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天命を生かすための嘘と、相手を生かすための嘘
五井先生の真実と嘘のお話
No.933 1999/08/21 (土) 06:54 富士宮市
世界人類が平和でありますように五井先生の絶筆だった「嘘について」 「嘘について」というテーマは、五井先生の絶筆となったご法話にあります。白光誌には載っているのですけれど、その頃の編集部で「これは単行本にする必要はない」と勝手に判断したためか、なぜか単行本にはありません。ですから、ほとんどの人が知らないお話です。1980年9月号以降の白光誌を調べれば、「嘘について」というテーマで書かれた五井先生のご法話(絶筆)が見つかるはずです。白光編集部の人が読んでいたら、ぜひこうした五井先生の埋もれたご法話を単行本に復元してほしいと切に希望します。
さて、「五井先生は嘘をつくのですか?」というご質問ですが、五井先生の根本的な教義や「世界平和の祈り」については、すべて真実でありますが、個人指導や相手によって、時によって嘘をつくということがありました。それは五井先生ご自身の天命を生かすための嘘と、相手を生かすための嘘があります。
五井先生の教義は真実であり嘘はない 五井先生は正直な方でした。その正直さは、五井先生の教義によく表れています。五井先生の光明思想を他の宗教者の光明思想と区別して、私は正直光明思想と名付けております。なぜ、正直光明思想というのかといえば、理想(真理)は目標として掲げながらも、現実のありのままを直視して、現在の人間の姿や世界は、理想が現れるまでの過程の姿であり、不完全な姿はすべて消えてゆく姿なのだ、時間がたつにしたがって、不完全な姿は消えてゆき、人間本来の完全な神の子の神性が現れてくるのだ、というふうに現実に正直に生きられる光明思想であるからです。
それに対して、偽善的光明思想とは、正直光明思想と理想(真理)を目標とする点は同じであるのですが理想(真理)をいち早く現実に現わそうと焦るあまり、現実を無視して、現実の不完全な姿に目をつぶり時間経過を考えずに、今すでに理想が現実になったと思いこみ、「私は完全である、世界は平和である。悪は無い、病気は無い、不幸は無い、地震は無い、戦争は無い」と偽善の宣言をする偽光明思想のことで す。このような偽善的な光明思想では、かえって偽善の皮を厚くするばかりで光明心が顕現されません。そこで、五井先生は、自己に正直に生きることを勧めているのです。
聖者自身の天命を生かすための嘘 ところが、その五井先生でも、個人指導のときや相手や場合によっては、老子の「聖人は不仁(ふじん)なり。百姓(ひゃくせい)を以て芻狗(すうく)と為す」という言葉のように、自己の聖者としての天命を優先して、相手によっては不仁に見えるような嘘をついたこともあったのです。もちろん、表面的には不仁に見えても、聖者の行為には常に仁(愛)の光が輝いているのは事実なのです。このような方便上の嘘というのは、まだ神の子になってもいないのに、「私は神の子、完全円満、悪なし、不幸なし、病気なし、災難なし」と宣言する偽善的な嘘とは、全く別の嘘であるのです。
たとえば、五井先生に会うなり、五井先生の道の話をろくに聞きもしないで「五井先生はどんな有名人とつきあっていますか?」と尋ねてきて、「私のところに来ている人は、毎日の生活に困るほど貧しかったり、病気で苦しんでいたり、悩みをかかえている人たちで、みんな身分や地位の低い人ばかりです。大金持ちの人や地位の高い有名人は一人もおりません」と五井先生が答えますと、さもがっかりした顔をして五井先生の「世界平和の祈り」の話を聞かずに、そそくさと帰ってしまう人がおります。
この場合は、五井先生が「こういう人は、今生では救われない」と思い、このような人と交際して貴重な時間を費やしてはもったいない、と神さまのほうでも判断されて、このような嘘をついて、突き放してしまったのです。ほんとうは、五井先生の人脈には、有名な政治家もいれば、有名な実業家も存在しているのですが、相手を見て、時々このような嘘をつかれたのです。こうした虚栄心の強い人とか、威張った人は、五井先生は大嫌いだったので、適当な嘘をついて切り離してしまわれたのです。
