不足のオイラは体格で劣るからいつも負けてしまう。しかしその白人が一番ターゲットにするのは黒人で、日本人はただの被占領国民なので端から相手にしないということなのか、いじめてもそうたいしたいじめ方ではなかったのでオイラは助かった。とにかく白人は黒人の方を余計にいじめた。黒人にとってそれでは面白くないので必然的にターゲットはオイラしかいない。そのいじめ方が白人よりひどかった。陰湿だった。そんなことだからいじめられるオイラの方は当然黒人より白人のほうに親しみを持ったのである。子供のことだからそんな喧嘩が終わるとまたすぐ仲良く遊ぶのだが、オイラの心には黒人ってやなやつだと子供心には思ったのであった。もちろんこの場合はこの3人の単なる個人的性格によるものなのかも知れないが。
それから50年近く経ち、ハーフとはいえ黒人が世界最大最強の権力を握った。どうかお願いだから日本をいじめないでおくれ。
米国大統領が熱狂的に選出されるのはいつでも同じだ。ブッシュもそうだった。浮かれているとまたひどいしっぺ返しを食うことになる。ブッシュを選出した国民の方は経済破綻というお返しの責任を取らされることになったが、選出される政治家の方は何も責任を取らされることがないのが政治のおかしなところだ。日本も米国も国民は余程注意深く監視していかないと結局責任を取らされるのはまたまた国民だけということになる。
10月31日(金)
衆議院選挙
世界は環境だけでなく経済も破綻状態で、これすべてアメリカが招いたことだと多くの評論家は言っている。
テロとの戦いだと勇ましく中東各地で戦争を起こしているアメリカは、結局アルカイダ=ビンラディンに敗北したということなのではないか。生死不明行方不明(本当にそうなのか?)のビンラディンは今頃地上でも地下でもしてやったりとほくそ笑んでいることだろう。
べトナム、イラク、アフガニスタン、etc.ほとんどの米軍事作戦は失敗、ただし多くの死者と環境破壊と経済破綻と引き換えに軍需産業と石油利権は結果潤っているということだ。何しろ高価な原油を飼い犬のポチの日本国に買ってもらって、それをただで提供して貰って、それをさらに戦争に使える好循環だから笑いが止まらないのはほんの一例だ。そんな図式だから9/11もブッシュの自作自演だという説まで氾濫する。
そういう飼い主様に尻尾を振っていたわが日本国も飼い主の食べ物がなくなったので仕方なく自前で食べ物を探さなければいけないどころではなく、飼い主を助けてやらなければいけないところまで来ているというのは騙されているんだと思うが(現在も膨大な額の米国債―紙くず―を保持している)、自分のひもじい子犬たちにも一応「ホレ、これをお食べ」という態度を示さなければ親犬の威厳が保てなくなるので、何でもいいからその場限りの対策を採ろうというのが今の日本国政府自民党政権だ。
総選挙を避けて政権の延命を図る麻生内閣はここにきて緊急経済対策として高速道路を夜間半額にし、さらに休日1,000円で乗り放題2年間限定という政策を打ち出した。松島牡蠣小屋牡蠣食べ放題2時間2500円か。ETC搭載普通車で、トラック等は該当しないと言うのだから経済政策としては片手落ちもはなはだしい。
2000年10月にオイラは立川紙業という用紙卸会社の機関紙への投稿高速道路半額を訴えた。それから苦節8年、(何じゃそりゃ)、やっとオイラの主張が一部分でも自民党政権に認められたのかと感慨深いものがあるなんてことはバカバカしくて言えない。
民主党は政権公約で高速道路の無料化を打ち出している。オイラの案では8年前に半額にし、制度を整えてやがて無料という考えだったが、自民党政権のままでは無料になるのは8年後か、あるいは実現しないかだろう。
悪評高かった地域振興券ならぬ現金バラまきも全世帯に実施するという(これって買収の選挙違反じゃないの?)。まあ、何も手を打たないよりはいいけれども、いかにも泥縄で、政治というものが機能していない。
民主党の政策をあれほど財源はどうすると批判していたのに、パクリでも何でもやるなりふり構わぬ自民党の政策が国民のためになるならよしとするが、果たしてそうか。
3年後に消費税を増税するというのは、「下々の皆さん、困ってんだろ?今10,000円やるから後で50,000円ちょうだいね。」って言っているということで、これは詐欺だ。
マスゴミは相変わらず街頭インタビューなどで政権与党の言い訳”今選挙なんかやってる場合ではない”を言わせているが、金融経済破綻の本家本元のアメリカは選挙の真っ最中で、大いに盛り上がっているらしいぞ!
大体いつでも経済や政治が安定しているとは限らず、むしろ不安定の時の方が多い。だから民主主義においては選挙というシステムが生まれたとも言えるのだ。
選挙で誰に投票するかは簡単だ。今のまま、あるいはさらに悪くなってもいいと思う人は与党に、いや今のままでは困ると思っているのだったら野党に、それだけだ。これはいつの選挙でも同じだ。早急に総選挙を実施すべし。
10月8日(水)
糠漬け舞茸
さすがの世界同時株安も、日本国予算委員会も吹っ飛んでしまうニュースが日本人4氏のノーベル賞受賞だ。久しぶりに明るいニュースで、おめでたいことだ。
受賞対象の理論がさっぱり分からないのでノーベル賞の話題はマスメディアにお任せするとして、ぐっと身近な糠漬けの話をまたまたしてしまうのだ。
下の欄で我が家では常々バナナを糠漬けにして毎朝晩味わっていることは書いたが、また一つ新しい素材が増えた。それは舞茸なのだ。舞茸といっても新鮮な生をつけるのではなくて、このところ毎週味わっている舞茸酒の使用済み舞茸を漬けるのであります。
舞茸酒は舞茸(黒よりも茶のほうが美味しい)をこんがりと焼き、それを日本酒の熱燗(T氏によると焼酎でも美味しいと言っていたので試してみたが全然美味しくなかった。舞茸酒はやはり日本酒です。もっとも、味覚は個人差がありますが。)に入れて飲むのですが、一番煎じ?がもちろん一番美味しいのは言うまでもありませんが、もったいないので二番まで使います。さすがに2回も使うと舞茸の旨みが酒に出てこないので二番止まりですが、ではその酒に浸けた舞茸をどうするか。命がけで採って来た舞茸をそのまま捨ててしまうのは惜しいのですが、酒に浸けた舞茸はそのまま食べても辛さや苦味が出て不味いのです。酒の不純物を吸い取って自らの旨みを抽出しているのか、天ぷらにしても全然美味しくないし結局いつも捨ててしまいます。まあそんな贅沢も殆ど毎回採取して来るのでいいかなと。
しかし、5日にバナナの糠漬けの話題が出たとき、最近腰が痛いと言ってキノコ採りに参加しなくなったわが兄貴(舞茸酒だけは飲みに来る!)が、「糠漬けにしてみれば」と思いついたのであります。さっそく実行、現場主義のオイラは漬けたのであります。う、うまい!これはいける、苦味も辛味もない。体にも良さそうだ舞茸酒使用済み天然舞茸、今まで捨てていたのが悔やまれる。
というわけでまたひとつ我が家の糠漬けの素材に加わったのであります。
糠漬けは簡単だが奥が深いぞ。クサヤは無理だろうなぁ。
10月3日(金)
流行
松尾芭蕉の俳諧理論に「不易流行」というのがあると遠い昔の学生時代に国語の授業で教わったような気がしたので、ちょいと辞書を紐解いてみたら、大辞林には『俳諧の特質は新しみにあり、その新しみを求めて変化を重ねていく「流行」性こそ「不易」の本質であるということ』とあった。(不易とは変わらぬものということである。)
別に普段俳句をたしなむわけではないから意味がよく分からないが、要するに物事の本質は変わらぬものの中にも変化するものの中にもあって、両者は一緒なのだということなのかな。余計分からなくなった。
なぜこんなことを書き始めたかというと、昨今巷でバナナダイエットの流行が話題になっているからなのである。バナナダイエットって最初から書くより、不易流行なんて言葉を持ち出すとかっこいいじゃん。え、そんな事ないって?、あ、そう。
ついこの間は納豆ダイエットで大騒ぎしてなかったかい?納豆が売り場から無くなったって大騒ぎしてたのはどこのどいつだい!それで今度はバナナが無いだってさ。
そんなに痩せたいか日本国民。欧米のブクブクおばさんたちに比べたら日本人のおばさんたちはすんごくスリムだと思うけど、それでも痩せたいのかねぇ。それとも買っているのはお嬢さん、おじさん、お兄さん?
大体バナナなんていうのは栄養価高いんだから、どうも痩せるっていうのは納得がいかないんで、そりゃあ、1日バナナ1本で過ごせば痩せるかもしれないけど、他の物も食べながらバナナも食べたんじゃ余計太っちゃうと思うけど、まあ食べ方もあってやるんだろうけど、結局すぐその効果も無いっていうんで流行も終わるのが世の常でね。
痩せたいなら何にも食べないのが一番いいんであって、バナナも何にも食べないで、水だけ飲んでりゃすぐ痩せるよ。ボクサーなんて減量するのに水さえ飲めないので、トイレの水も飲みたくなるっていうからね。そこまでする必要もないんだろうけど、空腹感をなくしてダイエットなら、コンニャクとか、キノコとか、ただの炭酸水とかがいいんじゃないのかなあ。
あ、そうそう別にダイエットの話をしているわけではないのだ、流行なのだ。
オイラの家は一般家庭と同様もう何十年も毎朝納豆を食べているので納豆が品切れの時にはあきれたよ。今度はバナナだって?冗談じゃないよ、オイラのバナナファンはそんじょそこらの(そんじょそこらってどこだ?)一般庶民と違うのよ。何しろ多分世界でもそうないんじゃないかと思うバナナの糠漬けを朝晩やってるんだから。一時の流行のダイエットと一緒にされちゃ困るのよ。おかげで今朝は漬けられなかったんだから(少怒)。それとやはり毎朝晩水に薄めて飲んでいるのがバナナ+黒酢+黒糖なのよ。好きな歌だってハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」や西岡恭蔵の「Banana Spirit」だし、駄洒落だって「そんなバナナ(ばかな)」なんてよく使うぞ、関係ないか、おお寒い!
