「神様お願いします」に付け足す言葉は? top page 
No.983 1999/08/26 (木) 13:24 富士宮市
世界人類が平和でありますように


Q.
「神様お願いします、世界人類が平和でありますように」を実行させて頂いて感じたのですが、 このお言葉は、この後ろに何も付け足さなくてもよろしいのですか?あるいは、付け足さないほうがよろしいのですか?できますれば、森島先生のお考えと、五井先生の実施していた方法の、両方を教えて下さると有り難いです。

A.
このお答えは、五井先生のご本にも、私の過去のログにも、すでに書いてあるのですが、もう一度お答えいたしましょう。「神さま、お願いします、世界人類が平和でありますように」の後には、何も付け足す必要はありませんが、もし、付け足したい言葉があったら、付け足してもかまいません。どちらでもいいのです。「世界平和の祈り」というのは、もともと次のような文体構造になっているのです。

(神様 お願いします)
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様 ありがとうございます
守護神様 ありがとうございます

「世界平和の祈りには、『何々でありますように』という祈りの文体があり、すでに『神さま、お願いします』という意味がその中に含まれているから、言わなくともわかるだろう」と五井先生が判断されて、その言葉が省略されているのです。

尚、「何々でありますように」という「〜に」止めの祈りの表現は、文語訳聖書の後、現代語訳聖書が日本で翻訳されるようになった頃から、一般に用いられるようになった比較的新しい現代的な表現であるのです。それまでは、神道式の「祓いたまえ」「成就せしめたまえ」「かしこみもうす」、一般では「よろしゅうお頼みもうします」、漢文調の「祈願、家内安全、病気治癒、商売繁盛」、それから従来ある「南無阿弥陀仏」のような仏教的祈願が多かったようです。

「世界人類が幸せ(平和)でありますように」という祈り言は、生長の家の谷口雅春教祖がすでに神示として本に書いていたのですが、特に重要視することなく、大量の原稿の洪水に流されて、著者にも読者にも忘れ去られてしまったのです。五井先生は、その一言を捨てることなくひろい上げて、神示を生かしたわけです。そこで生長の家の神さまが、五井先生に移ってきたわけです。「多弁饒舌が、生長の家の誤りだった」と五井先生は述懐されていました。多弁饒舌のために、大事な神示の言葉が失われてしまったのです。他山の石として、私たちも自戒しなければならぬところです。

「神さま、お願いします、世界人類が平和でありますように」という祈り方は、五井先生の執筆された本によっては、一言も出てこない本もあります。執筆された本には、この教え方は非常に少ないのです。ところが面白いことに、聖ヶ丘講話では、五井先生は頻繁にこの方法をお説きになっており「五井先生講話集」には「神さま、お願いします、世界人類が平和でありますように」という祈り方が多く出てきます。

私は、自分でこのやり方を発明して説いているわけではなく、五井先生が教えて下さった方法を、そのま 実行し、そっくり説いているだけなのです。ただ、どういうわけか気づく人がいないことと、私以外に実行している人が一人もいないので、「それは森島先生の独自のお考えだろう。五井先生の教えではないのではないか」と疑われて、苦労するのです。私は、五井先生の教えを、そのまま実行しているだけなのです。この事実は、五井先生のご本をよく読まれている方には、おわかりいただけると思います。「私は五井先生のご本をすべて読んだが、そんな教えは、五井先生は一言も説いていない」と豪語している人がいますが、高慢な人には、五井先生の教えの大切な言葉が目に入ってこないのは不思議なことです。