犯罪になる嘘については、嘘と見抜く目を持たねばならない 犯罪になる嘘があります。人をだまして金を奪う寸借詐欺、結婚する気がないのに「結婚する」と嘘をついて女性をだます結婚詐欺のような嘘があります。また、善良な訪問者をよそおって家の人がドアを開けたら押し入る強盗とか、善意でお酒を飲ませるふりをして睡眠薬や覚醒剤を入れて乱暴する、という嘘もあります。このような悪質な嘘については、私たちはだまされないように嘘を見抜く目を持たねばなりません。先日も、ロサンゼルスのホテル内で、不用意にドアを開けてしまい、日本人が強盗に襲われたという事件がありました。相手の口先の言葉をうのみにしてはいけないので、「ちょっと、おかしいな」と感じたら疑ってみる必要があります。守護霊に日頃から加護を願っておりますと、守護霊が「この人を信じてはいけないよ」とささやいてくれたり、危険な時には「ドアを開けてはいけない」と手を引っこませたり、悪意を持った人には会わないように時刻をずらしたりして、犯罪に巻きこまれないように未然に防いで下さるものです。
また逆に、相手は真実のことを話しているのに、自分の未熟な判断で、相手の言っていることを嘘と思いこんだり、自己過信して、むざむざと事故に巻きこまれてしまうこともあります。これもやはり先日のニュースでありましたように、渓流の中州でキャンプをしていた人たちが、激しい雨が降り続き、上流のダムからの大量放水によって、猛り狂う激流にのみこまれて、多くの生命が失われた惨事が、例としてあげられます。昨年も水害があって「危険」と立て看板があり、ダムの放水を警告するサイレンが鳴りひびき「ダムの放水が予想される」として避難するように、警察署員が何度もハンドマイクで警告したにもかかわらず、その中州でキャンプをしていた人たちは、なんと答えたのか。「なに言ってるんだ。我々は大丈夫だよ」「危なくなったら逃げるから、放っておいてくれ」「いつでも岸に戻れるから大丈夫」と答えたといいます。他人の善意の警告に対して、自己の欲望や「大丈夫、大丈夫」「できる、できる」という自己過信の想念がありますと、相手の真実の声が聴こえなくなってしまうのです。自己過信ほど危険なことはありません。真理に把われた人というのも、「悪人は無い、災難は無い」と思っておりますから、無防備になってしまい、自己過信の人と同様に非常に危険である、と私は指摘しているのです。
相手を生かすために、五井先生は嘘をついたことがあったのか? 相手を生かすための嘘もあります。たとえば、実際例を出しますと、ある相談者が「この事業をしたいと思いますが、成功できるでしょうか? 五井先生が『成功できる』と太鼓判を押して下されば、私はこの仕事をやってみたいと思います」と五井先生に相談したとき、「それは必ず成功する。その事業は成功するし、金ももうかるよ、ぜひおやりなさい」と五井先生がお答えになったことがあります。
この場合、成功する人と失敗する人の二種類の結果が出ます。五井先生が「成功する」と約束して下さっても失敗することがあるのです。失敗した場合は、五井先生の霊覚が誤っているのか、五井先生が嘘をついていたのか、その人の努力が足りなかったのか、のいずれかになります。五井先生の霊覚は正しくて、その人の努力が充分になされたとしたならば、残るは「嘘をついていた」ということになります。
五井先生の嘘と斉藤秀雄氏の大失敗の理由 「それは良いから、おやりなさい」と五井先生に言われて成功した人の例が、村田正雄氏であり、村田氏は五井先生に励まされて、苦難の末に歯科用電気炉を発明し、それを事業化して大成功をした人です。また同じように「それは良いから、おやりなさい」と五井先生に言われて、大失敗した人の例が、斉藤秀雄氏であり、斉藤氏は、五井先生に「成功できる」と約束されたにもかかわらず、次から次へと新事業を失敗しつづけたのです。五井先生は、村田氏には真実のことを話し、斉藤氏には嘘をついたわけです。
五井先生は、なぜ斉藤氏には嘘をついたのでしょうか?それは事業をやらせ失敗させることによって、斉藤氏に過去世からの業因縁を大きく消滅させようとして五井先生は嘘をついたのです。最初から「これはやっても、失敗する」と言ってしまったら、努力しません。このへんの事情は、私は斉藤氏から直接何度もお聞きしたことがあります。
