真の感謝行は神への全託行から始まる top page
No.2164 2000/10/04 (水) 13:49 富士宮
世界人類が平和でありますようにQ.
感謝行の事なのですが、これを続けていく事は、世界平和のお祈りをしているのと同じ効果があるのでしょうか。常に常に、「神様ありがとうございます」と思い続けようと思いますが、簡単そうに見えて、難しいなと思っています。A.
「世界平和の祈り」を基本にしていれば、ご自分の好きなようにお祈りしてもかまいません。五井先生は「神さま、ありがとうございます。だけでもいいんですよ」と度々おっしゃっていました。ご承知のように、五井先生は「神さま、ありがとうございます。だけで私は悟った」ともおっしゃっていました。「神さま、ありがとうございます」という祈り言は、短く唱えやすく、単純でありながら奥が深く、明るいひびきのする実に良い祈り言です。私もこの祈り言が大好きでよく唱えますが、最初から唱えることができたわけではなく、或る一つの段階を経て、唱えることができるようになったのです。「世界平和の祈り」をつづけておりますと、いつしか「真の感謝」の心境に至るのです。「世界平和の祈り」よりも、「真の感謝行」をつづけてゆくことは、はるかに難しいことなのです。それは全感謝は、全託行の究極の姿であり、行為であるからです。「世界平和の祈り」は、前半の「全託行」と後半の「感謝行」の二つの行に分けられるのですが、私は前半の「全託行」を中心に教えております。なぜならば、「全託行」をしていれば、自然と「感謝行」も深まってゆくことを、私は自身で体験したからです。何事にも順序があるように、悟りにも順序というものがあるのです。
私の体験を申しますと、五井先生の真似をして、「神さま、ありがとうございます」という祈り言を形式的にくりかえし唱えていたのですが、いつまでたっても、五井先生のように神我一体になれず、感謝の心境も深まった気持ちがしませんでした。そのうち、だんだんと疲れてまいりまして、途中でやめてしまいました。それからしばらくして、白光真宏会に入会してから20年後のことですが、ふと思いついて、私は「神さま、お願いします」という全託行を始めたのです。すると不思議なことに、それまで言えなかった「神さま、ありがとうございます」の祈り言が、心の底からフツフツと湧いてくるようになったのです。
そこで、五井先生の法話(特に講話)を読み返してみますと、五井先生も「神さま、お願いします」と頻繁におっしゃっているではありませんか。私はその事実を発見して驚くとともに、「なんだ、そうだったのか」と自分の心境の変化の理由がわかったのです。「神さま、ありがとうございます」の前に、「神さま、お願いします」という全託が必要であったのです。五井先生も、「神さま、ありがとうございます」の前には、「神さま、お願いします」と唱えていたのでした。そして、しだいに心境が高まってゆき、ついに「神さま、ありがとうございます」だけの意識になってしまったのです。
そこで私は、皆さんには「神さま、お願いします。世界人類が平和でありますように」という全託行に重点を置いて祈る方法を、お勧めしているのです。大自然への感謝も、「世界平和の祈り」に含まれていますから、唯一会では、「世界平和の祈り」以外に、特別な感謝行は行ないません。
Q.
空々しい感謝行と、真の感謝行についても、教えていただけないでしょうか。A.
「白光への道」の中に(眞の感謝行について)という法話があります。そこに「そらぞらしい感謝の言葉はやめよう」と書かれておりますから、参照なさって下さい。1.偽善的感謝行/不平不満を抱きながら、「ありがとうございます」と嘘をつく行為。
2.虚栄的感謝行/「私は無限なる感謝の心境にいる」と自分を偉く見せかけようとする行為。
3.形式的感謝行/心の伴わない合掌や商売の感謝の言葉のような形式だけの行為。
4.不完全感謝行/「私は大自然すべてに感謝する」と説きながら、「敵をやっつけよう」と怒
る行為。
5.強要的感謝行/「7万回感謝しなければいけない」と強要する行為。
6.功利的感謝行/現世利益があれば感謝するが、何も利益がないと不平をこぼす行為。以上が五井先生の説く「そらぞらしい感謝行」であり、真の感謝とは、心から湧いてくるもので、現世利益が何もなくとも、自分に都合が悪くとも、自然に「ありがとうございます」と言える行為です。真の感謝とは、たとえ、自分が痛い時でも、人から悪口を言われても、不幸な状況にあっても、いかなる状況にあっても感謝できなくてはならないのですから、大変むずかしいのです。「私はすべてに感謝している」と言いながら、感謝していない人を見つけると、その人を侮ったりさげすむ人がいますが、それでは、すべてに感謝しているとは言えません。感謝しない相手に対しても、敵のような相手に対しても、「ありがとうございます」と心から言うのが、真の感謝行であるのです。ですから、真の感謝行とは実にむずかしい行為で、どうしても偽善的形式的になりがちなのです。そこで私は「世界平和の祈り」への全託行一つにしぼって説いているのです。