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Love and Peace 2005年 その時々のオサムカラムコラム
Imagine all the people living life in peace John Lennon
               
(赤字はワンポイントイメージのためで、リンクではありません。)

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2005年12月29日(木) イタチの最後っ屁ではないけれど、今年最後のカラミ。
印刷業界も様変わりし、かつては暮れになると年賀状の印刷で大忙しだった。いつの頃からかコンビニでも年賀状印刷を取り扱うようになり、マスコミで盛んにコマーシャルを流すようになると町の印刷屋はだんだんと年賀状印刷の受注が減ってきた。
それがここ何年か前からコンビニの年賀状印刷のコマーシャルが流れなくなった。CM料に見合わなくなったからであろう。だからと言ってコンビニからまたお客が戻ってきたかと言うとそれは無い。
パソコンで自分で印刷したり、賀状そのものを出さなくなったリ、大口注文者であった政治家の自筆以外の年賀状禁止などの影響だが、時代は流れる、その流れに無理に逆らうこともできない、うまく流れに乗らなくてはやっていけないと言うご時世だ。当社はおかげさまでなんとか流れに乗っていると思いますけど。
コマーシャルと言えばどうにも馴染めないのがこの時季必ず流れるようになった有名社寺の初詣の勧誘だ。「大勢の皆様、たくさんのお賽銭をちょうだいねー」と言っているのと同じだ。
困った時の神頼みだから、ご利益があれば自然にその社寺へ向かいますよ。合格祈願した受験生が全員合格したとか、鉄筋不足のマンションでも不倒壊祈願したら地震でも倒れないとか、無事故祈願で列車も脱線しないとかね。
時代の流れと言われても、どうもこの神社仏閣の初詣勧誘と宗教団体のCMは馴染めない。
本年中はご愛顧お引立てご愛読いただきまして有り難うございました。来年もよろしくお願いいたします。
2005年12月10日(土)
司法
日本に民主主義と司法の独立は無いと叫ばれて久しいが、それを象徴するような司法の判断が昨日出された。
一つは立川の反戦ビラ配布の控訴審、もう一つは週刊誌言うところのエロ拓こと山崎拓氏の日歯連事件に絡む5000万円授受の不起訴決定である。
前者は一審の東京地裁では無罪になったが控訴審の東京高裁で逆転有罪。5月31日のこの欄にも書いたが、日本の裁判は下級審では割合民主主義理念に添う判決が出ているのだが上級審に行くに従って政府追随の判決になっていく。詳しい内容は新聞各紙に書かれているので省くが、要するに高裁は時の国家権力の意図どおり、政府批判を許さず、民主主義にとってもっとも大切だといわれる表現の自由、思想の自由を国民から取り上げたということだ。
エロ拓の日歯連事件の5000万円!授受に関しても、一度不起訴相当という検察の決定に対して、検察審査会が慎重審査の結果、不起訴不当、起訴相当の決定をしたにもかかわらず、やはり政治主導で再び不起訴の決定をしたものだ。
検察審査会の存在理由を全く分かっていない不当な決定であるのは言うまでもない。いや、充分分かっているのだが権力追随の上層部の判断によるものであることは明らかだ。
司法の独立と表現の自由が侵されている現実を直視し、司法は猛反省し、民主主義を確立せよ。
2005年12月8日(木) 愛と平和の使者ジョン・レノン死して25年。合掌。
耐震構造設計偽造事件には驚きましたね。というか、よく考えればやっぱりねということでしょうか。
昨年の8月12日のこのページにも書きましたが、日本列島あらゆる所、ウソ、ニセ、偽造、捏造のオンパレードですから、過剰にお金儲けをするにはニセモノを掴ませれば手っ取り早いという構造が日本に限らず人間の生活にはあるからで、血なまぐさい事件とあいまって、人間性悪説が優勢になりつつあるのも分かる気がする。
建築物構造設計偽造なんていう人の命にかかわることが半ば公然とまかり通っているのに比べて、印刷なんていう仕事はこれは誠に情けないことで、大した事じゃないのに一文字間違っただけでも刷り直しなんてこともたまにはあることです。
例えば私の島崎は戸籍上はアですが別にどうでもいいので公文書でない限り崎を使っていますが、これがどうしてもアでなくてはダメだというお客さんもいて、うっかり崎にしようものなら刷り直し。
沢と澤とか、斎籐の斎なんて訳が分からないくらいあります。渡邊の邊も辺とかたくさんあってこれまた微妙な違いがあるのです。誤字で命を取られる事はないので皆さん大目に見てちょうだい。その分もっと大事な、衣・食・住に目を光らせてちょうだいね。
鉄筋は見えないけれども、誤字は歴然としているからお客さんも気がつきやすい。しかし、私共はあの構造設計偽造グループと違って素直に誤字を認め刷り直したりするのですよ。
ひどいのはお客さんの原稿が間違っていたのにそれを私共のせいにするという何とも割に合わないことも有りますが、そこはぐっと我慢することだってあります。
そんなことを考えるとやっぱりあの事件はひどすぎる。徹底的に真相解明すべし。
事件は徹底解明し公私を問わず責任の所在を明らかにすべきだが、日本に今ある家を精査すると住める家は日本に殆んど無くなっちゃうかもね。
やっぱり安心な建築設計はわがHPにリンクしている超まじめな(梶jアルファプランニングシステムさんか当社屋設計の独楽蔵さんか(階AIプランナーさんがお奨めです。
2005年11月15日(火)
地震
今朝、東北太平洋岸で地震があった。関東地方も弱い揺れがあったが、ちょうど朝のお座りをある場所でしていたところなので、このまま揺れが大きくなったらどうしようと恐れていたがそのうち揺れが収まったので、そのままの姿勢をキープしたが、もしこれが大きい地震で被害にでもあったら「うん」が悪いという悪い冗談では済まされないところだった。
地震とFM放送の雑音の関係を気にしだしてからチエックしているのだが、11月1日と2日にFM放送に雑音が入った。この雑音は車が通った時などの瞬間的なものではなく、一定の時間続くものだ。
今日はそれからちょうど2週間経っているが、はたしてその時のFM放送の雑音と関連があるのかないのか、いずれにしてもこれからもチエックしてみようと思う。
さて、地震といえば新潟県中越地震から1年が過ぎた。13日に山形からの帰りに関越道を利用したが、災害復旧工事でかなり長い区間1車線通行で、工事用の機材や車両が置いてあったり、作業中の所もあったり、照明も眩しく、雨という事もあって非常に走りにくかった。
走行中解せなかったのは、1車線通行がかなり長い区間続いて、突然何の表示もなしに2車線になる区間がある。走行中の車は当然工事区間が終わったと思って左右に分かれて2車線通行をするのだが、それがすぐまた工事区間で1車線になる。インター出口付近は仕方ないにしても何もない所で2車線になってすぐまた1車線に戻るので非常に危険だ。1車線でスムーズに流れているのに敢えて短い区間2車線にする意味が分からない。事故を起してくれというようなものだ。
そういえば去年の今ごろも新潟からの帰りに関越道を走ったが、去年に比べると道路の凸凹がかなり無くなり復旧工事の成果が現れているようだったが、この高速道の復旧工事に比べて、被災した人たちの大部分は復旧・復興は道筋どころか、見通し、手がかりさえないということだが、これでいいのか日本!http://www.kobe-np.co.jp/shasetsu/00043366ss200610311000.shtml