斉藤氏には、ご自分でおっしゃっていましたけれど、非常な事業欲がありまして、新しい事業を見つけてきては、五井先生に相談していたのです。するとその度に「うん、それはいいね。ぜひおやりなさい」と五井先生に言われた、と斉藤氏は述懐されていました。ところが、五井先生が保証して下さったにもかかわらず、その仕事は失敗したのです。ふつうの人だったら、一度外れたら、もう二度と相談にはこないところですが、斉藤氏は非常に素直な人で、「五井先生は、写真に丸い光の玉が写ったほどの大霊覚者だ」と信じて疑いません。それで、次の新しい仕事を相談してくる。すると、また五井先生は「それはいい。今度こそ成功するよ。ぜひ、おやりなさい」と励まされて、相談するついで(?)に五井先生からお浄めを受けて帰る。そうした失敗が、何度も何度も、何年も何年も続いたのです。
それから数年たって、斉藤氏は、五井先生にお尋ねしました。「五井先生、…私は五井先生を信じて、五井先生が必ず成功するよ、とおっしゃって下さるから、私は新しい事業に次々と手を出して、全力を尽くしたつもりでしたが、すべて失敗してしまいました。これはな ぜなんでしょうか? 私はよほど業が深いのでしょうか?」「斉藤さん、それはね、あなたが私と一緒に宗教活動をする天命があるからなんですよ。あなたの過去世 せて、世界平和の祈りを広める仕事を、あなたにさせたい、と神さまが思っていたからなんです。ところが、あなたは金もうけをしたい、と考えていたでしょう。その想いがなくなるまで、失敗を体験させたのです」それを聞いて斉藤氏は、五井先生のみ教えを伝道することに専念するようになり、会の理事長となったのです。五井先生は、霊修行の時代に、守護神からさんざん嘘をつかれたものでしたが、それも試練の嘘であったのです。このように守護神による試練のための嘘というものがあるものなのです。
五井先生が嘘をついた例 (1)ある奥さんが「夫と離婚したい」と五井先生に相談にきたとき、「それはすぐに離婚しなさい。あんたの夫は、ほんとにひどいやつだね。そんな悪い男はいない。さっさと別れなさい」と五井先生が言うと、「五井先生、私の夫のことをそんなに悪く言うなんて、五井先生って、ひどい。五井先生にわたし幻滅したわ。もう、五井先生なんかに、相談しないから」と怒って帰った奥さんがいました。
しかし、結局、その夫婦は、離婚しなかったのです。(あれっ、どうして?)「離婚したい、と言ってくるから、それなら仕方ないから離婚しろ、と言えば、意地をはって離婚しないし、離婚するなっていえば、さからって離婚してしまうもんです。だから、その人のためには、逆のことを言ったりすることもあるのね。それで五井先生が悪者にされてしまうこともある。でも、皆さんが幸せになれれば、それでいいんだよ」と五井先生はお話になっていました。
(2)ある人が、「私は五井先生よりも、すごい霊覚者を見つけたんです。その先生は、五井先生よりもなんでもよく当たるんですよ。その先生について行ってよろしいですか?」と五井先生に尋ねました。すると五井先生は、少しも怒らずにニコニコと聞いていて、「ほう、誰なの? そんなに当たるの。それは私よりも素晴らしい霊覚者だね。あなたは、その人について行きなさい。もう、私のところに帰って来なくてもいいよ。その指導者は、私よりも大変立派だから」とその人を見送りました。
しかし、皆さん、これは五井先生のよく使われた嘘なのです。うちの皆さんは、そうした嘘にだまされてはだめですよ。私も五井先生の真似をして、相手によってはこうした嘘をつくことがたまにあるのです。その一言だけを聞きかじって、五井先生や私から、決して離れてはいけません。方便の嘘なんですから。
(3)五井先生に、宝くじの当選の番号、競輪競馬などのギャンブルの予想を聞いても、アテモノは、すべて外れます。霊能力に興味のある人は、自分の過去世から来世、次に家族のこと、その後は友人知人、職場の同僚の運命ことなど、興味がどんどんふくれあがってきます。「職場の同僚のAさんとBさんがつきあっているようだけど、あの人たちは結婚するんですか?」とか「CさんとDさんの仲は、どんなるんですか?」とか、自分に関係のないことまで、聞きたがるのですが、そうしたことを聞いても、すべて外れます。最初の頃は、五井先生はほんとうのことを話して下さったのですが、「私は本心を開発させる宗教者であって、易者のようなアテモノ屋ではないんだ」とおっしゃって、ある時期から何を聞いても外れるようになってしまい、会員さんも、そうした興味本位のアテモノを質問しなくなったのです。
