正しく強い信念は世界平和の祈りから生まれてくる top page
No.627 1999/07/22 (木) 21:04 富士宮市
世界人類が平和でありますようにQ.
「人間と真実の生き方」のなかで、「...消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起こし...」と、あります。悪い方へ考えてしまうような時に、消え去るのであるという"強い信念"を、念力的にならずに、起こすには、どのようにすればよろしいのでしょうか?また強い信念とは、どのようなものをいうのでしょうか? どうぞ、教えてください。
A.
【 信念と念力について 】
信念と念力は、なかなか判別が難しいのです。「信念の魔術」という場合の信念とは、念力のことでありまして、五井先生のいわれる信念ではないのです。信念とは、もともとは宗教の用語で、神の大愛を信じる念の意味で、信念を持つことは正しい宗教の行為といえるのですが、最近は信念という言葉が、宗教と切り離されて、念力の同義語として、多くの自己啓発の本に使われるようになってしまったので、信念という言葉を読んだときには、正しい信念の意味で用いられているのか、念力の意味で用いられているのかを、しっかり見分ける目を持たねばなりません。また、自己の本心を信じて運命を切り開いてゆくという意味で、「自己の信念をつらぬく」という言い方もありますが、これは正しいのですが、ともすれば神のみ心とは切り離されて「自己の我欲をつらぬく」という意味に使われることもあり、やはり念力と間違うこともあるので、信念とは「守護の神霊の大愛と絶対力を信じる想い」という他力的な意味に解釈しておきます。
教義の「人間と真実の生き方」では、五井先生は「である」体を用いていますが、「いかなる苦悩も消え去るのである」という文は、「いかなる苦悩も消し去る」という意味ではなく、「いかなる苦悩も消え去ることになる」という意味であり、「今から善くなるのである」というのは、「今から善くなる」という文を、「である」体に直したものなのです。つまり、「私はやるんだ」という言い方をせずに、「守護の神霊のお力によって成る」という言い方をしますと、力もうにも力めなくなり、力みがとれて、念力とはならず、神を信じる信念となるのです。
【 業想念否定形信念と本心肯定形信念 】
信念には、二つの形式がありまして、業想念を否定する業想念否定形信念と、本心を肯定する本心肯定形信念があるのです。この二つは表現が正反対であるだけで、意味は同じなのです。業想念否定形信念の具体例は、「いかなる苦悩も消え去ることになる」という言葉で、守護の神霊によって、いかなる苦悩も消し去っていただき、いかなる苦悩も消え去ることになる、という意味であり、それは自力で何も為さずとも、無為にして、神はからいで成るのですから、念力にはならないのです。
本心肯定形信念の具体例は、「今からよくなる」という言葉でありまして、これは自力で今から善くするのではなく、守護の神霊に自己の運命を委ねて、守護の神霊の大愛によって、自己の運命を善くしていただくことで、今からよくなるのですから、「なる」という言い方をすれば、念力にはならないのです。
「人間の苦しみは永劫に消えないものだ」とか「世界は永遠に平和にはならないさ」という考えを持っておりますと、業想念の存在をいつまでも認め、本心の現れを否定しているのですから、その人から苦悩が消え去ることはないし、その人はいつまでたっても平和な世界に住めないのです。「いかなる苦悩も消えてゆくのだ」と業想念を否定することによって、その苦悩は消えてゆくのですし、個人的には「必ず自分の運命は善くなる」と本心の現れを肯定し、人類的には「必ず世界は平和になる」と本心の現れを肯定してこそ、個人の運命は幸福となり、世界は平和になることができるのです。
業想念を否定しただけでは弱いですし、本心を肯定しただけでも弱いので、業想念を否定するとともに本心を肯定することによって、信念としては最大の力を発揮できるようになるのです。そこで五井先生は、「いかなる苦悩も消え去るのである」とまず業想念を否定する信念の言葉を書いてから、その後に「今から善くなるのであるという善念を起こす」と、本心の善を肯定する信念の言葉を書いているのです。
【 正しく強い信念を起こすには 】