高速道は暫くは低速運転でも国民は我慢するはずだ。地震被災地域の人たちの生活再建、復興に貴い税金をつぎ込むのがまず為すべきことなのではないのか。
2005年11月1日(火)
死刑
小泉改造内閣で法務大臣になった杉浦正健氏は会見で自らの心や哲学的、宗教的見地から死刑執行にはサインしないと語った。が、その舌の根も乾かないうちにそれを撤回した。
法務大臣は判決確定の日から6ヶ月以内に死刑執行を命令しなければならない(刑事訴訟法475条)が、歴代の法相は積極的に死刑執行命令を出す人と、刑訴法違反ではあるが様々な理由でサインしなかったり命令に躊躇する人と別れていた。
死刑制度については国民の間でも賛否両論あるのはもちろんだが、この杉浦法相のように、人間の命を奪うという重大な事案に対してこう軽々と自分の意見・意思を変えていいものだろうか。多分発言後に小泉総理あたりから叱責を受けたのであろう、米国ブッシュのポチのポチで、ポチポチ内閣といわれる所以である。
先の衆院選では郵政民営化一本槍で他の政策については何も争点にならなかったと言ってもいいが、国政は例えばこの死刑廃止是か非かということも国家運営にあたっては重要な論点であるはずだ。もちろん死刑廃止云々はどこの党のマニフェストにも無い事なのは仕方ないことではあるが、反乱軍の亀井静香氏は、印象はまるで正反対なのだが、死刑廃止議員連盟の会長をまだ務めているのであろうか。
政治家の言葉遣いが日本語の乱れを助長しているというのは論を待たないが、昨日の、生まれはいいが育ちが悪いと揶揄されている麻生外務大臣の、記者が「ポスト小泉を目指すのか?」と質問したのに対して、「ま、そうでしょうね」という返答はおかしい。あの言葉は他人に対する憶測の言葉で、われわれは軽い気持ちで己を他人化して言ったりする事はあるが、少なくとも一国の総理を目指す人自らが遣う言葉ではない。記者は本人の意思を訊いているのであるから、自信がなくても「ま、そうですね」ぐらいは言えなかったのだろうか。
あの人、いつも口をへの字に曲げて発する言葉はべらんめえ口調、威張っているようで嫌な感じですが、ま、オイラなんぞ生まれも育ちも悪いのでどちらか一方でも良ければうらやましい。
2005年10月27日(木)
ロッテ優勝
*祝プロ野球ロッテ31年ぶり日本一。
けなすだけでなく、たまにはこのコーナーもお祝いを言うこともあっていいとは思うのだが、それはそれとして、やはりカラムと名がついている以上何か粗探しをしなければ済まないというひねくれた根性が自分ながら情けない。
野球、特にプロ野球については国民的スポーツということもあって折にふれその様々な不合理性ともいうべき問題を指摘してきたのだが、今年のロッテ日本一についても、既にいろいろな人がレギュラーシーズンとその後の第2ステージ、さらに日本シリーズとの時間的ブランクが様々な形で影響を及ぼしていると言っているが、そういう事は置いといて、今回は野球そのものでなくマナーの問題を。
テレビ中継で、試合中カメラはしばしば選手の顔をアップで映す。最近はスポーツに限らずアップの場面が非常に多いと思うのだがどうだろうか。鈴木京香や松嶋菜々子のような人の顔がどーんと大写しになるのは歓迎だが、あの清原の気持ち悪い坊主頭でピアスのアップは勘弁して欲しい。(しかもカメラは清原ばかりを追っている)
その様々なむさくるしい顔のアップはまあ許せる。許せないのは殆んどの選手がガムを噛んでいるのか、口を開けてクチャクチャやっていて、しかも、始終口からペッペと唾を吐き出していることだ。その様子が大写しで茶の間に飛び込んでくるものだから、食事中など非常にいやな気分になる。そういう事というのは気になり出すときりがなくて、逆にその場面に引き付けられてしまうから悲惨だ。バレンタイン監督も水を口に含むとそれを吐き出す場面が何度もあった。ダッグアウト内もたまに映すが、なんだかゴミのような物が散乱している。これはMLBも同じだ。
球場で観戦しているファンはもちろん選手の顔のアップは見られないから(オーロラビジョンは別だが)いいと思っているのかもしれないが、茶の間で応援している野球ファンが不快を感じていることも考えて欲しい。
ピアス・茶髪は当たり前、無精髭だか揃えた髭だかわからない、口開けてクチャクチャ、唾をペッペ。いつから日本人は外国人になったんだか?野球だけではないがプロスポーツ界もなんだか一昔前とはだいぶ様変わりしてきている。
野球に関心が薄くなったといっても、日本一を決める試合くらいは気分良く見たいものだ。
9回裏ノーアウト・ランナー一塁、いくら同点に追いつかなければといっても、一回失敗した送りバント(見ていた限りでは再バントで成功する確率は低いと思われるバントプレーだった)を再びやらせてダブルプレーはいただけない。ああいう場面では行け行けドンドンがいいのです。結果論ですけど。
わが広島カープはいつ優勝するんでしょう?監督代わったから来年は期待できるぞ!?
2005年10月24日(月)
クラス会・入間万灯祭り
大学を卒業以来初めてのクラス会が22日午後3時から御茶ノ水の母校の近くであった。
わが母校は高層のビルに変貌していたが、その周りには当時を彷彿とさせる相変わらずの建物があったり懐かしかった。出席者は住所判明者40名くらい中12名と、少々少なめではあったが、鹿児島、山口、兵庫、新潟からも馳せ参じてくれて、少ないながらも大いに盛り上がった。34年ぶりで会うおじさんたちはそれぞれ元気に各方面で活躍していた。定年まであと2〜3年の歳になっているので、大学当時の顔とはまるで違う顔もいるし、それほど変ってない人もいた(髪の毛も!)。結局殆んどの人が3次会まで付き合い、私が東京メトロ丸の内線経由で池袋発の飯能行きに乗ったのは午後11時9分であった。
ほろ酔いと言うか深酔いと言うか良い気分で駅から我が家への道を歩いて角を曲がると、突然真昼のように煌々と明るく輝く光景に出くわした。午前零時を過ぎているのに、なんじゃこの明るさの通りはと、一気に酔いも覚めるほどだった。
そうか、今日は入間市の一大イベント、万灯祭り、その明かりかと気が付いたが、しかしもう12時を過ぎている、こんな時間にやってるわけがない、と思って歩を進めると、灯りの正体は歩道に設置してある各出し物、テナントのテントや露店からぶら下がっている照明だった。それが道の両側延々約500メートル。
祭りそのものの開催時間は22日(土)は午後1時半から午後8時まで、23日(日)は午前9時半から午後4時15分までということで、各店はそれぞれ品物や道具を青シートを被せたりして翌日に備えてそのまま置いてあるところが多い。多分盗難予防とか防犯上の理由から、あるいは単に消灯するのが面倒で煌々と電灯を点けたままにしてあるのだろうが、政府が率先してクールビズだのウォームビズだのと言って地球規模の温暖化防止をうたって環境に配慮した取り組みをしているのに、各出店者及び市長を始めとする市当局はこの無駄な電力消費をなんとも思わないのだろうか。
ぶら下がっている電灯は40とか60とか100とかでなく、それぞれかなりのワット数で、それが3から5個ぐらい各テントにある。防犯上の理由の照明だったら一つで充分間に合うので他の電球は捻って消しておけばいいし、夜間なのでそれでもかなり明るい。しかも産文センターの前を通りかかったら、明らかにガードマンと思しき人物が巡回していたので、窃盗やいたずらされる心配は無いと思われるのにである。