次の流行はクサヤダイエットなんていって、毎朝クサヤを焼くあの香しい匂いが各家庭から流れてきたら、一体この国は何だっていって丁度この国から征服しようと攻め込もうとしていたエイリアンも逃げ出すっていうね。
継続こそ力なり、一時の流行で物事の本質に迫れるかというと、俳諧はともかく、一般的には(特にダイエットは)無理だと思うのであります。
9月18日(木)
山野井泰史氏
恐るべしツキノワグマ、あの世界最強のクライマー山野井泰史氏を襲うとは。2006年8月22日の山野井通信にも親子の熊に遭い、追いかけられたが無事だったと書いてあったが、子連れの熊は怖い、親子の愛は海よりも深し。今回も命に別状はなくて本当によかった。山道でジョギングとはさすが世界の山野井、日々の鍛錬を怠らないということだろうが、熊さんも親子でお散歩してたらいきなり恐ろしい人間が駆け足で来たので襲われるのではと驚いたんじゃないのかな。
山野井さんはご夫婦とも非常にいい人で、クライマーとしては世界最強だが、優しさは世界最優だ。
14日は山野井氏の居住する原地区の東京都指定無形民俗文化財原の獅子舞が行われたばかりで、襲われた場所は倉戸山の登山道ということなので、まさにわれわれが獅子舞を奉じた温泉神社の脇の道だ。当日は山野井氏は所用で見えなかったが、奥様には他の女性たちと一緒にいろいろとお手伝いをしていただいた。終い祭り(祭りの後の宴会)では奥様とはご夫婦でつい最近まで遠征していたキルギスの話や山の話をしたばかりだった。
翌15日はわれらは仲間でキノコ狩りに行ったのだが、その際も山野井氏の話題が出て大いに盛り上がったものだった。その翌々日だったので余計驚いた。
キノコ狩りも原生林に分け入って行くので、常に熊や野生動物との遭遇を心配しているが幸い今までは何もなかった。熊に注意と言われてもある程度の心得はあるが実際遭遇したらどうしていいか分からない。山野井氏は蹴飛ばしたら逃げて行ったと言っているというが、運がよかったのか、熊さんも世界屈指のクライマーに敬意を表して立ち去ったのか、いずれにしても怖い話だ。
親子の熊さん、危害を加えるつもりはないんだから襲わないでちょうだいね。何ならもし欲しいんだったらマイタケぐらい分けてあげてもいいからね。
9月13日(土)
バーコード第2弾
五木寛之
8月28日付本欄でバーコードのことを書いたが、その続編なのだ。
入間市は郵政民営化に伴い、人口15万人市であるにも拘らず本局がなくなり、狭山局に統合されてしまった。もちろん不便極まりない。料金受取人払い郵便物の申請をするのも狭山局だ。それはいいが、郵便物の表面に受取人払いの表示と番号、バーコードなどを印刷するのだが、それが今まで通りに制作したにも拘らず現物見本が機械にはねつけられ不合格になったが、バーコードは意味がなく、他の設定が適正であればなんら問題なかったことは書いた。
さて、最近また料金受取人払い封筒の注文を人口5万人強H市某市議会議員からいただいた。作業は全く前回の狭山局の時と同じである。持参された用紙に記載されている条件通りに各項目を忠実に版下制作した。
ところが異なるのはその先だ。H市郵便局は現物見本提出は必要なく、制作した版下をFAXで送ればよいと言うのだ。ご存知のようにFAX送信では微妙に原寸と違うことが多い。それでもOKだという。もちろんその通りにしたら、先ほどこれでOKですという丁寧な返事を頂いたところだ。
狭山局は現物見本3部を提出せよということで非常に手間が掛かるが現物を提出した。それがバーコードの機械にチェックされてNONが出てしまったわけだ。
おかしいぞ民営化郵便局。放送デジタル化が利権の温床ではとさすがにと騒がれだしてきたが、細かいことだが郵便バーコードも利権か?郵政民営化の権化、小泉さーん、狭山局とH市郵便局の受取人払いの基準を統一して下さいよー。

バーコードで連想することと言えば、そりゃあ何と言ってもヘアーですよ。ヘアーって言って連想するのはもちろんあそこのヘアー、そう、頭髪ですよ。
わが青春の五木寛之氏が週刊ポストで眞鍋かをり嬢と対談していた。な、何と、今や、ななじゅうごさい!75歳とはとても見えない風貌。驚くのはその髪の毛の多さなのだ。まさかカツラ?と疑うのは無理もない多毛。年相応がどのくらいか、基準があるのかないのか分からないけれど、あれは病気だよきっと、多毛症!と思って読んでいたら氏は昼夜逆転の生活をしているというのはまあ理解できないでもないが、洗髪は年に4回程度だと言っている。以前は盆暮れの2回しか洗ってなかったが、今は4回も洗っているので堕落したとまで言っているのだ。世界中を歩き回っていて、放浪者とか洗髪していない人たちに禿頭はいないと結論付けたのだと言う。なるほどそうか、洗髪してはいけなかったんだ。世に常識の嘘と言うものがまかり通っているがこれもその類かな。洗髪は毎日、シャンプーつけて指の柔らかいところでやさしく洗いましょうなんてのは嘘なのか。
かなり前、コンクリート工学だかの権威の確か後藤何とかいう教授が、原始の時代には洗髪などもちろんなく、雨に打たれ、陽に痛めつけられ、木の枝に引っ掛け傷だらけ、そういう時代にハゲはいなかったとか言って、頭を血が出るほど痛めつけ刺激を与えたほうが髪が生えるとか言っていたのを思い出すが(やってみたが効果はなかったぞ)、髪を洗わないだけなら簡単だ。もう金輪際洗髪はやめるぞ!(洗髪する髪がまだあるのかって?失礼な!)なぁに、臭ってきたら夕立かなんかに打たれればいいのさ。もう誰かさんとデイトする齢でもないしね。
で、でも、鈴木京香かなんかとダンスする機会があったら、やっぱり洗っちゃうだろうなあ。
無洗米じゃなかった、無洗髪でよみがえる黒髪!臭くてもこれでいいのだ。皆様期待してちょうだい。
9月5日(金)
コマネチ改竄
職住接近で徒歩何分の環境にあるので、割合朝はゆっくりとしている。
例によって朝食を摂りながら各テレビ局のチェックだ。今朝の各局はやはり自民党総裁選がらみの報道が多いが、他にも芸能やらスポーツやらと盛りだくさんで、当然各局ともほとんど同じ内容だ。
芸能ニュースで、フリーアナウンサーの渡辺真理の結婚発表会見の模様を報道していた。同席していたのがビートたけしで、相変わらずの毒舌を吐いていたのには笑わせられた。インタビューの最後に記者がたけしに例のコマネチをやってくださいと要求されて、サービス精神旺盛のたけしはすぐ例の格好をやって見せたが、さてそこで問題なのだ。何が問題かというと、フジテレビに改竄疑惑があるということだ。
日本テレビではこの会見の模様を長々と放映していて、例のたけしのコマネチのギャグも当然放映したが、何と、(って言うほどのことでもないが)、たけしは「コマネチ!」と言わずに「前方後円墳!」と言っていた。当然「コマネチ!と言うと思っていたので、意味はよく分からないが、なんとなく笑わせられたのであった。
リモコンでしょっちゅうチャンネルを変えているオイラは、フジテレビももちろん見た。こちらは小倉智昭の番組で同じ会見を短時間放映していたが、たけしの同じシーンは「前方後円墳」でなく違う声で「コマネチ!」と入れていた。これは明らかに発言内容の改竄だ。たかがお笑いと言っても、いまや世界のたけしだ。しかも、言葉はもちろん芸の最も大事な部分で、アドリブで瞬間に発したものでもそこには深い計算がされているのかもしれない。
世界のたけしに限らず、我々ただの人の発言でも勝手に違う言葉に吹き替えて変えていいのか、いやいけないぞ。
これは偽装、改竄だ。マスゴミは坂本竜馬ゆかりの寺田屋が偽装遺跡だなどと追求する前に、自らの襟を正さなければいけないのではないか。
多分マスゴミではこのような発言の改竄ということは日常的に行われているのであろう。百歩譲って、単なるくだらないお笑いの面白くないところを敢えてウケるように変えるのならまだ許せるが、例えば政治家の発言を改竄して報道し視聴者の意識操作をすることなどあってはならないことだ。
ということで、しょっちゅう文句を言いながら、全くオイラもよくテレビを見ているのだ。
今は「コマネチ!」でなく、「浅尾美和!」のほうがいいんじゃないの。
9月2日(火)
バトンリレー
有力チームが次々失格したとはいえ、北京オリンピックの4×100mリレーで銅メダルに輝いた日本チームは歴史的快挙を成し遂げたと言っていいと思うが、そのとき使ったバトンが行方不明になっていると今頃言っている。
銅メダルが決まった瞬間、アンカーの朝原選手はあまりの嬉しさからか、何かを高く投げ上げていたので、「あれ、バトンを投げたのかなあ、日本陸上界歴史的なリレーのバトンは当然記念として残しておくべきなのにそれとも、バトンって各チームが貰えなくて、オリンピックの組織の物なのかなあ、それにしても誰かに当たったりしたら危険だし、他の誰かが拾って私物化してなんでも鑑定団にでも出したら高い値が付くぞ」」と思ったものだった。
茶の間でのんきに応援している我々はそのときの朝原選手の喜び、興奮状態は分かるが、バトンを投げるのは、「ン?」なんて思ってしまったが、当事者にしてみればその時はとにかく喜びを爆発させるのに思わずバトンを高く投げ上げてしまったのだろう。早く見つかるといいが。
リレーというのはバトンやタスキを次の選手に継げて行かなければ失格になってしまうので、時として有力チームでも脱落したりするので面白い。
安倍お坊ちゃんからバトンタッチした福田お坊ちゃんはやっぱり同じように唐突に政権を投げ出した。考えてみればバトンタッチと言うけれど、政権ではバトンをタッチしたりリレーするのを見たことがないし、一体何をリレーしたんだか分からない。従って投げ出す物も朝原選手のように明確にバトンという物ではないので、まあ、なるようにしてなったということなんでしょう。(何を言ってるんだか書いてる自分も分からない。)
福田お坊ちゃんの気まぐれ記者会見で最高の言葉はやはり最後の一言の「私は自分自身を客観的にみられる、あなた(記者)と違う」というくだりでしょう。自分を客観的に見ているというのは全くその通りで、「諸般の事情や帰し方を考えるとこれ以上やっていたって仕方がない、国民のことより自分自身のことのほうが大事だ」と考えたんでしょう。
それともこれ以上自分がやっていては国民に迷惑がかかると思ったのかもしれない。それならある程度偉い!とも思うが、自民党政権が続くのが国民にとって迷惑なんだからそれも違うか。
小泉氏、安倍氏、福田氏と続いた権力者に共通するのはすべて世襲議員で、これは想像だが、多分親父の代議士枠かなんかで私立大学に入り、イギリスかどこかに留学させてもらい、その後代議士になった生活の苦労知らずのお坊ちゃんなのだ。
お坊ちゃんはいやになるとすぐ投げ出すからね。
しかし自民党のしたたかなところは、ここで総裁選を派手にぶち上げ、マスゴミの手を借りて新政権の支持率を上げ、間髪をいれず総選挙に打って出る、そしてまた国民はだまされるというのを狙っていることだ。
それでも参議院は野党が多数なので今と同じ状況は変わらない。ここはひとつ早く野党に政権を渡した方が国民のためだと思うが、どうなることやら。
リレーは国民が喜ぶようなメダルを取れるように正しく正確に行いましょう。
そういえば麻生自民党幹事長、民主党小沢代表も世襲、私立大学、留学、代議士のお坊ちゃんだ。しかも小沢氏は結構怒りんぼみたいだ。
良い悪いは別にして田中角栄氏が懐かしいのだ。
8月28日(木)
バーコード
バーコードというと、どうせ髪のことを書くんだろう、中曽根か?竹村か?古いぞ、なんてお思いでしょうが、そうではなくて正真正銘のバーコードのことなのだ。
はがきや封筒の料金受取人払いは申請すると番号を割り振られ、同時に郵便番号とバーコードを与えられる。それを返信宛名側に印刷するのだが、印刷する前に郵便局に見本を提出しなければならない。こんなことは民営化の前も後も同じで、手続きが非常に非合理的で相変わらず官僚的対応なのは変わらない。
それでも申請したり手続きするのはお客さんで、こちらは言われた通りにすればいいだけなのでそうするのだが、今回は、入間局は狭山局に吸収されてしまい郵便番号もバーコードも入間局時代とは違うので改めて与えられたバーコードをスキャンして版下を作り、指定通り実際使用する封筒で3部見本を作製したのでありました。
ところがその見本をお客さんが郵便局に持ち込んだところ不合格になってしまったのである。そんなバカな、今まで長年やってきたけれどそんなことは一度もなかった、今回もこちらは指定通り作ったのに、と言っても駄目なものは駄目なのだが、その後がよく分からないのだ。バーコード読み取り機にかけると不合格になってしまうが、バーコードは読み取れなくても他の設定がOKなので別に直さなくていいですよということなのだ。しかしそれでは制作したこちらの気がすまない、一体どこに不都合があったのかと担当者に直に訊いたのだが、それが担当者もよく分からないと言う。とにかく機械が不合格と言っているのでダメだと言う。そしてやはり、そこは駄目でも他で読み取るので別に直さなくてもいいと言うのだ。
それじゃバーコードなんて要らないということじゃん。ここでつい「じゃん」なんて言葉が出ちゃったよ。
結局どこをどう直せばいいのか皆目分からず、それでもいいというのでそのまま印刷して納品したのだが、一体これってどう解釈すればいいんでしょうねえ。
バーコ-ドって本当に必要あるのかなぁ。日常的に利用しているのかなぁ。
スーパーのレジに行くと商品を機械で読み取って料金などがすぐ打ち出されるので体験的に分かるが、郵便局の中には入ったことがないので分からない。なんだか利権の臭いがするぞ。郵便番号も年賀状の季節になるとアルバイトが手作業で宛所を仕分けしているシーンがテレビで放映されたりしているが、これも本当に必要なのか?利権の臭いがするぞ。
地上デジタル?オイラのところはアナログで十分だよ。何、選べないって?何が何でもデジタルじゃなきゃ見られないって?臭いどころか利権がボーボー燃え盛ってるぞ。
住其ネット?何だそれ。そんなのもうちは必要ないよ。そんなの利用したことないし、誰か利用の仕方知っている人いるのか?利権の最たるものなんじゃないの。
個人は一滴の水も節約しながらせっせと税金払っているのに、日本の大きな無駄金は一体どこへ消えるのか?
