紫の軍隊家蟻(ムガール)蟻の最後

山松ゆうきち の小屋

紫の軍隊家蟻(ムガール蟻)の最後


伝記
紫の軍隊家蟻 (モンゴル蟻) の全滅


第一章

私の実家は、インド中部のマールワー台地の南にあり、後方にはヴィンディヤー山脈が連なる比較的高地にあります。
北には、ムスリム<イスラム>のムガール軍と、バーラト<インド>のラージプート族が、数度に渡り壮絶な闘いを繰り広げた、有名なチトール城があります。
その頃生きていた祖父は、この辺り一帯の、山の木や山羊を商うヴャーバーリー(商人)だったと言い、祖母はマハラジャ(殿様)だったと言ったのですが、祖父も祖母も、今は少しの土地を持つ農家でしかなかったものですから、
はたして先祖がキサーン(農民)なのか、ヴャーパーリー(商人)なのか、ラジャー(藩主)だったのか解かりません。

一面なだらかな傾斜の畑に、家がポツリポツリと五軒十軒あるいは二十軒と連なり、裏にそびえる山に1キロほど入った林の茂みの中には、草に覆われた原っぱがあり、草原には凸凹と盛り上がった小山が何ヶ所かあり、一番大きいのは幅が五メートル、高さが三メートルほどもあったでしょうか。
私達は、その小さな山に上って飛び降りたり、土の塊をスコップや手で掘って崩し、ナイフや木を刺して隠れ家を作ったりして遊んだのでした。
そこは何十年、あるいは何百年にもわたって、子供達の遊び場になっていたようで、一番大きな山も、私達が穴を掘り続けて崩してし、ほとんど平らにしてしまいました。
掘った穴から、胴体が異常に大きな頭の小さい、見たこともない奇妙な干からびた虫のミイラが出てきたことがあり、
子供達は棒で突付いて壊し、奇妙で得体の知れない虫の怖さに家に逃げ帰った覚えがあります。
その時は、その盛り上がった土山が蟻の巣で、ミイラが女王蟻だとは思いませんでした。

家には、何十年も、あるいは何百年もほったらかしにされている、使わなくなった古い道具のしまってある蔵があって、
埃だらけの土間の片隅の掃いた場所が、いつもの私の指定席で、それに興味があった訳ではないのですが、ただ何となく、何時書かれたのか解からない古書をめくったり、先祖が持っていた古い武器やら、農具やら、あれこれ眺めては暇を潰したものです。
捨てるには勿体無いが、さりとて手入れをする人もいないので、荒れ放題で雨漏りがするのか、錆びた農具や武器類は、原型の崩れた物が多く、
古書は、ヒンズー語に混じって、サンスリット語や、ベンガル語やら、あるいはアラビア語だろうか、テンデンバラバラにまとまりなく書かれていて、子供だった私に読めるようなものではなかったのですが、それでも時々はながめ、ヒンズー語の所だけ拾って読んだのです。
それとて手書きで、古い文字が混じりとても読みにくいものでした。
加えて、紙は質が悪く、黒く変色して文字が見えなかったり、何枚も重なってくっつき、触るとパラパラと壊れて分解してしまったりしたのです。
何百冊かの冊子本の多くは、税や畑の区分等で、書いた人の名はあっても、時代により大きな土地を持つ農民であったり、一帯を治める藩主についてのものでしたから、祖父母が言っていたように、先祖は山の中の農民でもあり、商人でもあり、藩主でもあったのかも知れませんし、
叉は、色々な人が書き綴った物を集めて、蔵に入れたのかも知れません。
中に一冊。子供の私にも何とか読める、ダクシヌ ニーラー ガル ピンプレー<南の青い家蟻>について書かれたノートがあったのです。
その本も、やはり半分は朽ちて、字は変色し触ればポロっと壊れてしまいそうでしたが、
文面の横に、桑形虫の角のような、蟻にしては大きな鋏を持った絵が描かれており、
骨と皮になった牛に、群がる蟻の絵が描かれていて、その不気味さに、気持ちが悪くなった記憶があります。
私はこの蟻を見たことが無く、この時代には、この辺りに、奇妙で不気味で小さくて強い蟻がいたのだぐらいにしか思いませんでした。


