「世界平和の祈り」で徳を積もう top page 
No.1480 1999/11/17 (水) 23:18 富士宮市
世界人類が平和でありますように

Q.
森島先生に質問なのですが、徳を積むって、どういうことをすると、徳がつまれるのでしょうか。

A.
徳を積むというのは、功徳行(くどくぎょう)を積むということで、布施・自戒・念仏・喜捨・造仏などの善の行為を積むことです。やさしくいえば、貧しい人やお坊さんにお米や野菜をさしあげたり、悪い行為をしないように反省したり、念仏を唱えたり、お寺を建てるのに寄付をしたり、仏像を造ったりすることが、徳を積むことになります。

布施行を細かくいいますと、財物をほどこす財施、道の教えを説く法施、種々の不安恐怖を取り除く無畏施(むいせ)の三つがあります。物施よりも、霊性を開発させる法施や人々を安心させる無畏施のほうが高い徳を積むことになります。

貧しい人にお金を寄付したくても、自分に余裕がなければできないのですから、無理をしないで自分に合った方法で、人のために尽くせばよいのです。お金を必要としないで、人のために尽くす最も簡単な方法は、お祈りすることです。お祈りすることが、人々のためになり、自分の徳を積むことになるのです。

お祈りの中でも「世界平和の祈り」は、個人人類同時救済の力のある祈りですから、現在の日常生活のままで、「世界平和の祈り」を祈りつづけてゆくだけで、大きな徳を積むことになります。「世界平和の祈り」を人に教えることは、法施となり、無畏施ともなり、徳を積むことになるのです。

また徳の積み方には、陰徳と陽徳の二通りがあって、陰徳とは人に知られぬように善の行為をすること、陽徳とは人に知られて褒められつつ善の行為をすることですが、陽徳よりも陰徳のほうが徳が多く積まれるのです。陽徳は、すでに「人々から褒められた」という報酬を受けたのですから、それだけ天に積んだ徳の宝が消えてしまっているわけです。これは聖書にも同じ真理がありまして、「汝は施しをなすとき、右の手のなすことを、左の手に知らすな」とイエスは陰徳の大事さを説いております。

老子によりますと、徳の行為には、さらに上徳と下徳の二つに分類できる、と言うのです。下徳というのは、「徳を積もう」「徳を積まなければならない」と自我意識をもって徳を積む行為ですが、上徳というのは、そうした自我意識を持たないで、少しも報いを求めずに無為にして人を愛し、無為にして善の行為をすることです。そして、聖人は上徳を行なう、と老子は説いているのです。

聖人のように、少しも報いを求めずして無為にして徳を積む、というのは難しいことですから、普通人は報いを求めて善行為をしてもよい、と私は思います。善行為をしないよりも、少しでも善行為をしたほうがよいからです。どういう形であっても、人々のために尽くした善行為が、いつかは自分に戻ってくるわけです。人々のために尽くすことは、自分を幸せにするだけでなく、子孫の人生をも幸せにします。無理をせずに、人を愛し、人に尽くす一番やさしい善行為は、「世界平和の祈り」を祈ることであるのです。