おじさんはこんなことでいつも怒ってストレスが溜まっているので、機械も櫛も引っ掛らないくらいのスカスカバーコードになっちゃったよ。
郵便局、バーコード、利権の三題噺の一席でした。
8月25日(月)
星野ジャパン
・新体操
喧騒のオリンピックが終わり、ホッとしたような、残念なような。
プロは結果が問われるから、監督個人のチームじゃないのに星野ジャパンなんて気取っちゃったはいいが惨敗に終わった野球(他にもそんな競技があったなぁ)は、マスゴミに袋叩きだ。あんなに持ち上げて、金メダル確実だなんて言っておきながら悪い結果が出ると手のひらを返したように非難するのはマスゴミのいつものやり方だがプロだからなんと言われようと仕方がないか。
この欄のどこかでずっと以前にも書いたが、そもそも星野氏を監督に選んだのが負けの始まりで、しかもコーチが山本浩二氏と田淵幸一氏とあっては戦う前から負けたも同然なのであった。それでもオイラの予想は銅メダルだったから、あれだけのメンバー揃えて戦ったのに勝てなかったんだから日本は弱いという一言だろう。観客が「日本の野球はこんなものなのかよ!」って野次っていたけど、そんなものなんだよ。

わが町内にある東町小・中学校の卒業生の原千華選手が出場する新体操の結果は残念だった。何しろ東町小、中学校といえばオイラの家から見えるほど近く、しかも他に皆無と言っていいオイラの肩書きの中で、この小中学校だけは恥ずかしながらPTA会長の経験者なのである。東町中学なんて、オイラが初代会長だもんね、どんなもんだい、どんなもんでもない、あ、そう。そう言えば他にまだ会長の肩書きがあった、会員3名くらいの野外ずりだし研究学会会長。
そんなことはどうでもいいのだ。その原千華選手が出場する新体操はなかなか放映されなくて、他の競技の後の深夜とも言っていい時間だったから、結局翌日のニュースで知るばかりなのであった。残念ながら予選敗退だったが、それはそれで良く頑張ったと思う。いつも言っているがオリンピックに出るだけでも常人とは違うからね。
その競技の結果はさておいて、驚いたのがその新体操の選手の化粧メイキャップって言うのかな?。ものすごい化粧で、まるで歌舞伎の隈取だ。みんな同じ隈取だから、石川五右衛門が大勢いるようだ。だれが原千華選手か分からない。他の国の選手はさすがにそれほどすごい厚化粧ではなかった。みんな美人なんだからあれほどの酷い!メイキャップはかえって採点にマイナスだと思ったが、どうでしょうねぇ。選手がかわいそうになるくらいのメイキャップ。
シンクロの選手も結構厚化粧で、競技後の素顔のほうがホッとするような美人であった。
新体操や体操、シンクロなどの、特に女子の採点競技はきっとメイキャップや化粧やコスチュームも採点に入っているに違いない。日本は演技よりもメイキャップで負けたと思うのだ。
コスチュームやユニフォームは各競技千差万別だが、バドミントンのオグ・シオだって新しいユニフォームを着けた時恥ずかしがっていたくらいなのに、よく分からないのは何と言っても女子ビーチバレー(男もあるの?)のビキニなのだ。あんなに露出する意味あるのかね、あるんです、男が喜ぶためです。なんでもビキニの幅も決まってるらしいっていうから驚きなのだ。いつ脱げはしまいかと思って選手も本当の実力を発揮できないんじゃないの。脱げたら脱げたで本当は貧弱な胸だったり、ヘアーも念入りに剃っていたりするのでのっぺらぼうがばれちゃうってんでそれはそれでやっぱり恥ずかしいしね。
見てる方だってハラハラ心配するやら期待するやらみんな複雑な表情で、応援にも身が入らなくて、脱げた瞬間を見逃すものかと血眼になって、ボールの行方なんかそっちのけで選手の身体だけ見ているという、何とも不思議な競技なのだ。ああいうのがよくオリンピックの種目になっているよね。
野球よりいいか?道具も安上がりで、下着とネットとビニールボールがあれば出来るしね。
ビーチバレー、前にも書いた事があるような気がするなぁ、じゃなくて書いたなぁ。やっぱり気になる若いオイラさ。
8月18日(月)
オリンピック
マスゴミは中国や日本の問題点に目をつぶってオリンピック一色の感がするが、五輪以外にもまだインターハイは開催されているし、プロ野球も我が広島カープが何とか5割定着を狙って調子を上げてきていたり、浦和レッズを代表とするJ1、J2のサッカーも頑張っている。高校野球だって熱戦展開中で、今日決勝だ。ちょうど五輪に重なった他のスポーツ、特にインターハイは報道が少なくて気の毒だが、まさにスポーツの夏真っ盛りだ。
新聞やテレビの翌日の報道は結果報告だけでなく、何とか読者や視聴者の興味を持たせようと、相変わらず”感動秘話”を探し出さなければいけないから大変だ。その点あのレスリングの浜口親子などはどこのマスコミも扱いやすくて助かるんではないか。それにしても親父のアニマル浜口、うるさすぎる!。
テレビの番人をしているとリモコンの有り難さが分かる。オリンピック観戦ではあちこちチャンネルを変えていろいろな競技を見ることができる。今回から始まった陸上女子3千メートル障害、テレビで横になりながら勝手なことを言って観戦していると気楽なもんだが、相当ハードな競技で、途中転倒した選手は足が痙攣しているようで結局その後走れず棄権したようだ。ゴールした後も各選手なかなか動けないでいた。短距離と違って黒人は割合少なく、白人が多かったのも意外だった。1周400mにハードルが3箇所(?)、水濠が1箇所設置されていて、それを高速でクリアーするのは、見ていると楽そうだが、実際はめちゃくちゃ過酷なようだ。
3千メートルなんて長距離でなく、1千メートル位でいいからいいから、小学校の運動会にある障害物競走のように、ネットを潜らせたり、梯子くぐり、平均台上走り(もちろん落下したら最初からやり直し)とか、さらに借り物競走も合体させて途中に置いてある紙に書いてある物を場内から借りて一緒に走るとかしたら今以上に盛り上がるのになぁ。選手は大変だ、中国語で書いてあるから何がなんだか分からず、「手紙」なんてのに当たった日本選手は「しめた、手紙なら誰か持ってるだろう」なんて何とか探して持って走って、ハードルには足をぶつけて血だらけになるわ、水濠では倒れて全身水浸し、おまけに水を飲んじゃって腹はガポガポ、梯子は日本人はお尻が小さいからすんなり潜れたが平均台なんて脚がふらついているから5回も落下、そのたびにやり直して挙句の果てに顔を台に強打してまるでお岩さん、死に物狂いで完走し1番でゴール!「やった、金メダルだ、天国のおかあさーん、やったよ」なんて涙流して喜んでいたら、実は手紙というのは中国ではトイレットペーパーのことで、あえなく失格というね。
パン食い競走
とか、飴探し競走なんてのも障害走に合体させたら超面白いんで、ゴールしたら黒人も白人もみんな真っ白で人間皆平等なんてね。イカ墨の中に飴を入れといて全員黒人になるのもいいぞ。こういう競技なら誰でも優勝する可能性があって、それこそ参加することに意義がある五輪なのだ。
まあ、とにかく想像を絶する練習を経て4年に一度の五輪に出るアスリートたちは賞賛に値するのは確かだ。またまた勝手な素人の希望だが、野球やソフトボールは確かに他の競技に比べて見ていてつまらないし競技国も少なくて今回で終わりというのもうなずけるが、その代わりに、やはり運動会には付き物の綱引き(昔は実際に競技にあったらしい)と玉入れは加えて欲しいなあ。
オリンピックは運動会じゃないっちゅうの!
8月11日(月)
路上パフォーマンス
たまに上京するといろいろな場面に出くわす。
9日は板橋にあるわが母校の高校へ同窓会報の取材で行った。いつものことだが4人で池袋で軽く(でもないが)飲んで、これもいつものことだがほろ酔い加減で入間市の駅に降りた。
通路を歩いていると若者たち数人がなにやら路上でパフォーマンスをやっていた。取材に行った帰りなので当然デジカメを持っていたオイラは、すぐに取り出しパチリとやったのが掲載写真である。
写真家の梅佳代さんの影響を受けたわけでもないが、若者のエネルギーを写すのはなかなかいいものだ。
この若者たち、アルコールを飲まず、ソフトドリンクでパフォーマンスだ。高校生かな?オイラ達おじさんより健全だと思った次第なのだ。今後の人生いろいろあるよ、頑張れ若者たち!ただし、時には頑張るな、とも付け加えておくのだ。

北京五輪でママの柔ちゃんが負けて銅メダルだった。オリンピックに出るだけでも快挙なのにメダルをまたまた取ったというのは驚嘆すべきことで誠に立派、賞賛すべきことである。
ただし、金メダル確実といわれていて臨んだ大会、残念に思う人も当然いるだろう。その代表格が五輪代表選考委員だろう。谷選手は選抜体重別柔道女子48キロ級試合決勝で山岸絵美選手に負けていたのだ。勝った山岸選手でなく負けた谷選手が五輪代表に選ばれたのはすっきりしない印象があったが、責任はもちろん谷選手にあるのではなく、当然谷に金を期待して敗者を選んだ選考委員にある。五輪代表選考はもう少しすっきりしたやり方が望ましいのである。
それにしてもいつも言っているが今のジュードーは柔道じゃないね。両選手が猫がじゃれている格好をしていると勝負が付いたんじゃ、これからは投げや寝技の練習はしなくていいから、猫をコーチに招いて猫じゃらしの練習をするといいのだ。
日本は国際柔道から早く撤退して、伝統の日本柔道に戻るべし。
8月4日(月)
悼・赤塚不二夫
赤塚不二夫氏が亡くなった。非常に残念なのだ。
赤塚作品の中に出てくるキャラクターはいろいろあって、すべて好きだけれども、その中で選りすぐって挙げるとなると、ウナギイヌ目ん玉つながりのお巡りさん、それに花山カオル先生だ。
ウナギイヌは犬のお父さんとウナギのお母さんから生まれた言葉を話せる珍妙な生物で、なんともとぼけた愛すべきキャラクターなのだ。目ん玉つながりのお巡りさんはやたらとピストルをぶっ放す物騒なおまわりさんだ。何しろ交番勤務で暇なので「ピストルでも撃ってみるか」なんて言って本当にバンバンぶっ放してしまうめちゃくちゃなお巡りさんだ。このお巡りさんがウナギイヌを狙っていて、蒲焼にして食べてしまおうとするからウナギイヌは逃げ回っているのだ。
花山カオル先生というのは非常にロマンチックな美しい文章を書く小説家だが、美意識が普通の人と正反対で、普通の人がきれいだと思うものは汚く、汚いと思うものがきれいと思うおかしな人物なのである。「ロココ調のベルベットのカーテンが緑の風にそよぐのを見るだけで、悩み多きジュリエットの瞳は潤んで来るのであった」みたいな文章を書いている花山カオル先生の仕事部屋はものすごい散らかし放題で、ごみは投げ散らかし、そこらへんには魚の骨だとかとにかく汚いことこの上なく、そういえば猫の死骸なんかも転がっていたりしたなあ。ある時、出版社の花山カオル先生の担当者だかファンの女の子だかが、たまたま先生が留守の時に部屋のあまりのすごい汚さに勝手に掃除をしてピカピカにきれいにして整理整頓してしまった。そしたらその後花山カオル先生の書く文章は恐ろしく汚くなってしまい、ウン○とか、とにかく読むに耐えない汚い言葉が並んでいたというね。
あと、キャラクターではないが、セリフ「ホッカイローのケイコたーん」と叫ぶシーンが何かに出てきたけれど、これもいい。最初は藤圭子をイメージして言ったセリフだと思っていたのだが、そうではなくて、フジオプロのスタッフに北海道のけい子さんという人と付き合っている人がいて、なかなか会えないので時々「北海道のけい子さーん」と叫んでいるという実話から生まれたギャグらしい。
あ、そうそう、大事な最も愛すべきキャラクターを挙げるのを忘れていた。「ハタ坊」だジョー。頭に日の丸の旗を立てて足をバタバタさせている、ちょっとおつむが弱そうなハタ坊、喜劇的、落語的少年、好きだジョー。
まだまだある愛すべき赤塚ギャグやキャラクター。オイラは、単行本でなく、少年マガジンだか少年サンデーに毎週掲載される天才バカボンのページだけを切り取って集め、それを自分で製本したものを今でも持っている。久しぶりにそれを読んでみようと思う。
オイラのHPの他のページの文章にも「~~なのだ」というフレーズがやたら出てくるが、これは赤塚不二夫の影響なのだ。
冥福を祈るのだ。