さてそこで、「悪い方へ考えてしまうような時に、『消え去るのである』という"強い信念"を、念力的にならずに、起こすには、どのようにすればよろしいのでしょうか?」というご質問にお答えすることにしましょう。五井先生から「いかなる苦悩も必ず消えるものである」と教えられて、素直にその言葉を信じられる人は幸いな人ですが、そうした素直な人はめったにいるものではありません。現実に病気はつづいているし、貧困の生活もつづいているし、苦しみや悩みがつづいているし、不幸な環境から逃れることができない、という人は、どうしても悪いほうへ悪いほうへと考えがちで、「今の苦悩は消え去るのだ」という言葉を、自分にくりかえし言い聞かせても、強い信念を持ちつづけることは、容易なことではありません。
そこで、正しく強い信念を持つには、いったいどうしたらよいのか、という問題になってきます。その正しく強い信念を持つには、やはり守護の神霊への祈りが必要であり、守護の神霊への祈りから、自然に正しく強い信念がうまれてくるものなのです。正しく強い信念を持てるようになるためには、このように祈ればよろしいのです。五井先生が教えて下さった祈り方を紹介しましょう。
【 業想念否定の祈り 】(次の中から、お好きな祈り方を選んで下さい)
守護霊さま、不安な想いをお消し下さい。
守護霊さま、悪いほうへ考えてしまう想いをお消し下さい。
守護霊さま、○○○の想いをお消し下さい。
守護霊さま、○○○の想いが消えますように。
守護霊さま、○○○の想いを消し去りたまえ。
守護霊さま、○○○の想いが消えますように、お願いします。
守護霊さま、浄めたまえ。【 本心肯定の祈り 】
守護霊さま、今から私の運命が善くなりますように。
守護霊さま、今から善くなりますように。
守護霊さま、私の運命を好転せしめたまえ。
守護霊さま、私の天命を完うせしめたまえ。
守護霊さま、神の子としての完全円満を現わしたまえ。
守護霊さま、私の本心を一日も早く現わしたまえ。
守護霊さま、明るく愛深い私にならしめたまえ。【 業想念否定と本心肯定を合わせた祈り 】
守護霊さま、業想念を一日も早くお消し下さって、私の天命を完うせしめたまえ。
守護霊さま、業想念が消えて、本心が現れますように。【 世界平和の祈りから正しく強い信念が生まれてく 】
このように祈っておりますと、「ああ、守護霊さまによって、不完全な業想念は、浄められてゆくんだな あ。業想念は、いつしか必ず消え去るものなんだ」と強く実感できるようになります。「業想念は消え去るんだ、消え去るんだ」と暗示のように自分に無理に言い聞かせなくとも、このように守護霊さまに祈っていれば、正しく強い信念が自然と湧き起こってくるのです。「神さまは大愛であるのだから、神さまにお任せしている私を、決して悪いようにはなさらない」と神さまの大愛を信じることが根本であるのですが、神さまの大愛を信じる信念も、守護霊さまにこのように祈っているうちに自然に身についてくるものです。「今から善くなるのである」という善念も、守護霊さまに本心肯定の祈りを祈っているうちに、自然に湧き起こってくるのです。
「強い信念とは、どのようなものをいうのでしょうか?」というご質問にお答えしますと、こうした祈りから生じてくる正しい信念は、鉄に磁力が帯びるように、私たちの全身に、強い信念の磁場を作り出してゆき、周囲の人々にまで、その信念の磁場が伝わってゆくのです。「必ず善くなる」という強い信念が、しだいに高まってゆきますと、現実には不完全な世界にいても、自分の心は「必ず善くなる」という心境を超えて、「私はすでに完全円満な世界に住んでいる」という理想郷に住めるようになってくるのです。
「世界平和の祈り」を祈っておりますと、「業想念は必ず消え去るのである」いう強い信念も、「今から善くなるのである」という善の強い信念も、自然に持てるようにもなります。「世界平和の祈り」を祈っておりますと、「世界は平和になる」という信念が生まれ、次に「世界は平和になる」という信念をもって「世界平和の祈り」を祈っておりますと、いつのまにか「世界は平和である」という絶対的な境地に到達している自分を発見するようになるのです。そこで「世界は平和になる信念で世界平和の祈り」と私は提唱しているのです。教義の最後に「世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得できるものである」とありますが、私も真の救いを体得できた一人であるのです。