この万灯祭りの会場は通りを車両通行止めにして2日間行われるが、その会場の通りの一番端のブロックにはいわゆるテキヤの、それを生業にしている人たちも店を出している。その人たちの店は、見事に暗く、総て明かりは消してあった(もしかしたら彼らの店は自前の発電機で照明をしているのかもしれないが)。彼らのテントの下の物にはシートが覆われていたが、それを生業にしているからにはそこには多分生活がかかっている多くの品物類が置いてあるに違いないのに暗くしてあったのである。
翌23日の早朝5時頃、キノコ狩りに行くのに通った時にも眩いばかりの光の洪水の異様な光景が当然そのまま見えた。
市当局の怠慢な市政運営も原因にあるのに、財政難という理由で必要な福祉や教育予算、各種補助金などがばさばさと削られている時、こういう無駄なことが許されていいものか。
出店者及び市当局はもっと気を利かせるべし。

22日はお江戸の真ん中御茶ノ水、23日は山梨県塩山市の原生林の中のキノコ狩り、24日は勿論仕事。体力と気力の切り替えが健康維持やボケ防止に役立てばいいけどね。
2005年10月13日(木)
怪猫指喰猫
埼玉県北東部の特別養護老人ホームで6日に入所者のお年寄りが猫に足の指を噛み切られたという驚きのニュースがあったが、今度は猫犯人、いや、犯猫説を否定する話が出てきている。
確かに、猫がやったというのは俄かには信じられない。これがほんとなら愛猫家の皆さんも、もう猫と一緒に昼寝なんかできないね。指以外のところも噛み切られちゃったりしたら大変だよ。猫版安倍定事件が起こったりして。
では誰が、あるいは何が犯人だって言われても分からないけれど。
世の中信じられないことが起こるのは多々あることだけれど、この事件、事故?果たしてどう決着するのだろうか。
2005年9月29日(木)
師範塾
「新しい歴史教科書を作る会」の元副会長で、埼玉県教育委員の高橋史朗氏が既に2県で開塾している教師のための塾「師範塾」というのを埼玉県でもNPO組織で開塾するということだ。上田埼玉県知事も賛同しているようで、教師に技術を教えるところはあっても人間性を教えるところは無いからというのがその趣旨のようだ。
上田知事とは先日ある会に基調講演に来ていただいた後会食する機会を得たが、埼玉県の為に非常な努力をされていることは尊敬に値するし、人間的にも素晴らしい人なのだが、教育に対する右寄りの姿勢はどうもいただけない。
教師に人間性を教えるのは簡単だ。お山の大将的立場で閉鎖的な組織の中に長時間浸かって世間を知らない教師が大部分なのだから、数年に一度期間を設定して民間に出向させれば良いだけのことだ。
日本国民やアジア諸国に大きな犠牲を強いたかつての戦争を反省せず自虐史観だという人が、教師にどんな教育をするかは目に見えている。
大体、死語になりつつある「師範」という言葉を教育現場で使うこと自体が古めかしいし、歴史を後戻りさせている。
2005年9月13日(火)
低迷巨人軍
大敗を喫した民主党の次期党首と並んで、プロ野球巨人軍の次期監督の人選もあれこれと取りざたされていますが、もうこの人しかいないという候補が急浮上しました。
そうです、小泉純一郎氏です。小泉総理はあと1年の任期中しか首相(自民党総裁)をやらないと明言していますので(もっとも、政治家の明言ほどあてにならないものはないけれど、ここは彼の言葉を信じて)、取り敢えず来年の9月までは原でも江川でも星野でもいいから適当な人に繋いでもらって、そのあとエース登板で小泉氏に監督をやってもらい、巨人を改革して以前のような人気球団にしてもらえばいいのではないでしょうか。似非(えせ)改革でもなんでもプロ野球は政治と違って人気が出てそれが継続できればそれでOKなんですから。
低迷巨人どころか、落ち目のプロ野球人気も一気に回復間違いなしでしょう。
なんといっても野球は日本のスポーツの大元締めのような物ですから、野球の人気がないと他のスポーツもどうも盛り上がらないし、景気にも多大の影響を及ぼしてしまいます。
ただし、小泉氏が監督になると、「野球は巨人、野球は巨人、スポーツは野球、スポーツは野球」とだけ叫び続けるので、日本のプロ野球界は今まで以上に巨人一辺倒で他の球団は省みられなくなるし、スポーツも野球だけ一人勝ちの人気になる恐れはありますが。
ついでですが、超人気の小泉自民党党首に対抗する次期民主党党首は、こうなったら思い切ってキムタクとかビートたけしのような人しかいないんじゃないんですかねえ。
2005年9月12日(月)
120の約束
今回の総選挙の結果については様々な見方があろうが、重要なのは今後の日本を自民党はどうするかということである。
郵政民営化一本に絞られた感のある選挙ではあったが、自民党のマニフェストには当然郵政民営化だけでなく様々なことが書かれてある。自民党の120の約束ということをうたっている。
われわれ国民にはなかなか困難なことではあるが、この自民党の120の約束を忘れてはならない。特に今回政権党に手を貸したマスメディアや評論家は自民党マニフェストにある政策の実現状況の検証を今後シビアに行わなくてはならない。
2005年9月9日(金)
マニフェスト
11日の本番に向けて一日おきに練習している東京都指定無形民俗文化財の小河内原の獅子舞、今日が練習の最終日なので仕事が終わったあと、筆者も入間市からはるばる(でもないけど)奥多摩まで行くのです。
一日おきに奥多摩まで行っていると、一週間経つのが本当に早いと感じる。
衆院選の候補者もここへきて追い込みで、追い上げている候補はもうあと何日か余計に選挙運動期間が欲しいのではないだろうか。
投票日に向けて各党は自党の主張をマニフェストにして懸命に訴えているが、各党の主張通りになれば日本はバラ色だ。
マニフェストというのは「政権公約」であって、政権を取ったらこれだけのことは実行するという約束なので、重要なのは政権党がそれを実行しなかったら政権から下りなければいけないということなのだ。
だから、今回のマニフェストの検証はそれほど重要ではなく(何しろ各党みんなバラ色の未来を描いているのだから)、真に論証すべきは、前回2003年の衆院選挙の公約を政権=自民党がどれだけ実行したかということなのだ。そしてそれに対して正しい判断を下す能力が有権者に無くてはどうにもならないということだ。
衆院の任期は4年だが、まだ2年経っていないので公約の達成度は100%は無理としても、前回総選挙のマニフェストのその後を徹底検証しなければ今回の選挙など何の意味もない。
それを採点する何とかいう会が先日あるにはあったが、各団体により点数がまるっきり異なっていた。確か80点位から30点位までだったと思うが、これでは一般有権者はどう判断していいか分からない。
真のジャーナリズムが根付いていない日本では、各報道機関は刺客だのなんだのとどうでもいいことしか取り上げず、バカな御用評論家共も前回総選挙の政権公約の達成度など話題にもしない。
われわれは勿論そうではいけないのだが、日々の生活に忙しく、前回の公約などとっくの昔に忘れている。
こういう時こそメディアはジャーナリズムの本領発揮して、有権者に分かりやすいように、権力に追随なしに、前回総選挙の政権党のマニフェストを徹底検証すべきではないのか。
選挙まであと2日、もう遅いか?
