他力行即絶対力 top page 
No.1705 2000/02/19 (土) 02:26 富士宮市
世界人類が平和でありますように

 内なる神だけを認め、外部からの働きかけである守護の神霊を認めないことが、さもインテリのように見えるので、内なる神の発現だけを説いている宗教者がおりますが、守護霊、守護神は、真実は内なる神に含まれているのでありまして、守護の神霊の応援なくしては、自己の内部神性は、発現できないのです。守護の神霊に助けを求めずに、「私は神である」という想念を自己に言い聞かせて、自己の内部神性を顕現させようとしても、それは不可能であるのです。

 自己の内部神性でさえ顕現できないのですから、他人に向かって、「あなたは神である」と宣言したり、「あの人は神である」と幾度唱えてみても、対する悪人が善人に変わったり、病人が健康人になることはないのです。一時的に他者暗示をかけることはできても、他人の神性を顕現することはできません。真理の言葉を何度唱えても、真理はそうやすやすと実際行為に現れることはないのです。真理宣言法は、真理を実行できる人以外は、真理が顕現されるどころか、かえって、偽善者を生んでしまうのです。

 守護の神霊に全託しようとせず、内なる神といって、自力だけで自己の神性を現そうとしても、世界を平和にしようとしても、神性も平和も実現することはできません。それはなぜかと申しますと、自力想念の力だけで真理を現せるほど、業想念の力は弱くはないからなのです。業因縁の力というのは、過去世から今生の運命を左右している非常に大きな力でありまして、自己の想念力で業因縁を超えることは容易ではないのです。そこで、業因縁を超えることのできる守護の神霊に助けを求める必然性が出てくるのです。

 「神様(守護の神霊)、世界人類が平和でありますように、お願いします」と守護の神霊に全託する行為は、一見すると弱々しく見えるのですが、いつも申しておりますように、「他力行即神我一体」の変換原理によって、守護の神霊に他力しますと、神我一体の絶対力が、自然に自己の行為に現れてくるのです。この絶対力こそ、最強の力であるのですから、それまでの弱々しさは、すっかり消え去って、いかなる苦難にあっても挫けず、立ち向かってゆけるほどの強くたくましい、勇気に満ちた自己に生まれ変わっているのです。ですから、私たちは「世界平和の祈り」を通して守護の神霊に全託するだけでよいのです。

 この想念波動変換原理がわからないと、いつまでたっても、真実に守護の神霊に全託することができません。自力だけで神性を顕現しようと、思いつく限りの種々の行法を何年やってみても、神性を顕現することは不可能なのです。守護の神霊に全託する以外に、自己の神性も人類の神性も開顕することはできないのです。この真実がわかる日まで、自力行者の自力行は、果てし無く延々と続けられるのです。つまり、「自力行即神我一体」とはならないのです。あくまでも、「他力行即神我一体」「他力行即絶対力」であるのです。この意味が理解できた人こそ、「世界平和の祈り」の道に正しく乗った人、と言えるのです。