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ただ「世界平和の祈り」の中へ自分や他人の間違った想念行為や悪の行ないを投げ入れて、消していただくことによって、いつしか自他を赦せるようになるのです。「世界平和の祈り」を祈っているうちに、この赦しの境地は、体験的に理解されてくるのです。
自分を赦し人を赦すには
No.1865 2000/05/23 (火) 22:50 富士宮市
世界人類が平和でありますように「自らを信ぜよ」(五井昌久著 白光真宏会出版局)P11
…今日までの宗教のあり方では、責め裁きつつ、真理に近づいていこうとします。他人を責め裁くことを止めても、自分の心が始終責め裁きつづけてゆきます。そういう心の姿勢は、他人を責めまいとしながらも、いつの間にか責めつづけています。ですから、どうしても、業の波がぐるぐる廻りをして、その人から離れてゆきません。私は、それを本心から離してしまうために、消えてゆく姿という言葉を使って、そういう責め裁く想いを、自分を取り巻く業の波のほうに向けたり、他人の業のほうに向けたりせずに、一挙に神霊世界に光明波動の中で消してもらうための世界平和のお祈りをしてゆくのであります。これが言葉を返していえば、自分を赦し、人を赦し、ということになるのです。…
…現在、自分がときおり間違った想いをおこしたり、行なったりしたとしても、また他人が悪い行ないをしていたとしても、その人の本体は、神の子なのですから、その間違った想念行為や、悪の行ないが、再び自分やその人に現れないように、世界平和の祈りで神々の光明によって、消していただくのです。…
【 解 説 】ここで注意しなくてはならないのが、「自分を赦し、人を赦しなさい」と一方で説いても、「因果法則(因果律)は超えられない絶対の宇宙法則である」と他方で説いてしまっては、赦すことと、責めることを同時に行なう結果になり、せっかくの赦しの教えが生きてこない、ということです。真実に自分を赦し人を赦すには、「因果法則を用いて業因縁を消そう」という考えを、捨て去らなくてはならないのです。因縁因果の法則を、超えることのできない宇宙の法則として解釈してはなりません。
因縁因果の法則を、超えられない絶対の法則と見ますと、どうしても「あなたが不幸なのは、あなたのせいだ。あなたの想いを直しなさい」と説き、結局は「あなたが悪いのだ」と人を責め裁くようになってしまいます。たとえ「あなたが成功できると思えば、成功できる」と言って、因縁因果の法則のプラス面を強調したとしても、現実の生活ではマイナス面のほうが多いのですから、「あなたが病気になったのは、あなたの責任だ」「あなたが貧乏なのは、あなたが悪いからだ」「あなたが不完全なのは、私は完全ではない、と自分自身で思っているからだ」と人を責める方向へと行くのです。自他を責め裁くことによって悪因を消すことができれば結構なのですが、自他をいくら責め裁いても、自分自身も業因縁の渦に巻き込まれていながら業因縁を消すことは、不可能に近いぐらい難しいことなのです。因果法則を知ったがために、かえって、自他を責め裁いて苦しむ結果となるのです。
一方で「あなたは神の子である」と光明思想を説いたとしても、他方で因果法則を説き「あなたが悪いのだ」と説いてしまっては、言われた人は、自分が神の子なのか、罪の子なのか、判然としなくなります。神の子が悪いことをするはずがないのですから、「あなたは神の子である」と「あなたが悪いのだ」という二つの評価は、どう考えても矛盾しているのです。このように、「人間は神の子で無罪なり」と光明思想を説いても、因果法則を説きますと、「人間は善いこともするが悪いこともする善悪混淆の存在」となり、光明思想が曇ってしまうのです。この矛盾を無くすには、因果法則を用いた運命修正法を捨てなくてはなりません。そして、「人間は神の子である」という光明思想一元論としなければならないのです。
