念力は宗教の本道ではない top page 
No.1858 2000/05/15 (月) 09:52 富士宮市
世界人類が平和でありますように

             「自らを信ぜよ」(五井昌久著 白光真宏会出版局)より

 「自らを信ぜよ」の中で五井先生の教えの大事な点は、「念力は宗教の本道ではない」「信念と念力のちがい」という教えです。念力では、一時的に欲望が叶えられたとしても、心の真の平安は得られません。守護の神霊にお委せする祈りの力は、力んで行なう念力よりも、はるかに大きな利益が与えられる事実を知ることです。
 
 祈りとは、想念を空にすることですが、空になった時、空即是色といって、神の実在の世界から真実の知恵や真実の力が現れてくるのです。ですから、念力のように、自分の願望を紙に細かく書き出して強く念じる、というような行は不要であるのです。祈りの力を信じられずに、祈りと念力行を同時に行なっている人が多いのですが、それでは祈りの力が効果を失ってしまうのです。付け加えておきますと、仕事や勉強や家事の計画を立てることは、念力ではありません。「世界平和の祈り」を祈ってから人生の計画を立て、計画を実行するたびに「世界平和の祈り」を祈って、計画をよりよいものに修正してゆく、ということは、自力行ではなくて、他力行であるのです。守護の神霊のご加護を祈り、守護の神霊のお導きを祈った上で、自分の思ったことを実行してゆくことは、自力行ではなく他力行となるのです。

 「世界平和の祈り」を日々祈りつづけ、「世界平和の祈り」の中から、自分の生命をいただき直して思ったことを実行してゆけば、神のみ心に適った行為が、自然にできるようになってくるのです。