2005年9月8日(木)
バナナの糠漬け
驕り昂ぶる日本の巨大メディアは相も変らず捏造記事やヤラセや大本営発表報道で国民を騙しているが、とうとう捏造の責任を取って新聞協会長が辞任した。
てなことは今回は置いといて、もっと奥の深い食の問題、はちょっと大袈裟ですが・・・。
かつては日本のどの家庭にも必ず有った糠漬け、筆者は毎日朝晩掻き回して天地返しをして糠に酸素を供給し、どうしたらおいしい糠漬けができるか日々研鑚(?)していますが、その漬ける野菜の素材の情報です。
定番のナス、キュウリなどはもちろんですが、なんと、最近凝っているのがバナナの糠漬け。
ギョエ−!って思わないで下さい、これがなんとも美味しい。バナナの甘さに糠床の薄塩味がマッチして、この世の物とは思えない美味しさです(またまた大袈裟な)。バナナは皮を剥いて漬けるだけ。今有るのは柔らかめのですが、できれば硬めのバナナの方がいいかもしれません。
あと美味しいのが玉葱の糠漬けです。玉葱はバラして漬ければ早く漬かりますが、普通の野菜よりは長くかかるけれども、玉葱の辛さと甘さがやはり糠床の塩味と微妙なハーモニーを醸し出してなかなか美味しいものです。糠漬けファンの皆様、お試しあれ!
2005年8月23日(火)
さおだけ屋はなぜ潰れないか
夏の高校野球も駒大苫小牧高校が連覇して閉幕したけれど、終わってみたら部長の暴力事件が有ったことが明るみに出て、明徳義塾が出場辞退したのと比較されてどうのこうのとなっているが、もう既に総ての結果が出ちゃっているから、優勝辞退ってことになるかどうか知らないけれど、それで準優勝の京都外大西が繰り上げ優勝になったって、喜ばないだろうなあ。
ここは思い切ってすべての試合をやり直しにするっていうのが公平でいいね。
高知高校が繰り上げ出場したのもそうだけど、3年生は慌てるだろうね。今までの野球漬けの毎日から、進学する人は猛勉強にシフトしてるだろうし、負けてやけくそになってる3年生なんか、彼女と遊びまくっているからフ抜けた体になってしまっているから大変だ。投手なんか捕手までボールが届かないし、届いたと思ったらデッドボールの連続で、ついには乱闘騒ぎになっちゃったりして。
打者も素振りの練習なんかも全然してないからバットを振ると握力が無くなっちゃったのでバットが手から離れて投手を直撃したりして、これじゃまるで昔流行った「嗚呼!花の応援団」の青田赤道の野球だっての。
駒苫なんて省略して表記する新聞もあったけど、正式校名は駒澤大学附属苫小牧高等学校というのだが、たまには正式名称で表記しないと本当の校名が分からない。
中日だかどこかのプロ球団に山本昌(やまもとまさ)という投手がいるけれど、あの選手の本当の名前はなんていうんだろうか。放送も新聞も必ず山本昌になっている。他に山本という投手がいるので区別するためなのだろうけれど、たまにはフルネームで言って欲しいね。それともフルネームなのだろうか。いや違うと思う。フルネームは山本昌之輔とか山本昌左衛門とか山本昌五郎とか山本昌之丞なんていうんじゃないのかなあ。
わが母校は残念ながら東東京でベスト8どまりで、甲子園には行けなかったけれど、神宮球場でやる予選はプロ野球と違って一生懸命だし、スピーディーでダラダラしてないので楽しめた。
朝日新聞と毎日新聞に母校の熱戦の記事が写真入りで載ったので、その記事と写真を母校の同窓会報に転載させてもらおうと両新聞社に了解を求めたら、いろいろと条件をクリアして許可されたが、印刷された紙面からそのままスキャンして載せるだけなのに、なんと両新聞社からそれぞれ5,250円請求された。しかも振り込み手数料こちら持ちで。多分他の新聞社も同じ料金なのだと思う。これって独禁法違反では?
あのホリエモンが講演で推奨していた、山田真哉著「さおだけ屋はなぜ潰れないか?」に、さおだけ屋は仕入れの費用がほとんどゼロの副業だった!ということが書いてあるが、この新聞社の紙面利用に料金を取るという事はまさに売れた分がそのまま儲けのかなり効率のいい副業(大新聞にとっては額は小さいが)である。
かつては新聞紙面を利用するのは許可さえ得れば無料でできたが、社会の木鐸、オピニオンリーダーを自任する大メディアがいつから利益を目的としない同窓会報のようなところからも料金を徴収するようになったのか。
大新聞社にとっては腹の足しにもならないような金額の利益追求に走らず愛読者にサービスしてもいいと思うけれど、弱肉強食、勝ち組負け組選別社会ではそういう考えは甘いか?
2005年8月17日(水)
仁義なき戦い
あっという間のお盆休みも終わった。親戚回りをしたり迎えたりでどこにも出かけられない例年だが、それなりにのんびりした。
時節に偶然合致したのか意図したのか、WOWOWで飯干晃一原作深作欣二監督菅原文太主演の「仁義なき戦い」シリーズを放映していた。昨日の友は今日の敵、義理人情なき抗争、まさに仁義なき戦いは映画では直接命を狙うが、それを除けば小泉権力亡者のやり口とまさに一致する。
映画では黒幕が子飼いの子分や目先の利益で釣られる敵を使い、寝返らせたり、脅迫、懐柔、圧力、買収、スパイ、二重スパイ、アメとムチ、あらゆる権謀術数を駆使し、わが身と組の保身を図るのだが、結局その黒幕も殺される。はたして政治ではどうなるか。
今回自民党から続々と送られる刺客も結局自らの才能を棒に振って利用されるだけというのが分からないのだろうか。「誘惑されて捨てられて」は’63年のピエトロ・ジェルミ監督のイタリア映画だが、小泉純一郎作演出脚本監督主演の「仁義なき戦い」で誘惑されて捨てられる悲劇のヒロインを演じるのは誰になるのだろうか。
郵政民営化という改革に名を借りた権力闘争に利用されるおバカな著名人も気の毒だが、これで小泉自民党が勝ったら、まさに弱肉強食、勝ち組負け組のはっきりした弱者切捨ての社会を生きなければならないわれわれ国民が本当の被害者だ。勝ち組はそうは思わないでしょうがね。
政権交代の絶好のチャンスを民主党ははたして生かすことができるのか?
それはそうと、故飯干晃一氏の娘さんは飯星と名乗っているよね。
2005年8月9日(火)
郵便ポスト
下の欄の常識論に関して、もう一つの政治家の不可解な例。
森前総理は小泉首相が衆院を解散したら派閥の会長を辞任すると明言したということなのに、舌の根が乾かないうちにそれを撤回だって。まあ、私たちにとっては派閥の会長云々はどうでもいいけど、一般人が日々の生活の中でそういうことをしたら当然嘘つき呼ばわりされて信用ゼロになりますね。

さて郵政民営化に関して、郵政公社、郵便局が民営化に既にシフトしているんだかそうではないのか、民営化したら便利になるのか不便になるのか、あるいは民営化でサービスが変るのか、公社のままでも意識を変えればいい事なのか判断がつかない事例を一つ(今回は大事な郵貯、簡保はさておいて)。
わが社の前の国道の向かいの信号機の脇に旧式の丸い郵便ポストがありました。5日ほど前、うちの社員が手紙を出しにいったらポストが忽然と消えてなくなっていると血相変えて跳んで戻ってきました。前の日には確かにあったと。わが社から見えるところなので窓から見てみると本当にそこにあったはずのものがなくなっている。これは自動現金支払機と間違えて間抜けな金庫破りが重機を駆使して持って行ったのか、それにしては警察関係も騒いでない、うーん一体どうしたんだと。
郵便を出しに行ったのにポストが無いので困って郵便局に電話して問い合わせたら、「昨日確かにそれは移動し、別の場所に新型ポスト(注:あとで見たら型そのものは前のより新しいが、ペンキがはがれたり、汚らしいものでした)を設置しました」という、なんてことのない返事。移動した場所を訊くと、これまたわが社から見える旧場所から50メートルほど離れたコンビニの片隅だと言う。移動の理由がまた分かったような分からないようなもので、今までの場所にあるお店が閉店したからだとのことだ。
きわめて公的な施設である郵便ポストを利用者に断りもなく、事前の告知もなく勝手に簡単に移動してしまってシラッとしている神経は一体どういうことなんでしょう。
後で、旧ポストの有った土地の地主さんに、撤去を要求したのかと訊いたら、そうではなく、郵便局が勝手にそこから撤去したとのことでした。これについては苦情が殺到しているとの情報を得ている。それはそうでしょう、今まで何十年も有って毎日のように利用していた物がいきなり消えて無くなっているんだから。
上の事例を一体私たちはどう受け取ればいいんでしょうか。小泉さーん、竹中さーん、説明してくれー!ちなみに旧型の丸いポストは、郵政公社によると、しかるべき理由があれば学校などの公的施設に譲っているそうです。有料か無料かは訊きそびれました。(わが社を設計した設計事務所の入り口に旧型ポストがあるけれど、あれはどうやって手に入れたんでしょう?)