8月2日(土)
税金の使い道
地震、雷、火事、風水害、疾病や通り魔、戦争、貧困等々の自然的・人為的災厄に地球は満ちている。まさにcalamity planetだ。
散々言われた事だが先日も先進国の首脳が集まってキャビアにフォアグラ、ステーキに高級ワインで貧困問題を論じても何の解決にもならなかったし、原油高騰の原因である投機マネーの規制についても何の効果的対策も取れないという情けなさだから世に災厄は増すばかりだ。
この災厄に満ちた地球を見限ったわけでもないだろうが、日本も宇宙ステーションに参加して宇宙飛行士を送り出している。この宇宙開発が一体いつ、どのように我々の生活に役に立つのか立たないのかさっぱり分からない。現実に地震や水害にあって困っている人はたくさんいるわけなので、100年後に役に立っても意味がないのである。その時には日本は滅びて無くなっているかも知れないし、地球も危なくなっているかも知れないからだ。
マスゴミは宇宙へ旅立つ日本人飛行士を喝采して取り上げているが、それこそ天文学的な額を我々の税金から拠出していることに少しの疑問も感じないのだろうか。
要するに、宇宙へ行く金があったら地球の為に使いなさいと言いたいのだ。宇宙へ飛び立つ余裕など無いはずなのだ。宇宙へ行って地球の美しさに感動したなんて言ってる場合じゃないんじゃないかと思うのだ。
日米露は宇宙開発に要する額を安全安価な石油代替燃料の開発等の地球的問題の解決に使おうという発想は無いのだろうか。地球から災厄を除く方策に金を使おうという考えは無いのだろうか。
最近、宇宙飛行士の話題が出るといつも思っているのである。税金の無駄遣いだと。
その昔、「シャボン玉ホリデー」というテレビ番組で、ハナ肇演じるお父っつぁんが病気で寝ていて、ザ・ピーナッツが「お父っつぁん、お粥ができたよ」「すまないねぇ」なんてコントをやっていたが、雨漏りのする寒風が入ってくるあばら家で医者にも行けずツギハギだらけのせんべい布団で寝ている病気のお父っつぁんの横で娘が、「お父っつぁん、今日はやっとお粥が食べられるよ、お隣からお金借りてきたからね」「済まないねぇ、おっ母さんが逃げなくて、お父っつぁんさえ丈夫なら苦労かけないのにねぇ」「ううん、いいのよそんな事、それよりアタシ、明日からハワイに行ってくるからあと頼んだよ」みたいな事なのである。おまけにそこの家には巨大液晶アクオス亀山モデルがドーンと置かれていたりして。
税金の無駄遣いといえば、福田改造内閣が「安心実現しない閣」にならないように、税金の使い方をしっかりと監視しなければいけない。
7月28日(月)
長沢秀之展
26日の土曜日の午後あんまり暑いので芸術鑑賞に行って来た。美術館は涼しいから、というわけではなくて、わが中学時代の同級生、今をときめく現代日本画壇の中堅と言うのか、大御所と言うのか、何て言えばいいんだ、何しろ知る人ぞ知る長沢秀之君の特別展が川越市立美術館で開かれていて、先日わざわざ招待状まで持って来てくれたので同級生と連れ立って行って来たのである。
その昔の中学生時代、野球部にいたオイラは川越初雁球場で二市一郡野球選手権大会を戦って、見事優勝した経験があるが、その球場の隣にあるのが美術館と博物館で、さすがは歴史と文化の町川越だとまず感嘆し羨ましく思ったのでありました。
最近はなかなか美術館にも足を運ぶ機会がなくなっていたが、たまには芸術を鑑賞しなくては駄目ですねというのが彼の絵を見た感想で、評価はとても私ごとき素人がするべきではないしできないが、漏れ聞こえてきていた彼の評価は実際目にするとその意味が分かるような気がした。
彼が来た時に下世話な話題で、「絵描きさんは仕入れがないのでこんなに諸物価が上がっても困らないからいいね」などと軽口を叩いたのであるが、彼曰く「絵の具が高価だから結構大変なんだよ」と。確かに色鮮やかな青の絵の具を惜しげもなく?使った大作などを見ると、同級生の気軽さもあって、うーん、やっぱり絵の具だけでも高そうだ、などというなんとも締まらない会話になってしまうのでありました。
川越市立美術館特別展「風景からフウケイへ 長沢秀之展」は9月7日まで。お奨めです。
7月7日(月)
偽装間欠泉?
5日6日と埼玉県西部印刷工業組合の研修親睦旅行に行ってきた。団体旅行は久しぶりで、今年は入間地区が担当幹事なので、一応義務は果たさなければいけないので行って来たのである。
宿泊は長野県上諏訪温泉、千人立ち風呂で有名な片倉館のすぐ隣のホテル詐欺の湯。じゃなかった、変換ミスです、ホテル鷺の湯
団体旅行のお昼はベルトコンベヤー式で、ただ腹に詰め込むという感じ、しかもどうしてああ不味いのか、てなことはさておいて、今日のカラミは間欠泉の話。
上諏訪温泉には日本有数の間欠泉があり、かなりの高さまで噴き上がるというバスガイドさんの説明があった。時間の都合があるので間欠泉センターの中までは入れず、またそこにあるという露天風呂にも入れないとは思ったが、間欠泉は外からも見えるということなので、宴会が終わったらのんびり散策をして眺めに行くかという心積もりでいた。
ところが、宴会が終わり、さて間欠泉でも眺めに行くかということになって、フロントに電話して場所を聞いたら、なんと夜は出てないという。朝も10時からで、それまでは噴き上がらないので外からも見えないという。おかしいぞ、それって偽装っていうか、なんじゃないの?間欠泉というのは今までのオイラの知識では、一定の(あるいは不定も?)間隔をおいて噴き出てくる温泉だったはずだ。それが夜は出ません、朝は何時からですなんて、自然って、そんなに都合よく人間様に合わせてくれるのか?それとも人間が自然に合わせているのか。
調べたら、どうも噴き出す時間(噴き出るではなく)を人工的に操作しているらしい。かつては噴出していたが現在は涸渇して出ないので、観光客目当てに公園の噴水式に圧力をかけてやっているということなのだろうか。
一定の間隔で自然に噴き出ているのであればそのままにしておけばいいことであって、かなりの勢いで噴き上がる温泉を夜の時間は止めて置くというほうが技術的財政的に大変だと思うがどうなのだろうか。
食品に限らずまだまだ偽装列島の日本だが、この間欠泉はどう理解したらいい?
旅行に行くといろいろなことがありますねぇ。この旅行の模様は別ページに後日掲載します。
6月21日(土)
地球温暖化防止
死に神
最近政権与党は何かと言うと「ではその財源はどこから?」と言い訳して、何もやろうとしない。さすがに地震による不明者の捜索や土砂ダム決壊予防の排水工事や土嚢積みその他緊急事態には財源は?とは言わない。当たり前だ。が、一段落した後の生活支援には財源不足をいい訳に絶対うやむやにしてしまうよ、きっと。
財源は国民に迷惑をかけないで何とかひねり出すのが正しい政権与党のやり方だ。
また、特にマスコミは、自ら24時間テレビだ何だと言ってものすごい量のCO2を排出しておきながら地球温暖化防止のためと言って何でもかんでもCO削減に結びつけ国民に犠牲を強いる。まあ、それはそれで節約生活をするのはいいことだが、謂わば困った時の「財源不足」、困った時の「地球温暖化」が権力者や金持ちの常套文句だ。
さてそこで、どうでもいいような超細かいことだが、一応何でもCO削減に結びつける風潮にならって、オイラも前から気になっていたことがあるので指摘してしまうのだ。
テレビやラジオで電話番号やFAX番号を言うとき、東京の場合は必ず「東京03-0000・・・・」と、「東京」を頭につける。いまや電話交換手が出て呼び出しで電話を繋ぐ時代じゃないんだからわざわざ東京と言うことはないと思うんだけどなぁ。第一、電話するとき「東京」というボタンはどこにもない。しかも「埼玉04-0000・・・」なんて絶対言わない。なぜ東京だけ必ず言うんだろうか。
何か深ーい訳があるのかも知れないが思いつかない。多分単なる意味のない習慣だと思うけど。
その「東京」と毎回言う事がかなりのCO排出になるとすると・・・!。地球温暖化防止のためにアナウンサーよ、電話番号の前に「東京」をつけて言うのはやめよう!「東京」を省略しよう、節約しよう!
これで日本中でどのくらいの量のCO排出量が毎日削減されるのかと思うと、我ながら今日は良い指摘をしてしまった。
それよりこんなHPやめたほうがよっぽどCO削減に貢献するって?ま、それもそうだね。

最近鳩山法相が死刑を立て続けに執行しているので朝日新聞が鳩山氏を「死に神」と揶揄したことに当の鳩山氏は激怒しているという。またその兄の由紀夫氏も「弟は死に神ではない。私も死に神の兄と呼ばれたくない」と言ったそうだ。
バカバカしい話題だ。彼らの死に神論争より、円生の落語「死に神」の方がよっぽど愛嬌があってよろしい。落語の話題に振って「私はシーさんと呼ばれたくない」(落語「死に神」で、死に神との約束を破って死の宣告をされたにわか医者が死に神に媚びへつらって呼びかけた言葉)とか何とか言えば大した者だと感心もするが、それもないようだ。それとも聞いたことがないのかな。もっとも死刑執行当事者や関係者はそれどころではないだろうが。
鳩山法相は良かれ悪しかれ何かと話題を作るのが上手な人のようで、「友人の友人はアルカイダ」という名文句を吐いた。これでいくと、オイラの知人の知人は死に神ということか。
6月19日(木)
死刑執行
1923年(大正12年)関東大震災のどさくさに紛れて、甘粕大尉は大杉栄と伊藤野枝とその甥を殺害し古井戸に投げ込んだ。
一方2008年6月17日、岩手・宮城内陸地震で土砂の崩落や建物の崩壊による行方不明者の懸命の捜索が続く中、鳩山法相は宮崎勤他2名を死刑に処したと発表した。秋葉原での衝撃的な事件で国民の死刑に対する感情が容認を是とするのが大勢を占める時期を狙ったのではないかという説もある。
今回の大地震の加速度(この意味がよく分からないが)、国内最大の4000ガルを超えているというが、鳩山法相の死刑執行もまさに国内最大級の加速度で行われている。法相は法に基づいて粛々と執行する旨を述べている。確かに刑事訴訟法では法相は死刑確定後6ヶ月以内に執行命令書を出さなければいけないとされているが、それでは100人を超える死刑囚の大部分に在任中に執行命令を出すというのだろうか。それが遂行されないなら、結局は鳩山法相も法に基づいてはいないわけで、しかもなぜ今回はこの3人なのか理由が述べられていないのでは自らの気まぐれでサインしたといわれても仕方ないのではないか。
個人的心情で執行命令を出さない法相も存在したし、斯くも死刑という国家による殺人は、来年裁判員制度が導入されるにあたって、一般国民にとっても重大な事柄だ。
精神科医の斉藤学氏が東京新聞のコラムで秋葉原事件に触れ、誰でも加害者になり得ると書いているが、宮崎勤事件もその通りで、あの事件以降同じような事件が繰り返されている。
宮崎勤には異なった3通りの精神鑑定が出されており、結局残虐な加害者になるかならないかの分かれ目の原因は分からないままになってしまった。死刑に値する犯罪を犯しました、はいそれでは死刑ですといって簡単に執行されては社会や個人の病理を抉り出すことはできない。同じような事件は繰り返される。
終身刑で社会や遺族に償い、犯罪に至った原因を解明することこそ今刑法に求められていることだと確信する。ただし、遺族が死刑執行を望み、遺族が自らの手で行うことには赤の他人は口出しできないことだ。
繰り返すがやはり死刑は存続し(遺族による執行のみ認める。確定後から執行までの期間は再考の余地あり)、なおかつ終身刑の導入も必要だと思う。
6月10日(火)
6/2の続き
冤罪死刑囚を扱った米映画「グリーンマイル」(トム・ハンクス主演)が先日民放テレビで放映されたので見た。物語は米国大恐慌時代の1935年、人種差別盛んな南部のコールドマウンテン刑務所を舞台に、そこに送られて来た超能力を持つ黒人死刑囚と看守の心の交流を看守の回想で綴る。グリ-ンマイルとは処刑室に続く緑色の通路のことだそうだ。
今から70年以上も前の人種差別盛んな頃は冤罪で処刑された無実の囚人も多かったろうと推測されるが、現在でも差別や冤罪が一向に無くならないのはアメリカだけでなく、日本においても同様だ。つい最近も鹿児島で選挙違反事件で冤罪が認定され被告が全員無罪を勝ち取ったし、富山の強姦冤罪では真犯人が現れたから無実が証明されたがそうでなければ一生汚名を着せられるところだった。
