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No.1491 1999/11/21 (日) 22:36 富士宮市
世界人類が平和でありますように


Q.
よろしければ、平和の祈りの中の、《私達の天命が完うされますように》の天命は、どのような意味なのか、教えていただけないでしょうか?

A.
「私達の天命が完うされますように」の天命とは、天から授けられた使命、という意味であり、天命を完うするとは、神から授けられた使命を完全に達成することです。自分の気質に合った天職を完うする、天寿を完うする、という意味も含まれております。

天から授けられた目標とは何か、といいますと、神の理念である平和な世界を実現するということです。私たちは、何の目的もなく生かされているのではありません。日々、目の前の仕事に追われているように見えながらも、世界を平和にするための一つの役割を持って生かされているのです。人生に失望して自殺してしまう人がいますが、「自分なんて生きる価値がない。自分は存在する意味が無い」と悲観してしまってはいけません。すべての人に、尊い天命が授けられているのです。

「何かわからないけれど、自分には生きているかぎり天命があるんだ」と知ることは、貧乏であっても、病気であっても、不幸にあっても、毎日をどんなに生きがいのある人生にすることでしょう。せっかく神様から授けられた貴重な生命を、自分の思い通りにならないから、といって悲観して、みずから命を絶ってしまってはいけません。どんな境遇にあっても、生かされている限り、なんらかの天命が必ずあるのです。生かされている限り、天命があるのですから、たとえなんの喜びも感じられなくても、生きて生きて生き抜かねばなりません。理由がわからなくても、神から見れば、必ず生きる意味があるのです。

私たちに共通した天命とは、世界平和を実現する、という天命であり、その具体的な行動として、「世界平和の祈り」を祈る天命があるのです。将来は、地球人類すべての人々が、「世界平和の祈り」を祈る日がやってくるのです。それは人類の天命であるからです。そうした世界を平和にする天使としての大天命を持つと同時に、私たちは自己の肉体という器を生かす個人の小天命も持っています。また、一生涯を通して果たす長期の天命と、今日だけの天命、明日だけの天命、というように短期の天命もあります。ですから、天命とは、一生涯に一つだけではなく、生まれてから他界するまで、日々瞬々刻々、たえまなく多くの天命が授けられているのです。

「私達の仕事が成功しますように」「私達が幸福になりますように」と個人的に祈ることはかまいませんが、「世界平和の祈り」では、そのような表現の祈り方はとらず、「私達の天命が完うされますように」と祈ります。それには理由があるのです。それは現象の一時の成功、失敗や、幸福、不幸に把われさせないためであるのです。神のみ心から見れば、その人の天命を完うさせることが、第一に優先させるべきことであって、その時その場の失敗や不幸などは、問題にしてはいないのです。肉体人間の欲望想念で計画した目標は、ときとして誤っていることがあります。その人の天命を完うするためには、肉体人間の計画した目標が成功しないほうがよい時があるのです。いいかえれば、その人の天命を完うするためには、肉体人間の設定した目標が、失敗したほうがよい時もあるのです。現象の幸福が真の幸福につながるとはかぎりませんし、現象の不幸が真の幸福を得る動機になるかもしれません。天命を完うするためには、一時的に失敗や不幸の経験を経たほうがよい場合もあるのです。

「禍転じて福となす」「人間万事塞翁が馬」「福必ずしも福ならず、禍必ずしも禍ならず」ということわざのように、失敗がより大きな成功へとつながることがありますし、不幸な環境で苦労した人がその体験を生かして成功する人もいます。ですから「私達の天命が完うされますように」と祈っていて、失敗や不幸があっても、「これは天命を完うするために必要な経験だったのだ」とそれに把われず、「これから人生が良くなってゆくのだ」と明るい未来を信じてゆくことです。自己の天命の完うを祈っておりますと、天命を完うするために必要な目標、必要な仕事、必要な環境が与えられます。私達の天命は、世界の平和と個人の幸福を同時に成道する、実現することであり、「世界平和の祈り」を祈ることであるのです。