2005年8月8日(月)
予想外れ
常識(じょうしき):@ある社会で、人々の間に広く承認され、当然持っているはずの知識や判断力。コモンセンス。A「共通認識」に同じ
情識(じょうしき):@凡夫の持つ迷いの心。A強情であること。頑固。
言い訳(いいわけ):@自分の言動を正当化するために事情を説明すること。また、その説明。弁解。A過失・失敗などをわびること。謝罪。
以上三省堂刊、「大辞林」より。
しばらくこのページを休んでいたのは、7月5日の政局予想の結果を待ってからと思ったからです。見事はずれました。
私、市会議員から国会議員まで、いろいろな議員さんとお付き合いさせて頂いておりますが、総じて言えることは議員という身分の人は世間の常識とかけ離れている人が多いということです。
いい例が選挙になると出てくるあのポスターで、一般の人にとっては、わが顔写真がでかでかと張り出されると家族も本人も恥かしくて仕方ない。しかし政治家は違いますね。人にさらすポスターの顔は大きいほどいいし、枚数も多いほどいいんですね。そんな例は枚挙にいとまがありません。
だから、政治家が1+1は3だ4だと言い、あり得ないそんなことが不思議だが通っちゃうというのはそれほど驚かないようになりました。
だから今度の郵政民営化をめぐる混乱も、今まで知りえた政治的常識をいろいろと考えめぐらせて、小泉首相だから1+1=3はないだろう、1+1は5くらいまで強引にもっていくだろうと。
ところが結果は皆様ご存知の通りになりました。いくら小泉首相でも1+1が10になるとは思いませんでした。小泉首相の常識、情識。
以上郵政政局予想が外れた言い訳でした。
その郵政に関して身近に起こった不可解な事案は次回に。
そして現在開催されている高校野球に関しての納得いかない事例は次々回に。乞うご期待。
2005年7月5日(火)
郵政政局予想
郵政民営化法案が5票差で衆院を通過した。この5票差というのが微妙で、賛成派はホッと胸をなでおろし、反対派は勢いづいて、参院通過阻止に向けて気勢をあげる。
そこで小泉首相は、参院で否決されたら元も子もないので、法案参院可決に向けてあらゆる手を使うと思うが、当然小泉郵政花道論が出てくる。
小泉首相は郵政一辺倒なので、念願の郵政が片付けば他にやるべきこと、できることがないので、つまり、北の拉致問題も解決できないし、北方領土も勿論返還の目処は立たないし、国連安保理常任理事国入りも手詰まり、イラク情勢も不安定ということで、郵政法案成立及び8月15日に靖国参拝の公約実行とを引き換えに退陣という筋書きだ。そうすれば晩節を汚さず、なんと言ったっていい悪いは別にして郵政民営化した首相として後世に名が残るからね。
こうなると問題は誰が次の総理になるかだが、これが難しい。なかなかしたたかな小泉首相、オイラの予想通りにいかず粘るかもね。
郵政公社も民営化を恐れてか最近はサービスが良くなって、印刷用のハガキを注文すると配達までしてくれる。振込用紙は何千枚でも無料だし、印刷屋の敵だが、振込用紙の記入欄には1枚1円で印刷までしてくれるのご存知でしょうか皆さん。あれって小さいので、印刷するの結構大変なんですよ。民営になると絶対無料じゃなくなるし、印刷代も結構取られることになると思う。
なんか郵便と郵貯と簡保とがごっちゃになっちゃって、肝心の不透明な郵貯、簡保の350兆円という金の流れはどうなっちゃうんでしょうね。
2005年6月23日(木)
梅原猛氏対石原慎太郎氏
眠いです。サッカーコンフェデレーションズカップ、対ブラジル戦、惜しくも引き分け。
結論。中田ヒデなくして日本は戦えない。

昨日の東京新聞夕刊文化面に、6月13日同欄に載った哲学者梅原猛氏の石原慎太郎都知事批判の文章に対しての知事自らの反論が載った。日本の最高級知性と一般的には思われているであろう両者(私は石原氏の日頃の言動は知性のかけらもないと思っているが)の言説に興味を持った。
梅原氏の石原氏に対する批判は、最近巷間言われているところを多少詳しく述べているのであるが、それに対して石原氏は数多の権力者がそうであったように、そしてその結果憐れな末路をたどったように、謙虚さというものを持ち合わせず、何らの反省もせず、梅原氏の批判に対してことごとく反論理的な反駁をしている。−詳しくは東京新聞をお読みください−
石原氏は「文学と政治は方法としてのそのよりどころが多く言葉にある・・・」と言っているのだが、そこに氏の文学者と政治家としての限界を感じる。文学の言葉による表現はいささかも瑕疵があってはならないが、では、政治はどうかと言うと、やはりその通りであるのだが、現実の政治の言葉の空虚さはどうだ。何にもやらないことを「善処」、管理することを「保護」と言って憚らないような例がいくらでもあるではないか。氏はそれに反発してか、あるいは議員としての自らの限界を感じたのか、国会から去ったのではなかったのか。
また、石原氏は、「ハイエナに似た大方のメディアの、浅薄な報道の尻馬に乗っての居丈高なお説教は日本のインテリの限界を示していて、物悲しい」とも述べているが、大方のメデイアの浅薄な報道というのには同意するにしても、「居丈高なお説教」は氏が常々親しんでいるやり方で、まさに自身の事を言っているのではないのか。そこにも氏の言葉に対する欺瞞性を感じないわけにはいかない。梅原氏はきっと「その言葉はそっくりお返しする」と言うに違いない。
知事の仕事の内容も知らずに余計な詮索は僭越であるとも言い、梅原氏の政治に関する基本的な認識の誤りの一つを指摘しておくとして、選挙で選ばれた特別職の責任は毎日役所に行って座ることだけでは十全に果たし得ないと。そこにも氏の言葉に対する重要性の認識不足が露呈していて、梅原氏は知事が毎日役所に行って座っていればいいなどとはどこにも言ってない。都知事は上田埼玉県知事や松沢神奈川県知事、中田横浜市長の爪の垢でも煎じて飲んだほうがいい。