いずれも強引な取調べで無理に自白させられたところから起こった事件であり、これが死刑に値する重大事件だったら取り返しの付かないところだった。
裁判は有罪無罪に限っても100%正しい判決が出るとは限らず、冤罪の場合取り返しがつかないというのも死刑廃止論のひとつの論拠となっている。
死刑廃止論は冤罪の危惧だけでなく、他にも様々な理由を挙げている。例えば、死刑は国家の行う最も残虐な刑であるから残虐な刑罰を禁止する憲法に違反する。また、殺人は個人であろうと国家であろうと許さないとする考え方もある。
一方死刑存続賛成派は、罪を犯した者は相当の刑罰を受けなくてはいけない、人を殺した者は自らの命で償わなければいけないとする説。特に遺族の立場に立てば殺人に対する死刑は当たり前だという考え方。
現在ではほぼ否定されているが死刑による凶悪犯罪抑止説もある。
さて、裁判員制度が来年始まるが、重大刑事裁判における判決、特に死刑についての論議がかなりなされてきているのは前に書いた。また、死刑存置論と死刑廃止論では現在は存置論のほうが圧倒的に多い。わが国の歴史、文化、宗教、国民性・感情その他を考えればやむをえない面もあるが、しかし我々一般国民が裁判員として赤の他人をこの世から抹殺する死刑判決を下す可能性がある制度が運用される前に、この重要な論議はさらに煮詰めていかなければいけないと考える。
ここで結論である。冤罪の恐れ、犯罪抑止論、遺族・国民感情、国家による残虐刑、死刑と無期刑の量刑の差、等々を考える場合、まず、死刑制度は存置する。が、終身刑も導入するということが望ましいと思う。
佐木隆三氏の「曠野へ」の上告取り下げ死刑囚も、グリーンマイルの冤罪死刑囚も、また死刑を扱った書物を読むと、死刑囚の最後はほとんどの場合非常に落ち着き、自らの人生と犯罪を悔い、最後の瞬間を潔く受け入れる人が多いという。獄中で学習した連続射殺事件の犯人永山則夫も著書「無知の涙」で、無知ゆえに被支配階級の仲間を殺害してしまったと後悔し、謝罪している。
犯した罪の重さは消えないが、死刑囚が犯罪を悔い、穏やかになって、刑を受け入れる人格に変貌していてもなお死刑という究極の刑が必要だろうかという気はするが、そこで考えるのは遺族感情である。
ここまで書いたら、またまた狂気の大量無差別殺人が東京秋葉原で起きた(6/8)。すさまじいばかりの無差別殺人の被害者はすべて犯人と何の関係もない人たちで、遺族の無念さ、怒りは察するに余りある。
死刑廃止論者は死刑における前記の不都合を挙げるが、残虐犯罪被害者の遺族感情の問題にはほとんど触れていない。100%冤罪の恐れのない今回の事件においても、有り得ないことだが、もし死刑回避の場合、遺族としては到底許されるものではないだろう。
光市の母子殺害事件の被害者遺族の本村洋氏は広島地裁一審無期懲役判決後、「犯人を外に出して欲しい、私が殺す」と述べている。また、今回の秋葉原の事件においても息子を殺された父親も、犯人を殺してやりたいと述べていた。この心情は誰も非難できないだろう。
日本では江戸時代、武士階級で仇討ちという慣習が公認されていて、芝居などでも取り上げられむしろ美化されていた事実がある。現代でもその題材が映画などでしばしば取り上げられ、多くの国民の喝采を浴びているように、日本人の心中には仇討ちをよしとする考え方が染み込んでいるようにも思える。あるいは日本人の考え方というより人間としての本能といってもいいかもしれない。
今回の秋葉原の事件や光市の事件のように100%冤罪の恐れのない犯罪については死刑判決も止むなしと考える。ただし、国家権力による刑の執行ではなく、執行は一定の要件を満たした遺族によってのみ行われ得るものとする。遺族の無念さ、報復、仇討ち感情は他人がとやかく言えない性質のものだからである。
私刑ではなく、国家に認められた遺族による執行については何人も非難できないのではないか。すなわち、国家による死刑執行の回避、遺族による報復権とも言うべき執行権の導入である。
遺族が執行権を放棄した場合はどうか、そこで終身刑の適用である。
終身自由剥奪というのはかなり重い刑罰であると考えるがいかがか。加えて可能な限り懲役に服させ、その労働の対価を国家や遺族に還元させれば、犯罪者を国民の税金で生活させているという非難はあたらないと思う。(現行の死刑囚は懲役刑ではないから労務の役には着かないらしい)
今後導入される裁判員制度における重大刑事事件においては、当然取り調べ時の全面可視化は望ましいし、疑わしきは被告人の利益にの原則は遵守されねばならない。一点の疑わしさがあれば死刑判決は回避すべきであるし、その意味においても遺族による執行権の設定、終身刑の導入は必要である。
6月5日(木)
不都合な真実、
防衛医大病院版
知人が所沢市にある防衛医科大学病院に入院しているので、しばしば見舞っている。かなり重大な病気だが、幸い命には別状なく、現在はだいぶ回復して点滴も取れ、食事も普通食になった。最初は狭山市の石心会病院に入院していたのだが防衛医大病院に転院し、最初からだとすでに1ヶ月近くが経つが、この分だともうすぐ退院するものと思われるので一安心だ。
自分はまあ健康だし、近所の町医者にはたまにお世話にはなるが、今まで入院の経験がない。
お見舞いといってもそうちょくちょく知り合いが入院するものでもないので、病院に行く機会というものはそれほどない。防衛医大病院に最近行ったのは数年前、恩師を見舞って以来だろうか。
6月3日午後5時頃に一緒に見舞いに行く知人と航空公園駅で待ち合わせて病院へ。入院中の知人は男性で色気も何にもないし、入院の事実を他にほとんど知らせてないので見舞い客も少なく、たぶん病室も殺風景だろう、小さい花でも持って行ってやるかと思い、病院内入り口すぐ左の一角にある花屋さんで2人で大枚(というほどでもない、もちろん)はたいて買った。
「あいつのことだから花より団子かな」などと言って病室まで行ったら看護師さんに花を取り上げられてしまった。取り上げられたなどといっては失礼なので訂正するが、実は西病棟は花の持込はお断りしているそうなのだ。感染の恐れがあるからということだそうだが、後で聞いたことだが、最近では花粉症が増えていることもあり、病院によっては全棟花の持ち込みはいけないところもあるそうだ。
しかしだ、それならそうと告知があってもよさそうなものなのに帰りにあちこち見回してもその旨の張り紙などはどこにもなかった。しかも、その花は病院の中の花屋さんで求めたのだよ。花屋さんが「どちらの病棟へお見舞いですか、西病棟へは持ち込めませんよ」ぐらいは言ってしかるべきではないのか。少なくとも店先にビラぐらい張って置くべきだ。それとも今の世の中、病院に花を持ってのお見舞いは×というのは常識になっているのかな?いや、やっぱりそれはない、それなら病院の中に花屋などないはずだ。
まあね、その花は入院中の知人の息子が家に持ち帰ってお母様に届けたら喜んでいたそうだから無駄にはならなかったけれど、何か釈然としないお見舞いだったのだ。不都合な真実なのだ。
それに病院のテナント料が高いのか、小さい花でも結構高かった。
そんなことがあったからというわけではないが、帰りにプロペ通りの居酒屋で知人の全快を祈ってちょっとだけ飲んだのでした。一軒だけで終わらないのがオイラはともかく一緒に行った先輩の悪い癖で、「次はどこにする、やっぱりショットバーか?」てなわけでバーを探していたら、通りを歩いていたまじめそうな可愛いお嬢さん二人連れが親切にもその店を教えてくれたのでした。先輩はともかく、オイラの素性がいかもに品格があってやさしそうで教養あふれていたからかなやっぱり、髪の毛は抜きにして、ン、抜きにして?まぁいいか。
そのお嬢さん達が一緒だったらもっと良かったけれど、そうは世の中甘くないのだ、男二人で行きましたねカクテルバー。
どうでもいいけど、いやよくない、カクテルバーの要件はカクテルを作れるのは当たり前で、いい音楽と店の雰囲気、値段もリーズナブル、つまみも気の利いたものでもちろん安いに越したことはない、というところだろうか。ところがそれプラスもっと大事なことに気づいた。それはバーテンの教養の深さ、簡単に言えば話題の豊富さということだ。
若い客の話題には合わせられるのかもしれないが、中年の客にはどうなのか。音楽のリクエスト(ジャズが流れていたがそれもいいがカントリーアンドウエスタンをちょっとやってみてと他のお客にも断ってリクエストした、有線なのでどんなジャンルもあるはずだ)も操作がわからないようだった。
隣に居たお客は一人で来ていて、バーテンと話ができずに退屈そうでこちらと会話したそうだったので出身地から始まっていろいろと話に乗ってやったら楽しそうだった。何しろバーテンときたらそのお客の出身地の新潟県村上市、三面川、鮎、瀬波温泉、〆張鶴などは全然知らないようだった。
一人で来るお客は、もちろん一人静かに音楽を聴きながら飲みたいという人もいるだろうが、何かしら話をしたい人の方が多いのではないかと思う。そんなとき専門的でなくても広く浅い知識でもあればどんなお客とも会話できる。バーテンは知識が豊富なほうがいいぞ、と思った所沢のカクテルバーだったのでした。
(それにしても先輩はちょっと騒がしすぎるが、何しろ覚えてないんだから困っちゃうのだ)
6月2日(月)
5/23の続き
裁判員制度の開始まで1年を切ったこの頃、凶悪事件の裁判の判決が注目されている。
最近では例の三橋香織被告の夫殺害、遺棄事件判決では精神鑑定が責任能力なしと出たにかかわらず東京地裁で懲役15年の有罪判決。また、妹を殺害しバラバラにした武藤勇貴被告に対しては懲役7年の有罪判決、死体損壊については犯行当時心神喪失状態と認定し無罪とした。さらに、市長選の最中に長崎市長を殺害した暴力団幹部に長崎地裁は今までの判例では死者数が一人では異例とも言える死刑判決を下した。それ以前には山口県光市の母子殺害事件の差し戻し審で広島高裁は死刑判決を下した。
いずれも大変難解な事件であり裁判の行方が注目されていたものだが、刑事事件厳罰化の流れを受けての判決あり、マスコミ報道先行の世間一般の犯人に対する心情も勘案しての判決ありで、果たしてこれらの事件を一般市民の裁判員が適正に裁けるだろうか懸念するところである。
裁判員制度については下の23日の欄でも触れたが、いまだに様々な問題点が指摘されているので、是正されていくことが望ましいし、いろいろな機会を得て周知にも努めて欲しいものである。
裁判員制度に絡んで、判決の量刑についての議論も行われ始めてきた。死刑廃止論者の国会議員で組織する「死刑廃止を推進する議員連盟(会長亀井静香氏)」とは別に最近では「量刑制度を考える超党派の会(会長加藤紘一氏)」というのも組織され、死刑と無期刑の間があまりにも差があるので終身刑を創設すべきと主張している。終身刑についても仮釈放ありとなしの両論があり、これまた複雑だ。
世界各国の有罪判決の量刑についてはその国の文化、宗教、歴史、国民感情等々さまざまな事柄を抜きにしては考えられないので、どの制度がいいとはもちろん一概には言えないが、先進国では死刑を廃止した国がほとんどであるらしい。しかも死刑を廃止しても死刑に値する犯罪が増加しているという兆候はないということだ。つまり死刑に凶悪犯罪抑止力はないということで、それが日本における死刑廃止論のひとつの論拠になっている。また一人殺してもどうせ死刑になるなら何人殺しても同じだと自暴自棄になってしまう犯罪の懸念もあるので、今までの判例が被害者数を判断材料にしたということはそれを考えてのこととも言えるのだろう。
さて、そんな折、敢えて意識していたわけではないのだが、死刑に関する著作を読み、テレビで映画を見る機会があった。
著書は、佐木隆三著「曠野へ-死刑囚の手記から-」(昭和58年発行、講談社文庫版)。
帯カバーの文をそのまま載せると、「4人を殺害した暴力団員に下った判決は死刑。被告は、弁護人の行った控訴申し立てを自らの意志で取りさげ、自分の生涯と犯罪歴を手記に残して絞首台に消えた。この<潔い振るまい>は何を意味するのだろう。現実の殺人事件に取材し、さらに本人の手記を加えて構成。殺人犯の<人間>を追及した異色作。」とある。
