真の幸福は感謝の祈りにある top page 
No.1495 1999/11/23 (火) 04:55 富士宮市
世界人類が平和でありますように

 神社で参詣する人々の祈願絵馬には、「何々大学に合格できますように」「家内安全商売繁盛」「某さんと結婚できますように」「健康になりますように」「お金持ちになりますように」などと書かれていて、切実な願いが伝わってきます。そうした現世の願いを聞き入れる神社やお寺の寛容さには、ほほえましく感じるものの、私は真実の宗教信仰のあり方を説かずにはいられません。

 一般で考えられている宗教の道とは、現世利益をかなえてくれる道であるのですが、真の宗教の道とは、欲望をなくす道であり、何も得られなくても、感謝できる心境になる道であるのです。何かが得られたからありがたい、というのは功利的な感謝でありまして、宗教の感謝ではありません。何も得られなくてもありがたい、と感謝できるようになることが、真の宗教の目的であるのです。

 そのためには、一度自己の欲望を放棄することです。「あれが欲しい、これが欲しい」という欲望をすべて捨て去ることです。神様は必要なものはすべて与えて下さるのですから、神様から与えられる以上の物質的欲求は持たないことです。天命を完うするために、必要でない物ならば、与えられません。天命を完うするために必要であるならば、与えられます。借金をしなければ買えないような物は、買う必要がないのです。どんなに欲しい物でも、借金をしてまで買う必要はありません。借金をするような無理をしてはいけません。無理をしないためには、自己の欲望を無くすことです。

 私達は、みんな裸で生まれたのでありまして、自分の物など一つも持ってはいないのです。何も持っていなくても、神様から尊い生命を授けられ、得難き肉体を与えられたことに、私達は深く感謝しなくてはなりません。借金を重ねて苦しんでいる人々は、現状に感謝することができず、欲望に翻弄された結果にほかなりません。お金がなくて買えない物は、お金ができてから、それを買うことです。お金をたくわえる前に買ってはいけません。それは神のみ心ではありません。「借金をしてもいいから買いなさい」と神は言いません。お金がなくて買えない、ということは、神がその物をあなたに与える必要がない、と思われているからなのです。あなたに必要な物は、借金をしなくても、神は与えて下さるのです。

 借金をして欲望を満足させる癖がつきますと、欲望が湧いてくるたびに借金をするようになってしまいます。欲望は無限なのですから、欲望を満足させるたびに借金を重ねてゆけば、借金は無限にふくらんでゆきます。もう一度申しますが、神は、あなたに借金をさせてまで、物を与えようとは思っておりません。借金はできるかぎりしないで、現状に感謝する生き方を学ばねばなりません。神が、あなたに必要だと思われれば、借金などしなくても、ポンと与えて下さるものなのです。そこで大事なのは、神への感謝の祈りであるのです。自己の欲望をすべて捨てて、神様から与えられた物質の範囲で、神に感謝して生活することです。私は、自分の生活がどんなに苦しくても、借金だけはしないように生きてきました。その生活で学んだことは、自己の欲望を捨てる、ということでした。

 今、私は富士宮市の借家に住んでおりますが、市内でも最低の家賃です。その理由は、大家さんには申し訳ありませんが、30年以上もたつ古い木造のオンボロ家だからです。トイレはくみ取り式で、そのため夏はハエが大発生して、ハエ取り用の線香が欠かせません。ネズミが天井裏を走り回り、夜中になると部屋の中にもかかわらず、手のひら大の巨大なクモが、目の前に突然現れるのです。餌をやっているわけでもないのですから、私になつかないでほしいのですが、なぜか親しそうに私に近寄ってくるのです。そのたびに、私はスプレーで、シュッシュッと洗剤液を吹きかけて退散させます。玄関にクモがいたら、扉を開けて「出ていってくれよ」と言いますと、スタコラサッサと出てゆきます。

 こんなオンボロの家に住んでおりますが、私は借金がありませんから、借金の苦しみがありません。そんな私の生活とは、反対の生活をしている知人がおります。彼は立派なマンションに住んでいたのですが、自分の欲望を抑えることができず、クラブに通っては好きな女の子に数百万円も貢いだり、一攫千金を夢見て、博打のような事業に手を出したりして、膨大な借金を作ってしまいました。そのために、とうとうマンションを売り払ったのですが、それにもこりず、再び借金を重ねては、憂さを晴らすためにカラオケに遊びに行っています。私は彼に「借金をするな」と言ったのですが、一度ついた癖は、なかなかとれないようです。借金に追われた豪勢な生活よりも、借金のない極貧の生活のほうが、どれだけ心が楽か、計り知れません。欲望は際限のないものです。欲望を捨てて、神に感謝することを覚えることです。

神様、ありがとうございます。
神様、ありがとうございます。
神様、ありがとうございます。

と、ひたすら神様に感謝するのです。欲望を捨てて、神様への感謝の祈りに入る時、一物も持たずして、巨富を得た喜びとはくらべものにならないほどの無尽蔵の喜びを得ることができるのです。欲望を無くした時、はじめて無尽蔵の喜びを得るのです。あらためて申しますが、宗教の道とは、欲望を無くし、欲望を純化する道です。欲望を追い求める道ではありません。欲望を追い求めている限り、真の幸福は得られません。欲望を捨て、不平不満を捨てた時、神様への感謝の道が開かれるのです。日々を神様への感謝一念で暮らしている人ほど、幸せな人はありません。真の幸福は、神様への感謝の祈りの中にあるのです。

神様(守護霊様、守護神様)、ありがとうございます。