さらに、梅原氏が言った「人気とりと思われる派手なパフォーマンスをすることをやめて」に対しても、「なにをもってか」と驚くべき無知さで切り替えしている。石原氏が週に2,3日しか登庁しないのに、巨額の都税を使って沖ノ鳥島あたりまで部下の役人や、氏の言うハイエナに似た大方のメディアを引き連れて繰り出し(多分氏は、勝手について来たとうそぶくに違いない)、海に潜り、チタンの島標にキスするというのがパフォーマンスでなくてなんなのか。
政治家だか作家だか石原氏はそのどちらも一流だと自負しているようだが、かつてフランス・ドゴール政権で文化相を務めたアンドレ・マルロー氏(1901〜1976)には及ぶべくも無い。
石原氏の同文章には言葉と政治、行動、批判文の読み方等々、まだまだ論破すべき個所が多々あるのであるが、時間の無駄なので省略。
梅原氏の再反論を期待したいが、石原氏に何を言っても無駄だと思って再反論はしないかもしれない。
2005年6月17日(金)
紛失物
サッカーコンフェデレーションズカップ、対メキシコ戦、先取点を取ったまではよかったが、明らかに押されていて、同点に追いつかれたのでハーフタイムまで見て就寝した。多分あと一点くらい取られるだろう、良くて引き分けかなと思っていたら2−1の敗戦、ある程度予想通りになった。それでも前半小笠原からのパスを加地がセンタリングし柳沢が合わせて先取点を取ったのは見事で、まあアジア王者として見ごたえはあった。
まあまあ満足な気持ちで眠い目をこすりながら起床してテレビを点けると相変わらずの若貴騒動。
昨年亡くなったわが恩師が二子山親方のお姉さんと青学の同級生で、まだ二子山が貴ノ花として幕内だか小結で売り出し中の頃、そのお姉さんに恩師の家でお会いし、親しくお話させてもらったことがある。そのお姉さんの子は当時の貴ノ花のことを「満(みつる)おじちゃん」なんて言っていたことを思い出す。もともと先代若乃花以来の相撲ファンで、そんなこともあったので余計二子山一門の相撲は関心があったが、まさかこんな騒動に発展するとは思わなかった。
この騒動があって、そういえばあの時貴ノ花の手形サイン入り色紙を頂いたはずだと思って探したが、大切に保管しすぎてどこにしまったか見つからない。
「兄弟は他人の始まり」、か。「他人の不幸は蜜の味」、か。いろんな諺、見方があるけれど、マスコミの格好の餌食にされているのは確かなようで、週刊誌はこれで相当部数を伸ばしたんでしょう。
で、そんなことはどうでもいいやと出勤用意をしていたら、いくら探しても見つからなかった車のメインキーがちょっとしたところから出て来た。
あれまあと思って、近くにある机の下を覗いたら、今度は、鮎釣りシーズンに備えて用意しとこうと思っていたがやはりどうしても見つからなかったサングラスが出て来た。
冷静に考えれば有る所に有ったという事ですが、見つからない時にはいくら探しても見つからないもので、井上陽水も探すのを止めた時見つかる事はよくある話だと唄っている。
紛失物、さがし物が見つかった時の気分は上々で、サッカーの健闘とあいまって今朝の気分は上々だ。でも、貴ノ花の色紙が見つかっても、そんなに気分良くなれないと思う。
2005年6月1日(水)
住民側対行政側裁判
住民側対行政側の重要な裁判の判決が相次いで出されている。
金沢地裁に続いて、住基ネットに関する訴訟で、今度は名古屋地裁で住民側敗訴の決定がなされた。
昨日の金沢地裁判決と正反対の決定がなされたわけで、司法の住基ネットに関する無理解と混乱ぶりが表われているといえる。プライバシーの侵害もそうだが、住基ネットに利権は絡んでいないのか。詳細略。
また、圏央道高尾訴訟では、東京地裁が、公共の利益の方が不利益を上回るとして住民側の訴えを退けた。入間市に居住するものにとっては圏央道の完成は非常に便利になるのは確かだが、高速道建設には利益、不利益、利権、環境いろいろ絡んでいる。詳細略。
2005年5月31日(火)
裁判
都知事
金沢地裁で30日、住基ネットは憲法が保障するプライバシー権や人格権を侵害し違憲であるとの判断が示され、訴えた原告住民の勝訴となった。一方、高速増殖炉もんじゅの原子炉設置許可の無効確認を求めた訴訟では最高裁が、もんじゅの安全性を保証していないにもかかわらず、住民の訴えを退け、高裁の判断とは異なる逆転判決となった。しかも5裁判官全員の意見で。また、福岡高裁では諫早湾干拓事業の工事差し止めの仮処分決定を下した佐賀地裁の判決を覆し、原告漁業者らの訴えを退けた。
地裁高裁の違いはあるが、すべて下級審では住民の訴えを認めているにもかかわらず、上級審では行政側追随の決定を下している。多分、住基ネットも行政側が上告し、上告審で逆転判決が出ることはほぼ間違いないと予告しておく。
また、下級審ではしばしば憲法に保障された、立法など国家機関の行為が憲法に適合しているかどうかを審査する違憲立法審査権を行使しているのに、上級審では憲法判断を避けて自らの権利を放棄している傾向が強い。
国家は言うまでもなくそこに住む住民で成り立っており、住民が国家を形成し運営する。国民が組織した国家とある意味で契約関係を結び、国家は国民の安全を守る義務を負うし、国民は納税その他の義務を負う。したがって、国家、行政が住民側の利益に供しなければいけないのは当然であるし、行政というのは人格ではないので、行政側の利益に基づく判断を裁判所が下すのは明らかに間違っている。
公益という名の詭弁の元に特定者の利益のみを最優先し、大多数の国民の安全性や個人の人格権を奪っているのが同じ国民が運営する今の三権であり、日本の風潮でもある。

報道によると石原東京都知事って週に2〜3日しか登庁しないんだってね。それで済んじゃう東京都って一体?それで済ましてる知事って一体?
副知事と教育長、出納長等5名を総入れ替えっていうけど、いつも威張っている知事が辞めて副知事が残ったほうがいいんじゃないの?
