神様のみ心のままになさしめたまえ top page 
No.65 1998/10/16 (金) 23:55 静岡県
世界人類が平和でありますように

 「自分の思う通りに生きたいと思うならば、その想いを捨てることだ」という五井先生のお言葉がありますが、自己の本心のままに生きるためには、一度、欲望に満ちた業想念の自分を捨てることです。業想念の自分を捨てるということは、「私は成功できる、と念じて目標を達成する」というような方法を捨てるということなのですが、これがわかっていない人が、案外多いのです。「神様のみ心のままになさしめたまえ」と神への全託の祈りをしながら、その一方で「私は何事もなし得るのだ。私にできないことは何も無い。なせばなる」と自力の念を出していては、完全他力ではなく中途半端なのですから、祈りの効果は現れてはこないのです。

 自分の思う通りにならないと、すぐにふくれっ面をしたり、自分の思う通りに相手が動いてくれないと、すぐに相手に対して文句を言う。これでは、神に全託しているとは言えません。神への全託ということは、どのような状況にあっても、不平不満の想いを出さない、ということですから、自分の思う通りにならないからといって、すぐに心を乱すようでは、神に全託しているとはいえません。

 「自分の思うままに生きる」という道を選んだら、自分の力で自分の運命を切り開き、自分の運命をつくり上げてゆけばよろしいでしょう。しかし、「神様のみ心のままになさしめたまえ」と神への全託の道を選んだら、自分の欲望をすべて捨てなければなりません。自分の道を、まずはっきりと定めることが必要です。中途半端ということが、いけないのです。

 自分の思う通りに生きようとしても、現実には、自分の思う通りにならないことのほうが、ずっと多いのですから、自分の思う通りに生きようとする人には、たえず不平不満の種がつきまとうようになります。それに対して、神様のみ心のままに生きている人には、自分の想いがもともと無いのですから、自分の思う通りにならない、という不平不満の想いは出てきません。世の中が波乱に満ちていても、その波を超越して生きてゆけるのです。そこで私は、神への全託行を勧めているのです。

 「神様のみ心のままになさしめたまえ」と神に全託したら、自分の想いがなくなり、不平不満は一切なくなるのです。それでもなお、不平不満の想いがあるということは、まだどこかに、神様に任せきっていない自分、神様の愛と全能の力を信じていない自分があるからなのです。五井先生の教えを、知識として知るだけではだめです。実際に、不平不満がなくなるまで、神への全託の祈りを、実行しなくてはなりません。一度で全託するのは難しいでしょうから、何度も何度もくりかえし、神に全託することです。

 空即実相というのは、想念を無にし、空の境地になりますと、その瞬間に本心の自分が現れてくるという意味です。それに対して「何も念じないで、何も考えずに、目標を達成できるわけがない。だから、強く欲する目標を念じなさい」というのが、アメリカの自己啓発の考え方です。祈りながら、片方で念力成功法を使っていては、中途半端になってしまいますから、どちらかに定める必要があるのです。

 自分で強く念じた成功よりも、神様に全託して、神様から与えられる成功のほうが、はるかに大きな成功を得られるのですから、神への全託を選んだ人は、途中で迷わずに、神の愛を信じて、神への全託をなしつづけてゆくことです。「神様のみ心のままになさしめたまえ」という気持ちで世界平和の祈りの中に、自分のすべての運命を投げ入れて、生命をいただき直すのです。「世界人類が平和でありますように」という祈りの中から、あなたの新しい運命が開けてくるのです。「他力行に徹しなさい。世界平和の祈りに全託しなさい」と五井先生は皆さんに強く勧めているのです。