祈りの行」と「真理宣言行」 top page 
No.1707 2000/02/20 (日) 01:34 富士宮市
世界人類が平和でありますように

 「世界平和の祈り」を祈る時は、「神様(守護の神霊)、お願いします。世界人類が平和でありますように…」という気持ちでお祈りしますと、神のみ心に最も深く入れるのです。その結果、真実の安心、真実の感謝の境地になり、時間の経過とともに、現世利益も授けられ、自己の現世での運命が上昇し、現世の生活も向上してくるのです。この「世界平和の祈り」一つの行に徹することが、安心立命を得る最短距離の方法であるのです。

 神性開発の方法として、「祈りの行」のほかに「真理宣言行」を併用して勧めている宗教者がいますが、五井先生は、この「真理宣言行」を「観念的な神の子観」と評していて、「祈りの行」一本槍に生きるように勧めています。「真理宣言行」とは、私が名付けた名称で、生長の家では「実相観」と名付けております。「真理宣言行」とは、どういうものかと申しますと、「人間はすべて神の子で、不完全なものは無いのだ」「悪い人は無いのだ」「善い人ばかりなのだ」「あの人はいい人なのだ」「あのことは善かったのだ」と観念的に自己の心に、真理の言葉を言い聞かせようとする行法のことをいうのです。

 五井先生は、生長の家の講師として、「祈りの行」と「真理宣言行」の二つの行法を併用して行じていたのですが、「真理宣言行」では観念的神の子観から抜け出ることができず、「祈りの行」のみが自然法爾的に人間神の子の実観を体得できることを発見したのです。「私は神の子である、あの人も神の子である人類も神の子である」と強くイメージして、真理の言葉を宣言したところで、所詮、観念的神の子観であり、「人間神の子」を実観できなかったのです。それに対して、「祈りの行」に行法を統一してみたら、いつのまにか、「人間は神の生命そのものである」という真理を、実観として悟ったのでした。

 その体験から、五井先生は、「真理宣言行」の行法を捨て去り、「世界平和の祈り」という「祈りの行」一つに単純化したのです。守護の神霊に対して、世界平和を願う祈りをしつづけてゆくうちに、真理の言葉を宣言しなくても、いつのまにか、無理なく、真理が開顕されることを体験したのでした。五井先生が体験された悟りは、遅かれ早かれ誰でも体験できるのです。五井先生に教えていただいたように、私も、「世界平和の祈り」に統一したら、安心立命を授けられました。私の指導を受けて、「世界平和の祈り」に全託した同志は、次々と安心立命を得ております。余計な行法をするから、かえって悟りへの道が遠くなるのです。後輩の皆さんも、余計な行法を捨て去り、「世界平和の祈り」一つに全託してみましょう。観念的に自己の心に真理の言葉を言い聞かせなくとも、自然に人間神の子を実観できるようになります。「真理宣言行」を捨て、「祈りの行」に専念した時、真理は行為となって忽然として現れてくるのです。