私めの長年の観察によれば、石原知事が記者会見などで、かなりの頻度で目をしばたかせる時は、精神的に高揚しているか、心にもないことを言う時が多い。まあ、一種の嘘発見器ですね。
2005年5月30日(月)
新旧日本兵
フィリピンのミンダナオ島に元日本兵がいるのいないのと大騒ぎになりましたが、何日か前の東京新聞の一面の下の方のコラム「筆洗」に、その日本兵に関して、「元日本兵でなく、旧日本兵という表現があるのが気になる」と書いてあった。確かに旧という表現は、「新旧対立」とか、「新旧理事会」というように、旧に対して、新または現という形態を表しているのだから、新日本兵というのは形式的には無く、おかしいと。
まさか、自衛隊=新日本兵のイラクでの展開、あるいは戦死した斉藤某さんの例があるから「旧」を敢えて使ったのかと。うーん、案外それが正解かもしれない。
その当の東京新聞の表現が「旧日本兵」というのはどうしたもんでしょう。他の新聞は知りませんが、民放は各局「旧日本兵」と表わしていますが(TBSは‘元’)、さすがは我らがNHK、「元日本兵」を通していますね。受信料払い続けてよかった。
今度の場合はやはり「元」が正しいのではないでしょうか。「元プロ野球巨人軍選手、タクシー強盗をはたらく」とか、「元プロレスラー、国会へ」、「旧経営陣、逮捕へ」、「旧三和銀行、現UFJ BANK」なんて見出しを見れば一目瞭然です。
このところ頭の中に「旧日本兵」と「元日本兵」が交錯して、気になって仕方が無い。テレビやラジオで「旧日本兵・・・」と聞くたびに「違う、違う、元日本兵だ!」と頭の中で叫んでいる自分がいる。
それより、「ホームレスSさん(元印刷会社経営)」なんてことにならないように頑張らなくっちゃ。

*悼、元大関貴ノ花。合掌。
2005年5月24日(火)
「邂逅の森」
入間市立図書館に貸出予約をしておいた熊谷達也著直木賞受賞作「邂逅の森」がやっと借りられたので読んだ。人気本はなかなかすぐには借りられない。
財政難という理由で文化に力を入れない入間市では図書購入費をどんどん削られているので、購入係は泣いていると聞く。このご時世、無料で借りられるというのは魅力だが、市の予算の適正執行を前提に、ある程度の貸し出し料を徴収してもいいのではないかとも思う。

「邂逅の森」は東北のマタギの世界を、圧倒的な迫力の自然と山の神への畏敬を人間関係と織り交ぜて描くスケールの大きな物語で、一気に読ませる。大正から昭和にかけての寒山村の様子や鉱山、さらには恋愛、不倫、男色、夜這い、遊郭など当時の日本の裏面史も描いていて興味深い。特にラストシーンの主人公と山のヌシの大熊との激闘シーンは超弩級の迫力で読ませる。
ただし、一級の読み物には違いないのだが、大自然と人間関係を無理に織り交ぜたような印象がぬぐえないので、畏敬する自然と対比してかなり濃密なセックスシーンの描写は過ぎるのではないかと思える。物語の中で男女関係は当然必然的な要素ではあるのだが、男女、男色も含めて性描写はある程度に抑えて、後は読者の想像に委ねるのがベターだと思う。
さらに、長編にありがちな、中途半端な終わり方も気になり、主人公富治の実の息子が現れるのだが、その息子幸之助の登場、存在の必然性が無い。説明が不足していると思う。続編があって良いような内容になっているのだ。
とはいえ、アウトドアに興味がある人にとっても一読に値する小説で、われわれのやってるアウトドアなんて、当然のことながら単なる遊びだということを再認識させられたが、大変参考になる情報が詰まっている物語でもある。
え、みんなもう既に読んでいるって!?
今読んでいるのはわが敬愛する小泉武夫先生の「くさいものにフタをしない」だ。
2005年5月9日(月)
ホリエモン
わが社にとってゴールデンウィークはワーキングウイークで、休み前に総会資料などの原稿を入稿するお客様は、休み明けに製本まで出来上がっているのを要求しているので、なかなか休めません。
おまけに体調を崩したシマザキ印刷あるじは、さすがに昨日の日曜日はのんびりして、入間市民会館で開かれた入間青年会議所主催のあのホリエモンの講演会に出かけました。
ホリエモンの講演内容は想定の範囲内で、キャッシュフローの話から始まって、車は中古車をできればローンで買えだのというようなことを、質疑応答も含めて約2時間にわたって語りましたが、取り立てて感心するような内容はありませんでした。しかもホリエモンの話の仕方はメリハリがなくて、ジョークもほとんど織り交ぜないので、退屈そのもの。薫風の季節、眠気を誘われました。
ホリエモンは多分、落語や、講談や、漫才や、いわゆる日本の話芸にほとんど興味がなく、今まで聞いていないと思う。講演会はそれほど開催していないと司会者から紹介がありましたが、あれほどの人物、もう少し落語などを聞いて、間の取り方や、ジョークの入れ方など、話し方を学んだほうがいいと思う。
マネーゲームの先端を行っている感じのホリエモンでしたが、話を聞く限りでは意外と堅実な考え方をしているなあというのが感想でした。
ホリエモンは今後の展望として、癒し系や健康系、ナノテク系が有望だと言っていました。
私は読んでいませんが、ホリエモンは著書で、例えばメールを打つ際、前文の「いつもお世話になります」などという無駄な文はいらないと言っている。お世話になんかなってないんだからって。でもねえ、そういう一見無駄なことが結構人間関係を癒していることだってありますよねえ。あんまりガチガチに利益第一主義になって、スピードを追い求めると事故の元ですよ。立川志の輔も落語の枕で、「寝ていて転んだ例しなし」って言ってるじゃありませんか、関係ないか?

JR西日本の大事故、犠牲者はお気の毒というほかありませんが、事故原因追求と並行して、こういうことがあるときまって‘活躍’する超横柄な記者の個人攻撃、バッシングも始まりましたね。まるで自分が犠牲者の家族のような高飛車な記者の態度はどうにかなりませんかね。事故原因につながる、組織の体質や構造などの欠陥をまず追及すべきで、個人を吊るし上げたって仕方がない。
ゴルフをしていた、ボーリングをやっていたっていったって、あの実習船えひめ丸が米原潜に体当たりされて多数の死者が出た時だって、日本の某森なんとか首相はゴルフを止めなかったのは記憶に新しい。日本の体質ってそうなっちゃっているんですね。
そもそも日本全体がスピード狂時代に突入していて、ちょっと歯車が狂うと大惨事につながるっていうのも想定の範囲内で、庶民は結構ビクビクしながら日々励んでいるんです。
しかも安全は二の次っていうのは政府の方針がそうで、ついに、米の圧力で狂牛病対策で全頭検査をしないアメリカからの牛の輸入規制も緩和するというのもそういう構造の一環なんですから。
ファーストフードを反省して、近頃は安全なスローフ−ドに関心を持つ人が増えていると聞きますがいいことです。
奥多摩湖畔に手打ちラーメンのおいしい人気の食堂がありますが、その店の名は「のんきや」。ここを通るといつも、いいネーミングだなあと思いますが、のんきなのは店の名前だけで、働いている人は結構忙しくしている。でもこういう名前の店に入ると、注文の品が出てくるのが多少遅くなったって気にしないんでは。
わが社もこの店を真似して、「のんびり印刷」なんていう名前にしようかな。でも、スピードと正確さと値段が命の印刷屋、お客が絶対来ないだろうな、残念!