昭和56年6月に北九州市で実際に起こった4人殺害事件を素材にし、その犯人の暴力団員の手記を基に書かれた、著者も述べているが、いわば共著とも言うべき作品だ。
不幸な生い立ちの犯人は少年院で知り合った仲間のつてでやくざの世界に足を踏み入れるが、刑務所を行ったり来たりのすさんだ生活、ついには兄貴分とその女(犯人とも関係があった)、さらにはもう一人の仲間の暴力団員も射殺し、逃亡途中で通りすがりの主婦をも殺害してしまう。
残虐な犯罪行為そのものや4人も殺害したということからすれば現行の刑法では死刑判決は妥当と思われるが、考えさせられたのは死刑判決後、控訴を取り下げて死刑囚となってから死刑執行までの犯人の心情、死刑囚の生活、死刑執行当日の死刑囚の表情などである。
この項続く
5月28日(水)
大相撲
当時ももちろん八百長はあったのだろうが、栃錦・若乃花の熱戦を知る団塊世代にとって、最近の大相撲は土俵際の打っちゃりでの逆転劇や水入りの大相撲などがほとんどないのでつまらない。技の巧拙よりも土俵以外での話題が多いし、日本人力士の活躍もないので情けないと思うが、大相撲の世界もグローバル化は避けられないので仕方がないということか。
先日の夏場所千秋楽、朝青龍対白鵬の一戦の取り組み後の土俵上でのいさかいがこのところ話題沸騰だが、日本人力士の活躍がない分モンゴル人力士や欧州勢は何とかして大相撲人気を盛り上げようと努力してるということなんじゃないの。取り組みそのものはまるで八百長並みで、横綱相撲とは程遠い内容だっただけに、土俵上での睨み合いにはお客さんも喜んだと思うね。
あのモンゴル勢2人の横綱もなかなか演技派で、お客さんを喜ばす術を心得ている。優勝はなぜだか急に強くなった琴欧洲に差し上げた格好だし、結びの一番はもう一つ盛り上げてやるかってなことでやったんじゃないのかなあ。これで来場所も琴欧洲とモンゴル勢の話題で盛り上がるし万々歳だ。
でも、あの程度の睨み合いでは物足りないというお客さんは大勢いたんじゃないの?どうせなら土俵上で殴り合いやら取っ組み合いの喧嘩でもしてくれれば良かったのに。
「おおっ、取り組みが終わって睨み合っている両力士、朝青龍がいきなり蹴りを入れました、さすがは腰痛の時にもサッカーをやったほどのキック力です」「おっ、今度は白鵬が朝青龍のまわしの上から股間に噛み付きました、すごいアゴの力です。これは反則です」もう反則もクソもないんだよ。「股間を押さえて痛そうにしている怒った朝青龍が、白鵬の首を抱えてヘッドロックです、どうやら股間への一噛みは効かなかったようです」「大変なのは行司です。軍配をあっちに上げたりこっちにあげたり、何とか自分の采配で事を収めようとしていますがどうにもなりません」「もう場内大興奮です。座布団はおろか、酒瓶やら幕の内弁当の残りの鮭の骨やら前の席のお客さんのカツラを掴んで投げたり、ついに勝負審判や興奮したお客さんも土俵に上がってくんずほぐれつの大乱闘です。これはプロレスより面白い、がんばれ貴乃花!」「解説の舞の海さん、これはまるで昔読んだ『嗚呼花の応援団』の青田赤道の異種格闘技選手権のようです、そのつもりで実況していますが、今の蹴りはなんという技なんでしょうねえ。あれ、舞の海さん、ど、どこへ。大変です、解説の舞の海さんも参戦です。土俵上で八艘跳びをやってやんやの喝采を受けています。」「うーん、残念ながら時間が来てしまいました。来場所も盛り上がること必至ですが、このようにして伝統ある日本文化が崩壊していきます。それでは大相撲ファンの皆さん、これで乱闘の国技館からの中継を終了します、さようなら、ごきげんよう。」なんて実況中継のアナウンサーも大興奮です。
お客さんは大いに喜んで、「もう一番も二番も真剣勝負が見られた、今日の入場料は安かった、感動した!」と言うに違いない。
プロレスのように完全にショー化して興行を前面に押し出すのも手だが、ショーだか興行だか真剣だか分からないところに魅力があることもある。その点大相撲はまだまだ人気を盛り返す可能性はあると思うのだ。
5月23日(金)
裁判員制度
裁判員制度開始まであと1年になった。後期高齢者医療制度が周知期間を満足に取らずいきなり始められた印象で悪評高く廃止の声が高まるのを受けてか、この制度はかなり前からマスコミなどを通じて宣伝しているようだが(テレビはほとんどが賛成論調というのも問題だが)、果たしてあと1年で総ての人に周知徹底できるのだろうか、また、さまざまな問題点が指摘されているがそれらをクリアーできるのだろうか。
ほとんどの新制度は運用開始するといろいろな矛盾やら不都合が現出するのはやむを得ないので、修正などしてより適正な制度に改めていくのが望ましいが、しかしこの裁判員制度は民事事件には適用されず、一定の重大な刑事事件だけというのがかなり問題がある。
施行開始直後に問題が噴出した場合でも制度運用が開始された以上判決を出さざるを得なくなると思うが、、例えば極刑の死刑判決は有効となり得るのだろうか。裁判そのものに”不都合な真実”があるとしたら判決を下すことができるのだろうか、しかも極刑までも。
裁判員には誰もが指名される可能性があるので、さまざまな利点や問題点を少しでも多く認識しておいた方がいい。Wikipediaに詳しく載っているのでそれを参照するとよいが、自分なりに上記の他にいくつかの問題点を指摘したい。
・有罪無罪の評決だけでなく量刑までも判断しなければいけないというのは大いに問題だ。例えばアメリカの陪審制では量刑までは判断しない。
法律の解釈についての判断や訴訟手続きについての判断は裁判官がするというが、ということはある意味裁判員は法律については何も知らなくてもいいということもいえ、それで判決、量刑まで導けるのか、導いていいのか。
・私のようなごく気の弱い極めて平穏な人生を送っている裁判員が残虐な犯行時の死体写真などを見せられて正常な判断ができるのか。また、「ちびまる子ちゃん」を見ても涙してしまうような涙もろい私のような裁判員は検察あるいは弁護士の言葉に騙されないか、いや騙される。騙されても判決は出さなければならない。クジに当たったばっかりに、騙されて自分には何の関係もない他人に死刑を判決したらどうなる。
冤罪事件として再審請求が出されている袴田事件の死刑判決当時の裁判官の一人が、自分は死刑判決に疑問があったが、先輩裁判官の手前反論できなかったとして、今後の人生を袴田氏の再審勝ち取りに費やすと述べている。裁判官ですらそうなのだ、我々では?
・裁判員の氏名非開示と裁判の秘密保持義務なんてすべての裁判員ができるとは思えない。大体当該裁判の秘密が何であるかの判断が容易ではないし、それを墓場までもって行ける人が何人いるのか。秘密というのは一般庶民の間では「これ絶対秘密だよ、誰にも言わないなら話してやるけど」と言ってどんどん拡大していくのが常である。何しろ政治家の極秘会談の内容や芸能人の極秘旅行がどんどん記事に出る世の中なのだ。もっともこれなどは極秘と言いながら言い触らしている節もあるけれど。
だからこの秘密を秘密のまま保持できる人は信用置ける人という評価がなされ、私めが世に信用されているのは秘密を決して多言しないがためである。ね、Fちゃん、お互い臍がないのはずうっと二人だけの秘密にしておこうね。あ、そうそう、○端のSさんのものすごいいびきは5人の秘密だからね。HPになんか載せないからね。
裁判員になるのに不同意にもかかわらず勝手にクジで選んでおいて、生涯他言ならん、違反した場合刑事罰だというのは問題ありだ。
・一定の条件の下で裁判員を辞退できる規定も設けているが、例えば上の秘密保持の義務に関して、「私は口が軽い方なので秘密保持といわれても自信がない、絶対他人に話してしまうと思う、よってこの裁判員には適してないので辞退させて欲しい」と申告されたらどう判断するのか。秘密保持は義務であり、それに違反すると刑事罰を科される。自ら秘密保持違反という犯罪行為を犯す恐れがある、いや犯してしまうに違いないと確信している人を裁判員に選定していいのか。これは司法自らが犯罪者を作り出すということであり矛盾しないか。
日当が安過ぎるのも問題だ。裁判員には一日1万円以下の日当が支払われるらしいが、日本の裁判官がどの程度の給料を貰っているのか分からないけれど、裁判員は相当の責任と様々な制約を受けているのだから、少なくとも陪席裁判官と同等、できればそれ以上支払うのが妥当ではないのか。(1万円が裁判官より高額だったらこの文削除)
等々さまざまな問題点がある。後期高齢者医療制度でも施行を拙速して失敗した。裁判員制度も運用をもう少し先延ばしして模擬裁判なりを一般市民がより多く経験し見聞して、今以上に問題点を整理してから施行した方がいいのではないかと思う。
裁判に限らず、司法の改革は当然必要であり、民間の考え方を反映させるというのは大変よろしいことではあると思うが、まず導入すべきは専門分野しか頭にない職業の人や権力者の一定期間の民間への出向制度ではないかと思う。裁判官しかり、検察官、教員、警察、官僚、etc.だ。
この項続く
5月10日(土)
無償の愛
アカデミー賞受賞俳優ジャック・ニコルソンと同モーガン・フリーマン主演の”The Bucket List”(邦題「最高の人生の見つけ方」)が今日日本で封切上映されるということでテレビや雑誌などで宣伝をしている。コメディーの部類に入るらしく、もちろんまだ観てはいないが、この二人が主演なら多分面白いのではと思う。
病院で同室になった2人が医者から余命6ヶ月と宣告され、死ぬまでに自分たちがやりたいこと、見たいもの、体験したいことのすべてを書き出したbucket list を思い出し、医者の命令も無視してそれを実行するという物語らしい。
ピラミッドを見る、荘厳な景色を見る、スカイダイビングをする、世界一の美女とキスをする、(おお、これはオイラのリストにも入れておこう、まだ余命はどのくらいか分からないけれど、世界一じゃちょいとオーバーだから、ずうっと縮小して入間市一の美女で我慢しとこう)、など幾つかの中に「見ず知らずの人に親切にする」という一項がある。この見ず知らずの人に親切にするという事を余命6ヶ月のときに初めて実行するとはどうも情けない二人だとは思うが、まあしないよりはいいか、大金持ちと自動車整備士の二人はいままで他人の事など考える余裕がなかったということだろう。
日本でも親切にするどころか、見ず知らずの人を殺したり、騙したり、なんとも恐ろしい世の中になっているが、どっこい、この連休中、佐渡でまさにこの映画以上の人情に触れてきた。
別のページでも触れるが、佐渡の魚屋「喜三郎商店」さんに我ら一行5人は一泊のお世話になった。
テントを積んで車で旅行をするのがGWの恒例になっているのだが、たまたまテレビの青汁の宣伝で紹介されていた「喜三郎商店」を覚えていた一緒に行ったメンバーが、「今夜のキャンプのおかず用とお土産の魚はそこで買いたいなぁ、でもどこの町か分からないなぁ」と言っていたのが、相川温泉で入浴をして昼食を食べ、ちょっと走らせたら偶然発見、さっそく寄ってみたのでした。
生憎連休で市場が休みで魚は無かったが、いろいろと話をしているうちに倉庫の2階が空いているから泊まって行きなさいという事になった。当日5日は雨、しかも風も強い最悪の天気、強風の雨の中でテントを設営するほど悲しいことは無い。これは大助かり、何も買わないどこの馬の骨か分からない(まあ、名刺は渡したけれど)見ず知らずの旅行者に、泊まって行きなさいとはなんという親切でおおらかな、人情篤い人たちであろうか。もちろん無償である。ガスその他炊事用具も使用自由だ。おまけに商売で余ったイカのゲソやフグの削ぎ身や山ウド、ワラビ等々も頂いて、さっそく夕飯のおかずにした。
私たちが上品で礼儀正しく由緒正しい家柄に見える旅行者だったからかな、なんてことは全然無くて、還暦前後の頭の薄くなったおじさんと最近ますます身体が大きくなってきたヒゲ面の高校1年生の5人だからね、ちょっと見れば不審者一行と間違われるような風体だ、オイラを除けば、違うか?
