「消えてゆく姿」の教えの真髄 top page
No.1857 2000/05/15 (月) 01:03 富士宮市
世界人類が平和でありますように「本もの贋もの」(五井昌久著 白光真宏会出版局)P179
…「敵が無い」とか「(敵が)在る」とか、いうのではありません。「物質が在る」とか「(物質が)無い」とか、いうのでもありません。この世に現れている、また現れてくる事物事象のすべては、神のみ心が完全にこの世に現れるための変化変滅の姿、つまり消えてゆく姿であって、「そのまま完全である」などというものは、一つとして無いのです。…【 解 説 】
五井先生が説いているように、現在の地球界では、「悪や不幸や病気などの業想念は無い」とは宣言できないし、「私は完全な神の子である」と宣言することも時期尚早であるのです。現在は、完成に至る途中の段階にいるのです。やがては、人類すべてが、神の子の完全な姿を現すようになるのですが、それはどこかの宗教家に認定された、特別な人たちだけが神になったり、救われたりするのではありません。地球人類すべての人が、「世界平和の祈り」によって、神性を顕現する時がくるのです。私達は、自分の運命を波動調整する祈り言として「私達の天命が完うされますように」と祈っておりますが、なぜ、「私達の病気が治りますように」とか「私達の貧乏が直りますように」とお祈りしないのかと申しますと、守護の神霊方が、その人の魂の進化のために、「今、病気の症状を現したほうがよい」と思われれば、病気の症状が現れてくるのです。天命を完うするために、病気の症状を一時的に早く現したほうがよい時もあるのです。また、「貧乏の経験を積んだほうがよい」と守護の神霊が思われれば、貧乏の状態が現れてくるのです。
病気が現れても、貧乏が現れても、人間は常に、何事が起きても、不安動揺の想いを起こさぬようになることが、人間としての究極の目的であるのです。いいかえれば、「私達の天命が完うされますように」と祈っていることが、病気や貧乏の波動を消滅させるのに、最も効果的な方法といえるのです。現象に把われ、いちいち一喜一憂し、不安動揺の想念を、常に起こしていてはいけません。現象に把われず、天命の完うを、ひたすら祈りつづけていればよいのです。五井先生は、ご病気の症状があった時も、五井先生の心は、健康の時と全く同じように明るく、屈託のないユーモアを充分にいえる状態でいたのです。「毎日がよい天気でありますように」と祈る人はいません。なぜならば、一年365日、雨もふらず、風もふかない快晴の日がつづくわけがない、と知っているからです。現象に把われた祈り方をしていては、いつまでも現象に揺り動かされて、平和な心を得ることはできません。ですから、現世利益的な祈り方はしないで、「私達の天命が完うされますように」という祈り言にしたのです。