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いかなる神様の声も光もすべて消えていく姿。消えて消えて消えて、残るのは神のみ心、世界平和の祈りのみ。祈り祈りて祈るのみ「世界人類が平和でありますように」
神の試みに克つ方法
No.310 1999/05/03 (月) 00:04 富士宮市
世界人類が平和でありますように神の試みと幽界の生物の存在 釈尊、イエス、五井先生の聖者に共通していることは、悟りに至る途中に神の試みに遭っているということてす。ある時は、悪魔の姿となって甘い言葉で誘惑してきたかと思うと逆に脅迫してきたり、ある時は神仏の姿をしておだでて有頂天にさせたかと思うと逆に落胆させたりして、巧みにだましてくるのですがどの聖者も守護の神霊の助けを借りて、その試みに合格し、神我一体となり得たのです。直接に人間を試みるのは、最初は幽界の生物なのですが、その背後には、その人間がどのような答え方をするかを、守護神が目を光らせてじっと観察しているのです。そして、心境が上がるにつれて、守護神自身が、その人間を試みてくるのです。
「世界平和の祈り」は神界の光明であり、「世界平和の祈り」を祈りつづけてゆけば、いずれは誰しも神我一体になり得るわけですが、人類には業想念の蓄積がありまして、業想念が消え去るまでは、「世界平和の祈り」を祈ったからといって、人類はそう容易にすぐに神我一体になれるわけではなく、やはり時間がかかるのです。神我一体というのは、神界にあるその人の本心の座に、想念が一つになったということで、そこに至るまでには、常時想念は、上がったり下がったりしているのです。心境が上がったかと思うと、転落してしまうということがあるのです。そして、肉体界と霊界の間には、幽界という世界が存在しその幽界の世界を通り越す途中で、様々な試練が待ち受けているのです。統一修行によって、自己の肉体波動が微妙な波動を感じるようになると、幽界の波動を感じるようになってくるのです。
この試練というのは、幽界には人間をたぶらかす生物がいまして、その幽界の生物が、人間の欲望に乗じて干渉してくるのです。一般には動物霊ともいわれていますが、幽界の狐や狸は高級な霊ではありませんから、それは正確な表現ではなく、五井先生は幽界の生物という言い方をしているのです。神の子である人間が、動物を神のように拝むことはいけないことなのです。また、悪魔と言いますと、一つの形をした確固とした実在のように連想されるので、聖書の解説の時は別にして、悪魔という言い方はせずに、業想念とか幽界の生物と言っているのです。
いかにして人間をだますのか?その1…神仏名による試み それでは、幽界の生物は、いかにして人間をだますのか? それを考えてゆきましょう。幽界の生物のだましのテクニックには、大きく分けて二つあります。
一つは、幽界の生物自身が、神仏をよそおってだます方法です。これはちょうど、結婚詐欺師が、若い女性の憧れるパイロットや医師や実業家のふりをして、女性をだますのと同じです。ふつうの人は、肩書でコロリとだまされてしまいやすいのです。幽界の生物は、「私は幽界の生物です」「私は悪魔でございます」と自己紹介することはありません。
「われは、釈迦なり」
「われは、イエスキリストなり」
「われは、宇宙神なり」
「われは、五井先生なり」と偉そうな名前をかたって現れてくるのですから、始末におえないのです。もうこの段階で、たいていの人は、だまされてしまいます。だから、難しいのです。この試みに勝つには、すべてを「消えてゆく姿」とすることです。たとえば、このようにすれば良いのです。
「われは、釈迦なり」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「われは、イエスキリストなり」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「われは、宇宙神なり」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「われは、五井先生なり」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」このように祈っておりますと、本物ではない幽界の生物ならば、すぐに消え去ってゆきます。「世界平和の祈り」には、幽界の生物は勝てないからです。「消えてゆく姿」とやらないと、幽界の生物は、その存在を認められますから、力が強まって、そのまま聖者のふりをして、人間をだまし、いかにも馬鹿げた行動をやらせようとしてくるのです。そして「あいつらは、アホだ。こんな馬鹿げたことを、おれの指示のままにやっている。クックックッ…」と人間をあざ笑っているのです。ですから、統一中に、いかなる偉い神仏が現れようとも、すべて「消えてゆく姿」として、把われないようにすることが大事なのです。
いかにして人間をだますのか?その2…欲望による試み 第二は、欲望による試みです。