いろいろとお話を伺ったらいつも誰にでもそうしているということで、倉庫兼車庫もそのために2階建てにしたらしい。わざわざ佐渡を訪れる人に気分良く旅行を楽しんでもらうためにそうしていると言う。
我らは40年以上テントを持って、公園や空き地やいろいろなところでキャンプする旅行をしていて、知人のところに泊めてもらった事はもちろん何回かあるが、今回のようなことは初めてだ。
感謝感激感涙の一泊。人生の何たるかの一端を教えられた佐渡相川であり、連休後の我らの間では「無償の愛(ちょっと気取り過ぎかな?)」の合言葉は「喜三郎商店」ということになったのであった。
映画は余命6ヶ月の主人公だが、喜三郎(これは屋号で、本名は違うらしいが、通称喜三郎でいいらしい)さん一家はもちろん元気だ。さりげなく最高の人生を実践している人に遭えたのが今度の旅行の最高の収穫だった。
喜三郎商店さん一家に幸いあれ!
画像等はここへ。なお、この記事、画像を掲載するにあたっては許可を頂いています。
4月26日(土)
聖火リレー
五輪の聖火リレーが世界中で大騒ぎ、日本で行われる長野は喜ぶどころか大迷惑なんじゃないの?
まるで三井アウトレットパークが開店した入間市と同様で、一般市民は冷めた見方してると思うな。
ちょいと中継を眺めたが、あんな物々しい警備陣の間をチョコチョコと有名人やら一般人がリレーして何の意味があるのかね。
リレーメンバーも、どうせやるならスタートの星野さんよ、野球のユニホーム姿で片手にグローブかバットぐらい持ってほしかったよ。それがだめならせめて最近落ち目の明治大学の小旗を持つとかしてほしかったなぁ。
次の短距離の末続選手だって、ただ聖火を掲げてチンタラしてないで、次の走者まで200mくらいなんだから全速力で走って周りの警備陣や見物人を振り払い、「さすがは世界で通用する走りの男だ」なんてびっくりさせるとかさ、ショートトラックの選手は右に左にジグザクに走るとか、そうかと思えば岡崎選手なんかは何を思ったかいきなり反対方向に走って、また戻って来るとかさ、どうせやるなら見ていて面白いやり方をしてくれよ。欽ちゃんなんて何にもパフォーマンスがないんじゃ選ばれた意味がない、欽ちゃん走りを何でやらなかったのさ(それともやったのかな?)。欽ちゃんの時に何か投げた見物人がいたらしかったけど、「何で欽ちゃん走りやらないんだ」っていう抗議じゃないの、違うか?
それにしてもたかが聖火にあの警備の物々しさはないぞ。あれでは天皇陛下や首相の警備よりすごいんで、聖火と天皇とどっちが大事なんだってね。ラジオで聞いている人は「せいか」と「へいか」を聞き間違えて、「陛下が長野にいらっしゃっているのか、さすがは日本警察、完璧な警護で安心だ」なんて思ってる人もいるんじゃないの。
今回の聖火様の警備に国民や県民の税金がどのくらい使われたか公表せよ。年金より聖火が大事か?
4月17日(木)
入間市の現況
わが入間市で現在沸騰している話題は、4月10日に開店した三井アウトレットパーク入間店の問題だ。
何が問題かと言うと周辺道路の渋滞だ。これは誰でもが危惧していたことで、不幸にも想像通りになってしまった。想像がこれほど見事に的中する問題も珍しいが、それほど素人目にもこのアウトレット周辺の道路事情は分かりやすいということなのだ。
ここはHOYAガラス入間工場があったところで、国道16号に面している。近くには圏央道入間インターがある。店の出入りが滞れば16号が渋滞する、そうすると圏央道から降りる車も渋滞し、さらに渋滞を避けて迂回する車やどうしても渋滞道路に行かなければいけない車でどこもかしこも渋滞するという構図だ。こんなことは小学生でも分かる。
ここにきてこのアウトレットのいろいろな詳しい事情が噂やら真実やら取り混ぜて出て来ているが、確認したわけではないので、一応噂として記しておこう。
まず、この周辺道路の渋滞(これがかなり酷くて、16号に交差したり関わる道路は土、日はおろか平日でもかなりの渋滞だ。もちろん時間帯にもよるが)が入間市にもたらす経済的マイナスはいかほどかが心配されるが、その分三井からの税収が増えるので入間市にとってはプラスになるという見方が、これがどうもそうではないらしい。
HOYAから入ってきていた税収の方がはるかに多いということだが、どうなのか。それだと入間市には何のメリットもない。
ここには同じ敷地内にコストコだかトコトコだかという多量購買層のための会員制店舗もあるのだが、これは三井とは関係なくて、駐車場も別なので、従って入り口も出口も別、それで余計渋滞するという。
また、あまりに渋滞するので周辺の道路脇に車を止めて歩いて来店するお客がかなり多くて、周辺の住民やお店は迷惑しているというが、あまりにその数が多いためか、あるいは他の理由でか警察も取締まらないという。
そのほかにもいろいろな話が出ているが、いずれも入間市や入間市民、入間市商工会にとっては有難くない話ばかりだ。
16号国道は長距離大型トラックが多い。これらが、あるいはトラックでなくても渋滞にたまりかねて裏道を通る時、時はあたかも新学期、通学路に慣れない小学生などが事故に巻き込まれないかが一番心配だ。
入間市民はもちろんできる限りこの周辺道路を避けて通っている。市民とは関係ないところで事が運び迷惑し、しかもどうすることもできない現実がある。こんなむちゃくちゃな所に出店をした三井もそうだが、それを許可した行政当局の猛省を促したい。
最後にまたまた噂。「なーに、あんなにいつも渋滞してるんじゃそのうち誰も寄り付かなくなるさ」。
ほとんどの入間市民はそう願っているんじゃないのかなあ。
4月1日(火)
エイプリルフール
とうとうガソリンの暫定税率がしばらく廃止ということでGSなどはその対応にてんやわんやということだが、産油国も真っ青の画期的燃料触媒が開発されたらしい。
日本は納豆、鰹節、糠漬けはおろか抗生物質まで発酵食品にかけては世界でも類を見ない利用国だということだが、その発酵食品の代表格、あの臭いクサヤから抽出されたある成分がガソリンと水(H2O)を簡単に混合させることができ、もちろん分離しないのでそのまま現在のガソリンエンジンに入れてもなんら問題はないという。それどころか水分は瞬間的に電気分解的作用を起こして水素と酸素になるのでガソリンだけより燃焼効率が数段上がるらしい。ガソリンと水の割合は1:3で十分で、これだとハイブリット車も不要、最近ずいぶん高圧的と映る産油国も真っ青になるはずである。さらにうれしいのは水道水に含まれる塩素がさらに燃焼に好結果を与えるということだし水道水の料金が安いわが国にはかなりの朗報だ。
ただしクサヤの種類によっては全く効果がないということも確かめられているらしいので、まさかクサヤそのものをガソリンタンクに入れるわけにもいかず、この画期的発見をした「山でクサヤを賞味する会」では、どの魚のクサヤが効果があるのか、どんな抽出物質が効果をあらわすのか一切公開していないのは残念で、一時も早く詳細を発表してほしいものだ。
それよりガソリン暫定税率もそうだが、年金問題はどうした?
マスコミはなぜ石油元売各社に小売店の赤字分を補填せよと主張しないのか?
3月26日(水)
ガソリン価格
暫定税率廃止でどうやら4月1日からガソリンが値下げになる公算らしいが、それ以前に高値で仕入れた分があるのでガソリンスタンドは赤字覚悟で値下げして販売するところが多いという。
いつも泣くのは小売り店や一般庶民だ。(印刷業界も製紙会社や材料会社などの有無を言わせぬ値上げで泣いている)
解決策は簡単だ。4月1日から一斉に値下げして、小売店の赤字分を石油元売り各社が補填すればいいだけのことだ。円高差益で石油各社は相当儲けているはずだから(原油高分は価格に上乗せしているのに!)。無為無策の政府も負担すべきだ。もちろん税金でなく個人資産で。
1月28日(月)
東京芸術劇場前
いつも室内で仕事をしているし、仕事の行き帰りも自宅から2分くらいなので他人とすれ違うことなどほとんどない日常を過ごしていると、たまに電車で上京すると非常に疲れる。
土曜の夜に池袋駅西口前にある東京芸術劇場でちょっとした会議があったので出かけて来たが、西武池袋駅で下車してから目的の西口へ行くのに駅の連絡通路やら地下構内を歩いていくだけでも大変な苦労だ。駅構内は歩行者の流れが一定していないので前から来る人とぶつからないように歩くのが大変なのだ。
若かりし頃(今でも若いが)よくこんな混雑する所へ8年間も通ったものだと我ながら感心するし、現に毎日通っている人達は大変だろうなと同情もする。
さて、昔懐かし池袋、小生が通っている頃とは大きく様変わりしているのはたまに行くので分かっているが、東京芸術劇場の中に入るのは初めてであった。エントランスホールに入るとすぐビヨーンといった感じで長い長いエスカレーターがあった。見上げる終着点が霞んで見えないほど長いのだが、それはさすがにお前の眼が悪いせいだと言われそうだ、そうかも知れない。
会議は5階だということなのでこのエスカレーターに乗れば3階くらいまで直通だろうと思って乗ったのだが、長ーいエスカレーターに乗っているのは小生ただ一人で、何か悪いことをしているみたいで不安なのであった。おお、だんだん下界が霞んで見える、だから眼が悪いだけだって。高所恐怖症の人には怖いかも、それほどでもないか、いや、やっぱり怖いぞ。
無機質な声で乗り方やら降り方の注意を促すアナウンスがひっきりなしに流れている。
やがて降り口階に到着。さーて何階かな?と思って案内を見たらなんと目的の5階に直通であった。いやーこれは便利だ驚いた。こんなことで驚くのは田舎者だと笑われそうだが、田舎者だから仕方ないもんね。
そういえばどこかの地下鉄駅の地下エスカーレーターも長いのがあって、こんな時地震が来たらいやだなあなんて思って乗っていたのを思い出した。あれはどこだったか、後楽園か銀座か。
芸術劇場には一般が使える会議室があり、当日借りたのは小会議室で、午後6時から10時までで三千いくらの使用料とか言ってました。初回は申込書に所定の項目を書き込み申請しますが、それで団体名などを登録しておけば次回以降は電話で済むそうでなかなか便利です。
会議は無事終わって、「たまに来る池袋、俺と飲まない手はないぞ」と田端の聖人先輩に言われ打ち合わせてあった芸術劇場まん前の居酒屋「一心」に向かったのでありました。土曜の夜、池袋の居酒屋は満員で、前日の夜はやはり会議の後入間市東町の居酒屋へ行ったらやはり満員で景気も回復したか不況はないのか居酒屋業界?