2005年4月19日(火)
憲法の理念
衆院憲法調査会の最終報告書が4月15日、賛成多数で議決されたことを受けて、いよいよ国民投票法案が論議の焦点になりつつある昨今、小泉内閣での憲法改正には断固反対という改憲派の論客がいる。慶応大教授、小林節氏である。氏は1990年代から改憲論をリードしてきたが、以下は16日付東京新聞の記事から氏の発言の引用である。ちょっと長いが傾聴に値するので掲げる。

 国民投票法の与党法案には公職選挙法にならった様々なメディア規制が盛り込まれているので、メディアがオピニオンを主張するのを規制しないで頂きたい。
 衆参両院の憲法調査会を含め、国会での憲法論議のでたらめさに我慢ができないので、小泉内閣での憲法改正には断固反対。
 本来、主権者の国民が権力者を縛るのが憲法なのに、権力の側は国民を規制する役割を憲法に求めている。悪意なのか無教養なのか、これでは明治憲法に戻ってしまう。
 法を丁寧に扱わなければ国家権力は必ず暴走する、自衛隊のイラク派兵がその典型だ。
 異常な事件が起きると政治家から、家庭がおかしい、憲法が悪い、戦前は教育勅語があったなどの発言が相次ぐ。事件を憲法のせいにするのはお門違い。憲法に愛国心的な要素を盛り込むより、良い政治をすれば国民は自然に国や社会を愛するようになる。
 護憲派は論戦から逃げることで改憲をつぶそうとしている。憲法を拝めというだけで本当の憲法教育をしてこなかったから、有権者の憲法に関する教養が低くなってしまった。

小林氏は確か、かつて田中真紀子氏のブレーンで、今では袂を分かったと聞いているが、いずれにしても改憲派をリードしていた論客がこのような発言するのは注目に値する。
同じ紙面には護憲派の代表として、上原公子国立市長の主張も載っているが割愛。詳しくは4月16日東京新聞朝刊、26面をお読みください。

小泉内閣のアメリカ追随一辺倒政策や公益を考えない単なる小泉氏個人の趣味としか思えないような言動、あるいはかつて戦争を推し進めた人たちのせいで、何ら責任のないわれわれ国民まで近隣諸国からさえも嫌われるのは割に合わない。
郵政民営化の事しか頭になさそうな小泉氏は、日中、日韓、日朝関係で迷惑を受けている日本国民に対して、まさか自己責任だと言うつもりはないでしょうね。
日中関係の改善策は、故田中角栄氏の娘に再び頭を下げて、特使として中国に行ってもらうことかもね。
2005年3月26日(土) メディア論を戦わせないままITと放送と株屋とその他魑魅魍魎どもが跋扈して、要するにどうしたら金儲けができるか国民を巻き込んで相変わらず騒いでいる。
グリコ森永事件の犯人と疑われたキツネ目の男こと宮崎学氏は、現代では完全なる反体制派は成り立たず、体制の中から育った者が反体制を形作る、ホリエモンもその範疇だというような意味のことを述べているが、私は違うと思う。ホリエモンはそのような崇高な意思などなく単なる金儲けのための反守旧派なのだと思う。
今度の騒動では金も知恵も行動力もあるところにはあるもんだと思うが、それを自然災害の対策や、環境問題や、福祉や、教育に生かせないものか。そこまでの叡智はないということなのか。
2005年3月9日(水) 昨年末同級生が亡くなったのに続き、つい最近義母が亡くなり、生者必滅会者定離なんて感じていたら、権勢を誇ってわが世の春を謳歌していた堤義明氏も逮捕されたりして、「ああ、やっぱり盛者必衰なんだこの世は」って思う間もなくずっと話題になっているライブドア対フジテレビの株争奪戦が相変わらず話題沸騰で、他にもいろんなのが出てきて、三角四角どころか多角関係のくんずほぐれつ状態、この間まで他社メディアが追っていたNHK対朝日新聞は一体どうなっちゃったんだ。
株券の印刷を受けたことはあるけれど株を持とうなど考えたこともない私めにとっては株や経済についていい勉強になっているけれど、株だのインターネットだのメディアだのの専門用語がどっと出て来るのが今の日本なんだなあ、しかも守旧派のメデイア常連組が実はホリエモンの言うことをあまり理解してないっていうのがばればれで、コメンテーターってメデイアの怖さが分かってないんだなあというのも分かった。
でも、守旧派の代表格のフジテレビが政権に迎合して芸能軟弱路線で国民脳皆ピーマン状態化を狙っているのは、ホリエモンがえらそうに言うインターネットと既存メディアの融合と、目指す所は同じなんじゃないの。
われわれ庶民にはほとんど関係、影響ない株の取得うんぬんより、堤義明氏の悪行を掴んでいながらしまっておいて、落ち目になると徹底的に叩くメディア論をインターネット論と絡めてこの際それこそ徹底的に論ずるべし。
よく分からないけど、日枝会長って、かつてフジテレビのオーナーの鹿内一族を追い出したんでしょ。自分も鹿内氏の二の舞いになるのを恐れてるんでしょうね。
今のメディア風に言うと、ホリエモンは東大在学中に同じゼミの女子学生に言い寄って振られたので、その腹いせにフジテレビ支配に動いたっていうね。そうです、その学生こそフジテレビの佐々木恭子アナです。そんなことがホリエモンの行動の基本なんじゃないの。
最後にまじめな話。週刊文春に作家の猪瀬直樹氏のコラム「ニュースの考古学」があるが、そこで氏は先日打ち上げに成功したH2Aロケットに搭載したのは打ち上げる必要のない時代遅れのあほバカ衛星だと。しめて1700億円の無駄遣い。マスメディアは打ち上げ成功を手放しで喜んでいるだけで、何らこれについての問題を報じていない。
2005年1月20日(木)
三角関係のもつれ
週刊文春に「新聞不信」というコラムがあって、1月20日号に’今年からは新聞を疑おう’のリードで(滝)という人があれこれ書いている。それによると、「ドイツは苦悩する」(川口マローン恵美著、草思社)の一章「メディアという名のヒステリー」に、日本人が西洋人に対して抱く劣等感の中で最大なのは[日本人は個性に欠ける]だと著者は言っているとある。ところが、川口さんによるとドイツ女性に個性なんかあるのか?例えばハイティーンの服装をとってみればそれらはテレビや新聞主導による洗脳だといい、そこから(滝)というコラムニストは日本でも新聞やテレビが読者や視聴者を洗脳している、読者や視聴者が個性を持ちたければまず新聞やテレビを疑うことでそこから健全な民主主義が作動すると書いている。つまり新聞が右と書いてあれば左、上と書いてあれば下ではないかと疑えと。
それはそれで確かにその通りだと思うが、天下の文春のコラムニストともあろう人が今ごろそんなことを言っているようでは情けない。新聞がかつて珊瑚に自分で傷をつけて写真を撮り、記事を捏造した事件は有名だし、インタビュー記事は言ってないことを書くのは朝飯前、しゃべったことと正反対の記事にしてしまうのなんか当たり前なんですから。テレビも然り、やらせ番組、洗脳番組横行です。
要はわれわれ視聴者、読者がいかにあふれる情報の中から取捨選択し、嘘を見破るかが大事です。その能力を身につけるのはなかなか困難ですけどね、既にメディアに洗脳されてるわれわれには。
今度のNHKと朝日新聞、中川、安倍氏の争いも言うなれば政治権力とテレビメディア権力と新聞メディア権力の権力争い、その権力の嘘のつきあい、あるいはどちらかを味方につけたい三角関係のもつれなんです。結局誰が真実を言っているのか分からない。これに多分すぐ"我こそは正義"面した週刊誌なんかが参戦して、くんずほぐれつ大乱闘になるでしょう。
プロ野球も乱闘騒ぎの時が一番面白いと言うし、この権力争いも面白がって見ているうちはいいが、結局バカを見るのはわれわれ国民だ。無視されているのは視聴者や読者、国民です。気をつけよう権力の嘘。
こんな低次元の争いを続けているより、国連が難民認定したクルド人(トルコ国籍)を強制送還した人権無視の日本政府をもっと追求するのがメディア本来の役目の一つではないのか。
2005年1月1日(土)
謹賀新年
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
雪景色の新年になりましたが、この雪に"待望"と喜ぶ人、悲しみ"迷惑"と感じる人様々ですが、皆様はいかがでしょうか。
31日夕方雪がやんだので、早速シマザキ印刷脇の歩道とその延長の雪かきをしました。隣りの、入間市役所勤務の親戚も自宅前道路と、国道の歩道両側をきれいにかいていました。
凍結する前に雪かきをしておけば安心です。入間市の歩道は平坦でなく、健常者でさえも極めて【歩きにくい】ように舗装されているので、凍結すると特に危険です。
自分の敷地内だけでなく、ちょっと気をきかして歩道等他のところも雪かきすればみんなが助かります。
争わずお互いに助け合う、これが今年のキーワードでしょうか。