ダクシヌ ニーラー ガル ピンプレー の出来事

ぱお〜〜ん。
大きなオス象は、左足のフクラハギに5センチほどの小さな怪我をしていたが、大した傷でもなく、周りに何十匹かの蟻がたかっていた事など実際気にした村人はいなかった。

ぱわ〜〜ん。
象は、鼻を振り腹を叩いて鳴き喚き、
二十メートル、あるいは十メートル、五メートルほど走っては空を仰いで鳴いた。
「何が不満で暴れているのだ」
「雌象がどっかに行って怒っているでねえのかや」
ニームとモハンティーは、野生の子象を捕まえて育て、
穀物や切った木を運搬させる仕事をしていたから、象の習性には詳しかったが、
「傷口にガルピンプレー(家蟻)がたかっとる。肉を食っているのか、血を吸っているのか?」
「声に力がねえだよ。見かけは大した事のねえ傷だが、奥が深くえぐられて痛てえのかもしんねえ」
「さあな、こりゃ家に住む蟻だ、肉を食らうなて話は聞いた事がねえ」
「ありゃ狂ってるだ。人間みたく、頭のおかしくなる象が居るかも知れねえだ。近づいちゃなんねえ」
スレーシュは、悲しそうに鳴く象を気の毒に思い、
パダンも同情したが、この時もまだ蟻を気にする村人は居なかった。

ぶほ〜。ぶほ〜ん。ぶほ〜。
夜中になっても悲しそうに悲鳴を上げて泣き続け、あまりにうるさいので、モハンティーは月明かりの中、象を棒で叩き、せきたてて追い出そうとしたが、か弱い声で泣くばかりで、少し歩いては止まり仲間の象の元へも行かず、いっこうにその場を退散する気配は無い。
「ぱふー、ぱふー」
「図体はデカイが、一晩中ヤギのように鳴きやがる」
後から来たスレーシュも一緒になって象の尻を叩いたが、突然悲鳴を上げ地面が動いていると喚き、
「棘を踏んだ。足に刺さった、いたたた、痛てー」
ビッコを引いて家に帰り、ランプの灯りで足を照らすと、青い蟻が何匹かたかって噛み付いていた。
手で払っても離れず、胴を引っ張り頭が千切れても食いついたままだった。
その獰猛さに唖然とし、一帯を照らすと、草むらはビッシリと蟻におおわれ動く地面の正体が見えた。
蟻、蟻、蟻、まるで大地が移動しているようだ。
象の足の傷口は開き、厚い皮の中に何百何千という蟻が、せわしなくひしめきながら潜り込んで肉をむさぼり、ヒラヒラと中身の無くなった皮が揺れている。
村人は恐怖し、地を踏み棒や鍬で叩き潰すが、蟻は体長の4分の1もある大きな角をかかげ、村人の足にのぼり噛み付く。
モハンティーとスレーシュは蟻を千切り、食いついた頭をはがして、呆然としながらその場を離れ逃げた。

夜が明けると、象は後ろ足を折って座わっていた。
「ふはー」
荒い息を吐き出すような力の無い弱い声は、象の死が近い事を予見し、
傷ついた足から肉をついばみ続ける蟻に、村人はただ驚き見守るだけだった。
やがて昼近くになると、象は前足も折って寝そべる。
左足の肉は食われ、中身無い皮は骨に付き、蟻の攻撃は腿肉から尻肉へと上がって行く、
それでも象は夕方まで苦しみもがき、前足で地を叩き泣いた。
巨体が骨と皮になるまで、五日とかからなかった。