池袋に行く時にはやはりわが母校があった界隈で飲むことが多いのは当然か。なかなか良い居酒屋で、きびなごの刺身なんちゅう物は入間市あたりじゃなかなか味わえないんじゃないのかなあ。
設計事務所の先輩と印刷屋の後輩の話は、建築基準法改悪の影響とか製紙会社の再生紙偽装の話とかはさておいて、先輩が「ベランダに置いてある鉢植えの春蘭が8つも蕾をつけている。いつ開花するか楽しみで孫といつも見て大事に育ててるよ。ピンクの花が咲けば1000万円だな」というような池袋の居酒屋には不似合いな高尚なんだか取らぬ狸なんだかの話題で盛り上がっていたけれど、さて、飯能行き終電車の時間も迫ってきた、勘定払って帰ろう。え、250円のおつり、ああ、それは君にあげるよ、土地を買う足しにでもしなよ、ってほろ酔い加減で気が大きくなった(ずいぶんセコい気の大きくなり方だ)我ら貧乏おじさんではあるが、無理してバイト(だと思う)の女の子に進呈したのでありました。
なかなかいい気分の池袋の土曜の夜、まだ最終電車には間に合う、できれば座って帰りたいなあ、この寒いのに大変だなあ歩道上の占い女性、などと思いながら二人で駅に向かって歩いていたら背後からなにやら若い女性の声。「お客さん、お客さん」って、だから俺は最終に乗らなきゃいけないの、あんたの相手なんかしてられないよ、悪いなあ、他をあたってくれよ。じゃなくて、振り向くとそこには先ほどまで飲んでいた居酒屋「一心」にいたバイトの女の子。「お客さん、これ落としていきました」って手に持っていたのはなんと千円札。多分割り勘で勘定を払う時にどちらかが落としたのをテーブルを片付けていて気がついて、われらが大変品の良いお客だったので追いかけて来たのだろう、違うか?件の居酒屋から距離にして30~40メートルだが、追いつくか分からないし見つかるかどうかも分からない池袋の雑踏の中をわざわざ追いかけて来てくれて渡してくれた「一心」の従業員の心意気。うれしかったね。追いかけて行って渡して来なさいと多分言ったであろう店の人も偉いと思ったね。
まず、店の中で客が落としたと思われる千円を、馴染みの客ならいざ知らず、どこの誰だか分からない客を追いかけて来るというのがすごい。これが1万円札なら違うかもしれないが。次に、もし店の店主なりがその女の子に、さっきのお客に追いついて渡して来なさいと言っても、女の子は寒いし面倒くさいし、実際は追いかけなくて行って来ましたが見つかりませんでしたと言ってその千円を店に差し出すか、あるいは渡して来ましたと言って自分のポケットに入れることだってできるのだ。何しろこちらが受け取ったという証明なんか出さない状況なのは言うまでもないのだから。
さらに、その女の子が我らのいたテーブルを片付けている時に見つけて、誰の許可も得ずに「ちょっと渡して来る」ぐらい言って店を飛び出して来たとしても、これもなかなかできることではないだろう。なにしろ、繰り返すがそこは入間市の馴染みの居酒屋ではなく不特定多数が出入りする池袋の居酒屋だ。
おじさんたちは感激しましたね。当然そのお金はその女の子にプレゼントしたと思うでしょ?いいえ、プレゼントしませんでしたね。そこが皆さんと違って我らの深謀遠慮なところですよ。なるほど状況からいってその店はすべての従業員が正直そうなので、女の子が戻って、「お客さんに追いついて渡したけれど君にあげるよと言われたので頂いて来ました」と言っても信用するには違いない。しかしだ、中にはどんな憶測で物事を考える人がいないとも限らない。まあここは寒い中を一生懸命追いついて大事なお客さんに落し物を渡して来るというその心根は大事にしなくてはいけない、これはありがたく渡してもらって感謝しよう、もともと我らのお金だし、入間市駅までの電車賃420円もそれでまかなえるし、先ほど土地を買う足しにしろと言って何がしかのつり銭をプレゼントしたことだし。
池袋に行ったら芸術劇場前地下、居酒屋「一心」、お勧めです。料理は安いしおいしい。サービスもよし。
小生もまた行こうっと。田端の先輩、今度いつ奢ってくれるのかな?
1月18日(金)
ナメクジ
このところ日本列島もかなり寒い。本当に温暖化?という感じだが、暑くなったり寒くなったり山や谷を繰り返して全体的に温暖化しているということなのだろう。地球何億年の歴史を考えると氷河期が何万年続き間氷期があって、温暖化が何万年続きなんて気の遠くなる期間のことなのでピンとこないが、確かにかつてマンモスがいた頃は温暖化の時代で、それが氷河期を経てマンモスも埋まり、このところの温暖化で永久凍土と言われているところから表われて来たということなのかな。
それらを考えると現在の地球が本当に温暖化なの?もっと長いスパンで考えた方がいいんじゃないの?二酸化炭素排出量の問題と地球温暖化は本当にリンクしてるの、別問題として考えた方がいいんじゃないの?マンモスも生きられるくらい温暖だったらどうなるの?なんて考えもちょいと頭の片隅をよぎるこの頃なのでありますが、まあ、貧乏で節約主義の我が家は暖房もケチっているからこのところの寒さはこたえるのであります。
その問題はまた別の稿で触れるとして、このところの寒さで不思議だと感じるのは、突然ですが、キノコとナメクジの生態ですね。
秋の本格シーズンを終わってからも庭のキノコ、栽培ヒラタケは第2弾が発生するのですが、大気が乾燥してるし、寒いものだからなかなか成長しません。それが年を越しそれでもだんだん大きくなっていきます。それを狙って憎っくきナメクジが夜出没して食い荒らします。仕事を終えて自宅に帰るとまず塩を持ってナメクジ退治がこの間までの日課でした。
非常に寒い日の朝ヒラタケを見ると完全に凍っています。でも生きています。不思議です。人間だったら凍傷で生きていられませんね。凍っても少しずつ成長していくから不思議です。
さらに不思議なのはナメクジです。キノコもナメクジも体はほとんど水分で構成されているので寒さは大敵なはずです。庭にある金魚が入っている水槽の水が凍ってもナメクジは夜になるとのそのそと出没してヒラタケを食い荒らします。
塩をかけると水分が吸収されて瞬間的に縮んで死んでしまう水分だらけのナメクジはなぜ凍らないのだろうか。ヒラタケは凍ってナメクジは凍らない!でも生きている。
それともナメクジもヒラタケのように凍っていても生きていて、気温が上がると元に戻って活動するということななのだろうか。でも、活動するのは気温が下がる夜だしなあ。
自然界に適応する生物の知恵はなかなか素晴らしい。ナメクジの体内にある何らかの成分が凍らないようにしているのかも知れない。自然界の不凍液だ。これを研究したらノーベル賞にならないかなあ。もっとももうとっくに誰か研究しているだろうけれど。
なお、庭のヒラタケは成長しないうちにナメクジの餌になってしまうのも悔しいので、採取して有り難くいただきました。
シイタケも季節はずれのこんな時期に出ていて少しずつ成長しています。やっぱり温暖化か。
1月17日(木)
低温殺菌牛乳
以前食品偽装に関連して賞味、消費期限問題について触れた際、期限を1ヶ月も過ぎた牛乳が冷蔵庫にあったのでもったいないので飲んだがなんともなかった、それが却って怖いと書いたが、その真相がある程度分かった。
「週刊現代」1月26日号129ページに「牛乳の高低」というタイトルで、米ミシガン州生まれの日本語詩人アーサー・ビナード氏が自分のページで牛乳の殺菌方法について書いている。
牛乳の殺菌には普通超高温殺菌低温殺菌が用いられ、日本では超高温殺菌が90%であると。超高温殺菌では摂氏120度で滅菌され、タンパク質が破壊された「おこげミルク」という長期保存用の非常用牛乳になるという。それを日本では短期の賞味期限で販売しているということだそうだ。
なんだい、じゃあオイラがいつも飲んでるのは非常用の長期保存用牛乳かい、どうりで賞味期限が大幅に過ぎていてもなんともなかったはずだ。
そういえば我が家に配達されている牛乳は130℃で2秒殺菌としてあった。賞味期限は1週間だ。
それに対して低温殺菌は摂氏60度~65度で30分間その状態を保つ。完全な滅菌とまではいかないが、病原菌の類は消されたんぱく質の組織と牛乳の風味は残るという。
そして、低温殺菌はあの細菌学の父、誰でも知ってるパスツール博士が考えた殺菌方法で、牛乳や果汁の品質を損なわずに雑菌だけをやっつける方法として考案したのだそうだ。こんないい方法を使わない手はないと、酪農家の間で広まり、Pasteurの名から低温殺菌を意味する名詞pasteurizationと動詞pasteurizeができたという。
要するに日本では経済効率を高めるためだけにまずい牛乳を作って我々はそれを飲まされているということだ。欧米では逆ということだろうか。
そんな日本でも探せば美味な低温殺菌牛乳があるらしい。氏が気に入っているのは群馬県の東毛酪農のものだと紹介もしている。「毛」のつく酪農なんてなんだか毛髪にも効果がありそうな気がしてくる。我が家でも早速低温殺菌牛乳を探してみるとしよう。
と、ここまで書いて、一応他で調べてみたら、どうもアーサー・ビナード氏の文章はかなり大雑把なことが分かった。
低温長時間殺菌法
 牛乳を62〜65℃に加熱殺菌し、30分保持する方法です。
 処理に時間がかかるので大量生産には不向きな方法です。
 牛乳本来の味が味わえ、サッパリとした口当たりです。
高温短時間殺菌法
 牛乳を72℃、15秒あるいは60〜85℃、10〜15秒で殺菌する方法
 です。
 低温処理に比べると品質の保存性が向上します。
 欧米で一般的な方法です。
超高温短時間殺菌法
 牛乳を120〜130℃、10〜15秒で殺菌する方法です。
 ほとんどの細菌や微生物を死滅させますが、牛乳固有の栄養成
 分には特別影響はありません。
 現在、国内の90%以上の工場で採用している方法で、大量生産
 に向いています。
超高温滅菌法
 牛乳を135〜150℃、1〜4秒間加熱し、滅菌する方法です。
 ロングライフ(LL)牛乳の処理に用いられる方法で、L L牛乳は、
 滅菌処理後に無菌状態で容器に充填されるので、常温で60日間
 の長期保存が可能です。
上記は「知っておきたい牛乳の知識」というどこかのHPのPDFから引用させてもらったものですが、ビナード氏の文章とはちょっと違っている。こちらのほうが詳しいので多分これが一般的なんでしょう。ビナード氏も天下の週刊現代に書く文章としてはお粗末で、もう少し調べてから書いたほうがいいんじゃなかったのかなあ。編集委員もちょっと待てよと指摘しなかったのだろうか。
また、賞味期限とは、「おいしく飲める期限の目安です。すべての品質の保持が充分に満たされていると認められる期限で、その日を過ぎたら飲めなくなるわけではありません。消費期限は低温殺菌牛乳によく表示されるもので、表示される日までに飲みきってください。」
と同じHPにあった。

昨日、今日は大手の製紙会社が年賀はがきの古紙含有率を偽っていたと問題になっているが、まあね、印刷界にいるものとしては多分そんなことじゃないかと思っていましたがね。
年賀はがきの古紙含有率は直接我々の健康には関係ないのでそんなものかと思うけれども(逆に、古紙を使用しすぎると環境に悪影響という説もある)、食品は安全性を最優先してもらいたいものだと同時に、我々の味覚、感覚も磨かなければと思う今日この頃なのであります。
1月7日(月) 昨年の12月24日に東京外環道でふじみ野市の小学5年生がマイクロバスから転落し、後続のトラックにひかれて死亡したが、逮捕されたトラックの運転手が4日処分保留のまま釈放されたと、5日の朝刊に出ていた。
亡くなった小学生は気の毒というほかないが、後続の運転手もまさか前を行くマイクロバスから人が落ちてくるなどとは想像もできず、車の運転をしている人なら誰でも思うだろうが、車の流れに従って運転していれば避けようもなく、誠に気の毒な事故であった。
昨24日から明けて4日までもの長期間拘留されていたのは釈然としない。処分保留ということは悪質さがなかったということで、それなら当然逃亡の恐れもないだろうからもう少し早く対応できなかったものだろうか。
さすがに釈放された時の報道は匿名だったが、逮捕当時に住居や氏名年齢までもはっきりと報道されていたのもおかしいと思う。真っ黒けの政治家の名前を報道しない事例はいくらでもあるのに、気の毒な運転手の名前を世間一般の人に周知せしめる意味があるのか。
マイクロバスを運転していたコーチはまだ釈放されていない。人生一瞬先は闇、関係者にとって楽しいはずだったクリスマスやお正月は一瞬で吹っ飛んだ。
正月早々いやな事件が相変わらず起こっているが、避けようもない事故、事件もある、遭わないように祈るだけか?
1月4日(金) 毎年のことながら相変わらずの「酒のない国へ行きたい暮、正月」で、健康第一と願っても行動が伴わない年の初めです。
まだこの欄も調子が出ないので、今日はこれまで。
2008年日(火) あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
人生諸行無常は常々言われていることだが、暮れから新年にかけて思いがけないことがあってまさに諸行無常なのであります。
暮れの29日にお隣の奥さんと息子さんが見えて、療養中のご主人が亡くなったので何かとよろしく頼むと。
この時期なのでお寺さんや斎場の都合もあって、通夜や告別式は明けて4日、5日だということで、私めの行動も急遽予定変更になってしまいました。
これも避けられない出来事、何とか自分だけはその当事者にならないようにと願うばかりで、まずは健康第一で行きたいと思う年の始めなのであります。