先ほどの結婚詐欺師の例を出せば、「数年後に結婚してあげるから、おれとつきあってくれ」と男性に言われて、うぶな女性がだまされるのと同じです。女性は、「結婚したい」と強く願っているのですから、その欲望をかなえるような甘い言葉をいえば、その他のことは見えなくなってしまい、「百万円が必要になったから、貸してくれ」と男性に言われても、女性は疑わず、だまされてしまいやすいのです。もちろん、そんな女性ばかりとは言いませんが、だまさないように気をつけて下さい。また、ふつうの物質的な欲望には容易にだまされない宗教者でも、「神様の超特別な光をあげよう」と言われると、うっかり信じてしまい、だまされるものです。そんな言葉にも、信じちゃだめなんです。すべてを「消えてゆく姿」にしないと、だめなんです。幽界の生物は、その人その人に、どんな欲望があるのかを知っていて、その人の欲望を叶えるようなことを言ってくるのです。そうした欲望を叶えるような言葉を聞いても、すべてを「消えてゆく姿」にしなければなりません。幽界の生物が、甘い言葉を言ってきても、あるいは脅すようなことを言ってきても、次のように、答えることです。
「汝の心境は、すでに神そのものである。汝にとって、もう『世界平和の祈り』を祈る必要はない」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「『世界平和の祈り』のような他力の守護の神霊に頼るようなことを、いつまでしていては、神として、人々から崇められないぞ。『世界平和の祈り』はすでに古いのだ」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「あなたも超常現象を体験したいだろう。そのためには、『世界平和の祈り』を祈るよりも、ピラミッドに入るほうが効果的なのだ」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「あなたも宇宙の真理を理解できるようにしてあげよう。そのためには、『世界平和の祈り』よりも『私は神である』と唱えることだ」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「あなたも高次元の法則を駆使できるようになりたかったら、『私は神である』と宣言することだ。『世界平和の祈り』だけでは遅れるぞ」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「私の言うことをやっていれば、あなたを神人にならせてあげよう」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「地球の重力をコントロールして、自らを移動できるようになる。そのためには、『私は神である』と宣言することだ」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「あなたは高次元のパワー、高次元の光を受け取ることができる」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「『私は神である』と唱える人は、宇宙の進化に進むことができるのだ」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「『私は神である』という宣言は、五井先生のご愛念である」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「自らに内在する神そのものを発見し、神そのものに目覚めることである」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「自分の周りにいる人々に対して、『人類は神である』という宣言を7万回唱えなさい。これによって、あなたは変貌を遂げるのである」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「『私は神である』と宣言することによって、あなたは救世主となれるのだ」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「『世界平和の祈り』を祈っているだけでは、地球は滅亡するぞ。『世界平和の祈り」だけでは、もう間に合わない時代に突入したのだ。『人類は神である』と宣言する時代に入ったのだ」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「宇宙神からの超特別な光を、汝に与えるから、私の聖地に来なさい」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「汝の願望を叶えてあげよう。これは念力ではない。五井先生からの愛である」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」「人類一人一人が、自ら神であると自覚できたなら、『世界平和の祈り』など、祈る必要は無い」
「消えてゆく姿、世界人類が平和でありますように」結 論
このように、誰にどんなことを言われても、すべて「消えてゆく姿で世界平和の祈り」をしていれば、よろしいのです。これは簡単なようで、実際には難しいことですが、練習を積み重ねてゆきますと、すべてに把われなくなってきます。神仏の名に把われず、欲望に把われず、ひたすら「世界平和の祈り」を祈り続けて下さい。そこに安心立命の境地が開けてくるのです。
守護霊様、守護神様、五井先生、どうか、一日も早く人類の業想念を消し去り、本心を現わしめたまえ。世界人類が平和でありますように。