「世界平和の祈り」は現代の念仏 top page
No.2904 2001/02/20 (火) 00:09 富士宮
世界人類が平和でありますように
Q.
法然、親鸞らが命がけで広めた「南無阿弥陀仏」の称名念仏は、今日では時代遅れで、その念仏では人々は救われないのでしょうか?A.
「念仏では救われない」と私は申してはおりません。「『南無阿弥陀仏』は永遠に光り輝く祈り言であります」と私が書いたように、念仏をするならば、時代に関係なく、その人々は救われることは確かです。念仏の効力は、今日も生きているのです。もしも、世界人類すべての人が念仏を唱えるならば、この世はまたたくまに極楽浄土に変貌するに違いありません。Q.
浄土宗、真宗の人に、「南無阿弥陀仏は古いし、他宗教の人からは受け入れられないから、『世界平和の祈り』をしてください」と、勧めるのですか?A.
「南無阿弥陀仏」という念仏だけで満足され、安心立命されている方ならば、私は何も申しません。しかし、「南無阿弥陀仏と同じ内容で現代的な祈り言がないか?」と探し求めている方には、私は「世界平和の祈り」をお勧めします。Q.
他宗教の人からなんと言われようと、「南無阿弥陀仏」の念仏行に救いと命をかけている人は、どのように思うでしょうか?A.
「南無阿弥陀仏」の念仏行に救いと命をかけている人は、それは立派な行為ですから、「やめなさい」とよけいなお節介は申しません。「念仏行に命をかけて下さい」と申します。私が申し上げたいのは、阿弥陀仏を信じることができて、念仏に命をかけられる人は、真に幸せであるけれども、現代において、西方の極楽浄土を素直に信じて念仏を唱えることのできる人が、いったいどれだけ存在するだろうか、と疑問に思うのです。阿弥陀仏を素直に信じ、「南無阿弥陀仏」を唱えることのできる人は、現代においてはごく少数であろう、と思うのです。その方々においては、念仏で救われるのですから、とやかく申し上げることはございません。
問題は、阿弥陀仏を素直に信じることができず、念仏を唱えることのできない、他の大多数の現代人たちを、どうしたら救えるか、ということなのです。その大多数の現代人を救うためには、現代人にも知性的に納得できて、現代語で書かれた、やさしい祈り言が、どうしても必要となってまいります。念仏と同じように他力易行道で、しかも、個人だけが救われるのではなく、人類も同時に救われる道、そして、現代人の感覚にピタッと合った道、そうした新しい祈り言が、絶対に必要な時代であるのです。
それが「世界平和の祈り」であるのです。法然、親鸞は、神界の世界から、「現代の念仏は、『世界平和の祈り』であるのです。『世界平和の祈り』をぜひ祈って下さい」と五井先生を通して強く勧めて下さっているのです。また、「南無阿弥陀仏」で真に救われた人ならば、阿弥陀仏の勧める「世界平和の祈り」を理解できないはずがありません。「世界平和の祈り」に喜んで大賛成して下さる、と思います。法然、親鸞の念仏の精神は、今も「世界平和の祈り」の中で脈々と息づいております。「世界平和の祈り」は、まさに現代の念仏であるのです。