「世界平和の祈り」を祈れば、必要な物はすべて授けられる! top pae
No.1871 2000/05/27 (土) 06:15 富士宮市
世界人類が平和でありますように「自らを信ぜよ」(五井昌久先生著 白光真宏会出版局)P82〜 宗教者によっては、祈りと願い事、それに念力など、みな一つにして教えている人もありますが、願い事はまあよいと致しまして、念力は、宗教の道ではありません。祈りとは全く違った道なのです。釈尊の頃でも、バラモンの人たちが、しきりに念力争いをしていまして、真の宗教から道を外してしまっていましたので、釈尊は「空の行」を説かれ、「念力が宗教の道でない」ことを、人々に示されたのであります。
…催眠術のような念力的生き方は、ついには念力競争になってしまって、昔のような、宗教の争いが起こってしまいます。宗教というのは、祈り心によって、神との一体化がなされるものでありまして、念力とは業想念の働きであります。…宗教の生き方はあくまで、神様に全託する、という方向に向かってゆくことで、その生き方が大調和精神に通じるのであります。
…蛹(さなぎ)から蝶(ちょう)になるように、人類は未だ蛹で、これから蝶になって、自由に空中を飛び廻ることができるようになるのです。それを、もうすっかり蝶(神人)に成りきっているつもりで、空中を自由に飛ぼうとするので、うまくゆくわけがないのです。肉体人間が自由自在な蝶(神人)になるためには、守護の神霊の援助がなくてはならぬのです。そして、その守護の神霊は、救世の大光明として働かれる神々や、宇宙天使と連絡し合って、その人々を救い、同時に人類のためにも有益な働きをさせるのであります。
…念力集中が習慣となってきますと、つい何かと念力を使って、自己を有利にしようとし、相手を自分の想いで引き廻してしまいそうです。ですから、宗教的な人は、祈りの中から何事も行じるようにして、特別に念力を使わぬほうがよいのです。…
【 解 説 】
念力とは、自分の願望を強く念じることによって、欲する物質なり、欲する環境なりを、手に入れるという方法です。念力は、守護の神霊を対象にして祈ることはありません。いいかえれば、祈りとは守護の神霊に全託して、守護の神霊のみ心に適った物質なり、環境なりを与えていただく、という方法ですが、念力とは守護の神霊のみ心のご判断に委すという方法ではなく、守護の神霊とは無関係に自分の欲望を欲して、「私はできる、できる」「私の願望はすでに成就した」というふうに念じることです。念力とは、五井先生の説くように業想念であり、「私は神である」という真理の言葉でありましても、その境地に至っていない人間が、力んでその真理の言葉をどんなに念じたとしても、それは所詮、偽善であり、嘘の言葉なのですから、嘘から真が生まれるはずがなく、いつまでたっても神人になることはないのです。宗教者によっては、祈りと念力の区別がつけられず、祈りと念力を両方教えている人もおりますがどんなに祈りの効果がなかなか得られないからといって、焦るあまり、外道の念力に走ってはならないのです。念力とは、自己の潜在意識や他人の潜在意識に語りかけるような、催眠術のような言い方をしますから、神への祈り言とは明らかに異なります。どの言葉が真の祈り言で、どの言葉が念力の言葉であるかをはっきりと区別できるようになっておいて下さい。祈りとは、願望想念を空にする行為であるのです。
現在の人類は、いまだ蛹であり、蝶(神人)ではありません。それを、もうすっかり神人に成りきっているつもりで、真理や理想の行為を現そうとしますと、そこに非常に無理が生じて、すでに神人になったつもりになり、偽善者になって、偽善の世界の段階に止まってしまったり、正直に生きることができずに苦しんだり、現実生活との調和ができなくなってくるのです。現在の人類は、守護の神霊に救いを求め、守護の神霊のご加護を得て、神性を現してゆかねばならないのです。守護の神霊のご加護力を強めるには、守護の神霊に常に感謝をし、「世界平和の祈り」を祈ることなのです。「世界人類が平和でありますように」と祈ってから、ひとりでに湧いてきた正しい行為をすればよいのであり、祈りの中から何事も行じるようにすればよいのです。それが正しい宗教の正しい祈りの生活であるのです。
守護の神霊に向かって「世界平和の祈り」を祈っていれば、守護の神霊はその人に無くてならぬ物は知っていらっしゃるのですから、必要に応じて、必要な物質や、適当な環境や、思いがけない叡知が授けられるのです。いくら善い知恵を出そうとしても、念力では、たいした知恵は出ません。守護の神霊に自己の運命と人類の運命をお任せして、「世界人類が平和でありますように」と祈りつづけていれば、肉体知では計り知れない素晴らしい発明や神力が次々と湧いてきて、人々の協力支持を得られ、真の成功を得ることができるようになるのです。私達は守護の神霊の大愛と、何事もできないことはない神の絶対力を信じて、「世界平和の祈り」に全託して生きてまいりましょう。