世界平和の祈りとは top page  
 地球を見守っていらっしゃる神様のみ心は、地球世界の平和を願う以外にはありません。
人類の平和を願う心こそ、神様のみ心と同じであります。「世界人類よ平和であれ」という神様のみ心と、
「世界人類が平和でありますように」という人類の祈りが一つになり、そこに救世の大光明が光輝きます。
 世界平和の祈りを祈る時は、神様と一体なり、個人が救われるとともに、人類の大調和に絶大なる力を発揮するものです。                      

「世界平和の祈り」の力は、今後いよいよ発揮されてくる!
No.1497 1999/11/24 (水) 01:02 富士宮市
世界人類が平和でありますように

 私達は、常に「世界平和の祈り」に心を統一しつつ、教えを拡大するように努めております。書店に行きますと、新しい宗教書や新しい思想の本が、次々と並べられていますが、私達はそうした宗教書や思想の本に少しも左右されることがありません。新しい宗教思想といっても、過去の思想体系に分類整理できるからです。Kさんのおっしゃるように、一つの道をとことん究めることが大事であると思います。

 一向一心に、わき目もふらず一向称名してゆく、そして一道を究めれば、すべてがわかってきます。たとえば、最近の傾向として、守護の神霊に頼らずに、自己の想念力だけで運命を開いてゆく、という成功思想の本が多く出版されていますけれど、数百年数千年と古から続いている他力称名念仏の方法は、天才的宗教者の開いた方法であるのですから、今の時代に至っても尚、その原理を超える思想はありません。新しい成功理論だとか、新しい成功思想といっても、古代の南無阿弥陀仏の原理に勝るものはありません。

 それなのに、なぜ人々はやらないかというと、その方法がやさしすぎて、インテリ向きではないと思ってしまうからです。「神様、ありがとうございます」という簡単な祈り言でも実行すれば、必ず祈りの効果が発揮されてくるのに、外部の守護の神霊にすべてお任せするというやり方が、どうもインテリでないような気がするのです。「人々から、あの人は知性的な人だ、と思われたい」という想いが邪魔して、素直に守護の神霊に全託できないのです。守護の神霊にただお任せするのでは、自分が馬鹿な人間に思われやしないか、と心配してしまい、素直に守護の神霊にお任せできないのです。他力の道はやさしいのに、他力の道に飛びこむ人が少ないのは、このような変な見栄があるためなのです。

 他力の道は、知性の極致の選択であり、知性に秀れた人こそ、他力の道に進むはずなのです。五井先生が「世界平和の祈り」の道を、易行道的法華経と説いたのは、「世界平和の祈り」の道は、誰でもが易しく行える他力の道でありながら、祈りの力によって、いつのまにか想念が変換されて、法華経の境地が忽然と現れてくるからです。まずは腰を落ち着けて、じっくりと「世界平和の祈り」に専修されることをお勧めいたします。朝から晩まで、「世界人類が平和でありますように、世界人類が平和でありますように」と唱えることを実行してみるのです。それを三カ月三年間とつづけていれば、神秘的な道力が身に備わってくることに気がつくはずです。

 「世界人類が平和でありますように、世界人類が平和でありますように、………」と唱え続けておりますと、救世の大光明につながり、自己の想念波動が神々の大光明波動と合致して、超越的な能力が発揮されてくるのです。私達は「世界平和の祈り」だけを唱え、「世界平和の祈り」だけを広めております。そうしておりますと、「世界平和の祈り」の純粋な波動に合致した人々が、私達のもとに世界中から自然に集まってくるのです。私の力ではありません。「世界平和の祈り」の持つ光明力が人々を導き引きつけて、世界中から秀れた人々を集めてきて下さるのです。「世界平和の祈り」の力は、実に偉大であるのです。