しかし、そうしたアテモノに外れたからといって、五井先生への信仰を失って、「世界平和の祈り」を失ってはいけません。自分の過去世を調べたり、未来を予見したり、霊能力で利益を得ようとする態度からは、真実の安心立命は得られないのです。未来予知でも、当たらぬほうが良いので、もし当たったりしたら、予言予知に把われてしまい、不安動揺のほうが多くなります。他人の運命や隠れた行為なども、知らないほうがよいのに、霊能力で真実を知ったばかりに心を乱してしまい、怒りっぽくなったり、知ったことを黙っていられずに、やたらに人にしゃべってしまい、人を傷つけてしまうことにもなりかねません。五井先生の教義と、「世界平和の祈り」があれば、占いも予言も霊能力も必要ないのです。宗教の目的は守護の神霊への感謝を教え、愛深い人間になることを教えることにあるのです。
「80歳まで生きる」は五井先生の嘘だった五井先生は「私は80歳までは生きる」と度々おっしゃっていました。私も、もちろん信じておりました。しかし、実際には、五井先生は64歳で他界されてしまったのです。ですから、しばらくの間、五井先生への信仰と事実の差に呆然として、五井先生が他界されたことを信じられなかったのは、私だけではなかったでしょう。五井先生は、ご自身の他界する日を知らなかったのか、それとも知っていて、嘘をついたのでしょうか。愛深い五井先生のことですから、私たちによけいな心配をかけさせまいと、私たちを思いやって、五井先生は嘘をついて下さったのだ、と私は思います。そして、最後に、「嘘について」の見解を述べられて他界したのは、いかにも正直な五井先生らしい、と私は今にして思うのです。
古い会員さんになりますと、五井先生がこのような嘘をつかれることをよく心得ていて、五井先生が嘘をついてもだまされなくなってしまって、「五井先生は、嘘をつくから、そんなことは本気にしないわよ。五井先生は嘘つきなんだから、もう」とジョークとして笑い飛ばせて、「世界平和の祈り」を揺るぎない信念で祈れるようになるのですが、五井先生のこのような嘘のつき方を知らない人は、一生、五井先生の真意を知らぬままに終わってしまうのです。五井先生が、64歳で他界しようと80歳で他界しようと、そんなことは、どうでもいいことなのです。予言をして、人の運命を当てたりすることも、どうでもいいことなのです。「世界平和の祈り」以外のことは、すべて枝葉であり、どうでもいいことであるのです。
五井先生の真実とは「消えてゆく姿で世界平和の祈り」の教え
五井先生の方便上の嘘に把われて、五井先生の真実の教えを見失ってはいけません。五井先生の真実とは 「消えてゆく姿で世界平和の祈り」の教えを、皆さんに行じてほしい、ということであるのです。この教えは嘘ではありません。方便上の嘘でもありません。過去も現在も未来においても、五井先生の「世界平和の祈り」は真実であるのです。「世界平和の祈り」を祈っていて、事業に失敗しても、物事に失敗しても、「五井先生の教えは嘘だ」と短絡的に思わずに、「これは過去世の因縁の消えてゆく姿だ」と思い、「これから必ず善くなるのだ」と明るい希望を持つことです。事業に成功したら、素直に感謝したらよろしいでしょう。成功しても感謝を忘れず、失敗してもめげずに、私たちは明るく生きてゆかねばなりません。人からだまされたり、嘘をつかれても、「これも過去世の業が消えてゆく姿だ」と思い、「これで私の運命が善くなるんだ」と明るく考えることです。
くりかえしますが、宗教とは占いでもアテモノでもありません。他人の心を読んだり、他人の運命をひそかに知ることでもありません。人並みすぐれた超能力を得ることでもありません。私も、相手を生かすために五井先生のように嘘をつくことがあるかもしれませんが、そんなときも、真実と嘘を見分けて、私の嘘の言葉に把われないようになってほしいものです。
宗教とは、神さまに感謝し、人を愛する道であるのです。その具体的な行法が「世界平和の祈り」であり霊性が開発されるにつれて、嘘に把われなくなり、真実がおのずとわかってくるようになるのです。