因果法則は三界において厳然として存在しており、その法則を曲げることはできません。しかし、その法則を超える法則も、また実在しているのです。物が上から下へ落ちるという引力の法則は、宇宙の法則です。しかし、鳥はなぜ空から地上に墜落しないのでしょうか。花から花へとヒラヒラと舞う蝶は、なぜ地面へと落ちてゆかないのでしょうか。それは引力の法則を、鳥も蝶も超えることができるからです。飛行機は、地球の引力の影響を受けてはいますが、空気の浮力の法則によって、引力の作用を超えて、高い空へと飛んでゆけるのです。それと同じように、因縁因果の法則は、三界に存在し作用する法則でありまして、自分が三界の心境から解脱すれば、因縁因果の法則を超えることができるのです。相手がいくら刀をブンブンと振り回していたところで、その刀の届く圏内から離れた所にいれば、その刀は空回りをするだけで、自分の体は傷つけられることはありません。それと同じように、三界の因果の渦巻く波動の圏外に抜け出てしまえば、悪い運命が潜在意識にあったとしても、その悪い運命の波は空回りしつつ、おのずと消えてゆき、自分の運命にふりかかってこなくなるのです。この因果法則の作用する三界の波動圏から抜け出ることを、解脱と言い、悟りと言うのです。ところが、因果法則を絶対超えることのできない存在と見ておりますと、いつまでたっても因果法則の波動圏の中から抜け出ることができず、自己の神性を開顕できないのです。自分を赦し、人を赦すためには、自他を責め裁く結果となる因果法則による運命改善法を捨てなくてはならないのです。
それでは「自分を赦し、人を赦す」とは、具体的にどうするのかと申しますと、自分や他人の間違った想念行為や悪い行為を、三界の波動圏を超えた働きができる守護の神霊に救いを求め、「世界平和の祈り」の大光明で消していただくのです。守護の神霊の御手によって、三界の因果世界の波動圏から、因果を超越した高い波動圏へと、自己をひっぱり上げてもらうのです。すると、自他を責め裁く業想念が、自分にも人にもぶつからずに消えてゆき、おのずと自分を赦し、人を赦せるようになるのです。「自分を赦さなければならない」とか「人を赦さなければならない」と力む必要は少しもありません。ただ「世界平和の祈り」の中へ自分や他人の間違った想念行為や悪の行ないを投げ入れて、消していただくことによって、いつしか自他を赦せるようになるのです。「世界平和の祈り」を祈っているうちに、この赦しの境地は、体験的に理解されてくるのです。
尚、現実問題として、自己の近くにどうしても赦せない相手がいたり、自己を赦してくれない相手がいた場合、どちらかが暴力をふるったり、刃傷沙汰になるほどの危険が予期できたら、無理にその相手と和解しようとしないで、その相手とは速やかに別れることをお勧めします。そして、相手から遠く離れた位置にいて、お互いの天命の完うを祈ればよろしいのです。心では赦せないのに無理に人を赦したり、心では和解できないのに無理に人と和解したり、心では嫌っているのに無理に好きな態度をとったり、心では相手のそばにいたくないのに無理に相手のそばにいたりする必要はありません。自分の心に正直になって、好き嫌いをはっきりさせて、交際することです。現在の人間は、まだ神性を開発する途中の段階ですから完全な人など、どこにもおりません。好きな人もいれば、嫌いな人もいます。自分と似た波動の人もいれば、自分とはまるで異なった波動の人もいます。嫌いな人を好きになる、ということは、口で言うほど易しいことではありません。ですから、嫌いな人は、嫌いなままでよいから、嫌いな人とは距離をおいて、「世界平和の祈り」を祈るのです。「世界平和の祈り」を祈り、人類の業想念が消えてゆけば、しだいに嫌いな人もいなくなり、いつしか、すべての人を愛せるようになります。そこで、「世界平和の祈り」をひたすら祈ることが、自分を赦し、人を赦す行法である、と五井先生は結論しているのです。