畑から帰ってきた母親のナバは、蟻が長い隊列を組んで、我が家に入って行くのを見た。
産まれて7ヶ月たった病弱な赤ん坊は、金切り声を上げて泣いている。
急いで我が子の元へ行くと、おお、何と言う事だ。
蟻は、裸に布をかけた子を囲み、尻から出入りしていた。
尻ばかりではなく、耳のまわりにも鼻にも、目にもたかっている。
子は泣き叫びながら蟻を吐き出すが、口の中に入った何匹かは、唇や舌に噛み付いて離れない。
手ではたき、足で潰し、箒をもって払うが一向にひるむ様子は無く、
蟻は、角を上げ鋏を広げて向かって来る。
ナバは子を抱えて夫のいる畑へ行き、二人して子にたかった蟻をはらって駆除したが、
尻の中や耳から体内に入った蟻を取り除く事は出来ず、引き付けを起こしながら泣く子をただ見守るだけだった。
なんと言う悪夢だ。
子は目をいっぱいに開き、震え、やがて静かになり、親が呼んでも答える事無く死んでいった。

おおおお、
見よ、草原を動くこの青蟻の大群を。
一体何匹居るのだ。
同じ蟻が共に大軍を率いて戦っている。
否、片方の蟻の胴は青く、もう一方の蟻はわずかに紫色で、蟻酸をかけ、蟻に似つかわしくない大きな鋏で相手を攻撃し、林の中は、おびただしい数の死体が転がっている。
紫色の蟻の方が数が多いのだろうか、少しづつ前進をはじめ、青色の蟻を残らず殲滅して行った。
おお、何と言う大きさだ。
体長が20センチもある青蟻の女王は、子を産み落としながら、ナメクジよりはましな速さで逃げていた。
周りには何百匹もの幼虫が、女王を囲んで守り周りをグルグルと旋回している。
女王は石や盛り上がった土は昇る事が出来ず、ノロリノロリと旋回しながら平地を進むが、
紫の蟻は、青い蟻を駆逐すると、武器の無い白い幼虫を噛み殺し女王に迫り群がり、
やがて女王は刻まれて餌となり、跡形も無く何処かへ運ばれ、
青色の蟻も、卵も、白い幼虫も一匹残らず余すところ無く持って行かれ死体は消えた。

遠く南の国からから来たと言われている。体長5ミリ前後のニーラーピンプレー(青い蟻)は、
気がつけばどの家にも、十匹、二十匹が住むようになり、
ふだんは大人しく害になる事は無く、朽ちた潅木や枯れ草を食すが、
数が増えるにしたがって、白かった身体は青く変色し、
昆虫を食らい、肉を好むようになり、獰猛な捕食者に豹変する。
百匹、二百匹に増える前に潰し、女王蟻を殺さなければ、
千匹、二千匹に至っては、青蟻の身を呈した攻撃を阻止するは困難になる。
一体どのようにして、一万匹、10万匹の、あるいは百万匹ものコロニーを形成するのか解からぬが、
歯止めの無い軍隊のように増え続ける。
北から馬に乗って侵入した、ムガール<モンゴル>人を名乗るムスリムのスルターンは、象にまたがるラージプートの王を蹴散らし、
略奪を重ね、女は犯しさらい、男は奴隷に使い、ヒンドー<インド>の国を次々と滅亡させ支配下に置くが、
南から来たこの獰猛な青い家蟻は、冷血無比なムガールよりも先に、ヒンドーの国を支配するような気がしてならない。


私は次男でしたから、家をつぐ気は無く、町の高校に寄宿して通いましたので、たまにしか家には帰りませんでしたが、夏休みの宿題のレポートに困り、実家に帰り蔵に入って、更にボロボロになったニーラーピンプレーの本を出して写し書きたのです。
紙は更に黒ずんで痛み、文字の読めない所は適当な言葉を入れて、レポートを書き提出したのでした。
「うわっ、気持ち悪い」
「そんな蟻はインドには居ねえよ。お前、ボリウッドに行って映画の脚本でも書くつもりかよ」
誰にも信用してもらえず、えらく後悔したのでしたが、
ただ一人、歴史好きの友人の昆虫好きの父親が、蝶や蟻の標本を収集していて、
「親父が、何かの本で、獰猛な青い蟻が居た事を読んだ事がある。それについて書かれたものがあるなら見てみたい」
と言っていると聞かされたのですが、朽ちかけた本はすでに損傷が激しく、ページをめくる度にポロポロ欠けていましたから、私が書いたレポートと、蟻の絵が入った、サンスリット語やアラビア語で書かれていそうな物を渡したのでした。