五井先生の教えの解説 top page 
No.964 1999/08/24 (火) 14:25 富士宮市
世界人類が平和でありますように

Q. 「続・如是我聞」(白光出版)No.297 より
「世界平和の祈りは、個人のあなたが祈っているのではなく、あなたの本体、守護の神霊が祈っているのである。」とは、どういう意味でしょうか?

A.
「私一人が、世界平和の祈りを祈っても、たいして効果がないのではないか」と思っている人がいるのでそうした人々に対して、五井先生がおっしゃった言葉です。祈りの力に自信がもてない人が、それだけ多いわけです。それに祈りというと、肉体人間の念の力で、願望を叶えるものだと思っている人が、まだまだ多いのです。そして、自己の願望が叶えられないと、祈りなんか効果がない、と思ったり、神なんか存在しない、と浅はかな判断で勝手に決めつけてしまうわけです。

祈りとは、肉体人間の念の力で、自己の運命を善くしたり、世界を平和にする行為ではないのです。祈りとは、往相の祈りと還相の祈りがありまして、肉体人間が守護の神霊に救いを求める形の祈りが、往相の祈りであり、その祈りに応えて、守護の神霊と自己の本体(直霊)が一体になって光明を放つ祈りが、還相の祈りであり、往相の祈りと還相の祈りが一体になった祈りが、「世界平和の祈り」であるのです。

つまり、祈りとは、肉体人間の念の力で、個人を幸福にしたり世界を平和にする行為ではなく、無限大の宇宙を動かしている神の大光明力が、個人や人類に放射される行為をいうのです。もっと具体的に申しますと、「世界人類が平和でありますように」と私たちが祈るときには、肉体人間の念の力が世界を平和にするわけではなく、私たちの本体(直霊)と守護の神霊の光明力が、世界を平和にするのですから、祈りの力は偉大な力を持っている、というのです。