安心立命への最善の道 top page
No.55 1998/10/08 (木) 07:25 静岡県
世界人類が平和でありますようにQ.
多くの資産を持ち、友人にも恵まれ、また自らも世の中のために尽くしている人がいます。
こういう人は端から見ても輝いていて、とてもすばらしく見えるのですが、こういう人も安心立命しているといえるのでしょうか。「徳が高い」ということと、「安心立命」とは関係ありますか?A.
外見だけで、その人が安心立命しているかを判断することはできません。外見がいかに素晴らしく見えようと、安心立命しているとは限りません。安心立命とは、この世の幸福感だけでなく、永遠の幸福を得ることですから、神仏につながって、神仏との一体感を得なければなりません。ですから、いかに多くの資産を持ち、友人に恵まれ、世の中に物質的に尽くしている人も、人間の本質を知り、守護の神霊の存在を知って、永遠の生命を得る方法を知らなければ、いつかはその徳も減ってゆき、不幸な境遇に陥る時がくるのです。宗教の話はまったくせず、宗教心のまったく無い人に見えても、多くの資産を持ち、友人にも恵まれ、また自らも世の中のために尽くしている人は、家に帰ると、案外、仏壇に手を合わせて、毎日先祖に感謝している人が多いものです。守護の神霊の加護があるからこそ、輝いて見えるのであり、とてもすばらしく見える、とも言えるからです。守護の神霊の加護がなければ、多くの資産を持てませんし、友人に恵まれませんし、世の中にも尽くす気持ちにもなれないからです。また、現在、宗教にまったく関心を示さず、金儲けに懸命になって大金持ちになった人の中にも、過去世では宗教修行に励み、清貧の環境で人々のために力を尽くした、という人も多いのです。ですから、今生だけのその人の生活を見て、その人が偉いとか偉くないとか、判断することはできないのです。
ではどうしたら安心立命を得ることができるのか、と申しますと、守護の神霊の存在を知り、守護の神霊に加護を祈ることです。「守護霊様、ありがとうございます。守護神様、ありがとうございます」と守護の神霊に感謝してゆくことが、安心立命を得るための最も良い方法であるのです。「守護の神霊によって私は守られているのだ。守護の神霊に私は導かれている」という安心感ほど、深い安心感はありません。
守護の神霊につながりますと、自己の天命を完うするために必要なすべての物が、無限に永遠に供給されるのですから、これほど心強いことはありません。この世の中がいかに不況であろうと、銀行や大会社が次々と倒産しようと、守護の神霊と一体化した人は、必要な物が与えられて、安全に悠々と生きてゆけるのですから、何も怖いものはありません。しかも、この無限供給は、今生だけではなく、あの世に行っても、どこへ行っても、いつまでもつづくのですから、これほどありがたいことはありません。
「神様、ありがとうございます。というただ一言の祈りだけでもいいんですよ。神様、ありがとうございます。神様、ありがとうございます。とただそれだけを祈っていてもよろしいんです」と五井先生は度々おっしゃっていました。五井先生のその時のお声が、今でも私の心に残っています。一生病気が治らなくても、一生貧乏のどん底にあっても、一生不幸な境遇にあっても、「神様、ありがとうございます」と感謝できる人は、業生の世界に住みながら、業生を超えているのです。ちょっと祈っただけで、効果が現れないと、すぐに祈ることをやめてしまう人がいますが、それでは唯物論者と変わりありません。たとえ、一生恵まれない生活であっても、「私は神様に感謝します」と覚悟を決めてしまうのです。
自分が安心立命を得ますと、人々への愛がほとばしりでて、人々の不幸や世界の悲惨な姿に、じっとしていられなくなるものなのです。神我一体観を得た人が、「悟っているのは我一人」と超然として、人々の不幸を見て見ぬふりをしているわけがありません。神我一体観を得た人は、生命の一体観を持っているのですから、当然、自他一体観を持っているのであり、愛あるゆえに他人の悲しみや痛みを人一倍感じて、「我は業生に関せず」と冷たく真理のほうだけを見ていることはできないのです。
その深い愛の心が、「世界人類が平和でありますように」という世界平和の祈りの形になったのです。現代は、個人だけの幸福などというものはありません。また、自分が真実に安心立命を得た人は、自然に人々の幸福を祈るものであり、世界人類の平和を祈らずにはいられないものなのです。ですから、「世界平和の祈り」は現代における最も最適な祈りといえるのです。そして、「世界平和の祈り」が完成された祈りであるがゆえに、この祈り言以上の祈り言は、永遠に現れないのです。
自分の安心立命のためにも、世界の平和のためにも、「世界平和の祈り」を祈り続けてゆくことが必要なのです。今の自分が病気であっても、今の自分が不幸な境遇にあっても、今の自分がどんなにみじめな生活であっても、そうした運命は消えてゆく姿であると知り、「世界平和の祈りは、最高の祈りである」と知ったならば、その人は、真実の安心立命を得た人であるのです。言いかえますと、「世界平和の祈り」を知りながらも、「もっとほかに良い方法があるのではないか?」と思って、「世界平和の祈り」以外の行法をやっている人々は、真実の安心立命をまだ得ていない人々と言ってよいのです。
「世界平和の祈り」に全託しなさい。自分の力だけで自分の運命を良くしようと、もがかないで、守護の神霊にすべてを任せてしまいなさい。守護の神霊は、あなたが全託してくるのを、手を差し伸べて、今か今かと、待っておられるのです。自分の力だけで運命を創ろうとしないで、「世界平和の祈り」に自己の願望のすべてを捨ててしまい、神様に運命を創っていただき、神様から改めて命をいただき直すのです。「神様、もう私の力では、どうしようもありませんから、すべてを神様にお任せいたします」と守護の神霊に全託して「世界人類が平和でありますように」と祈りつづけるのです。「世界平和の祈り」一つに全託することこそ、現代における安心立命への最善の道なのであります。