すべての欲望を「世界平和の祈り」の中に投げ入れよ top page 
No.972 1999/08/25 (水) 03:07 富士宮市
世界人類が平和でありますように


Q.
森島先生は、何を神様にお願いしたのでしょうか?もしも、よろしければ、教えてください。
また、お願いする時の心境等もあわせてお聞かせ願えれば、幸いです。

A.
「神さま、お願いします」という祈り言は、短縮形の祈りで、本来の祈りは「神さま、世界人類が平和でありますように、お願いします」という祈り言であるのです。くりかえし唱える時には、短いほうが楽なので、簡単に「神さま、お願いします」と祈るわけです。「世界人類が平和でありますように」という言葉を省略しても、私がその気持ちを持っていれば、神さまのほうではわかってくれるのです。そして、「神さま、お願いします」とくりかえし祈る習慣がつきますと、今度は「世界人類が平和でありますように」と祈るだけで「神さま、お願いします」という言葉を省略しても、「神さま、世界人類が平和でありますように、お願いします」という祈り言と同じ意味の祈りとなるのです。

Q.
神様にお願いするときには、お願いする前提条件、すなわち、どのような心構えを抱いて、お祈りすればよろしいのですか?自我欲望の為に、このようなお祈りをするのは、もちろん、まずいのでしょうか?

A.
自分の欲しいものをイメージして、「願望はすでに成就された、神さま、ありがとうございます」と祈れば、願望は成就される、と教える人がいますが、神さまという言葉を使ってはいても、それは神さまが叶えたのではなくて、念力による願望成就のことであって、真の祈りではありません。

といっても、自我欲望のない人はいないのですから、「自我欲望を無くして祈れ」と教えても無理なお話です。そこで自我欲望を持ったままでよいから、その欲望を大欲へと昇華して「世界人類が平和でありますように」と祈るのです。世界を平和にしたい、という大欲は、無欲と同じです。

たとえば、「あれが欲しい」と思ったら、「神さま(守護の神霊)、あれが欲しい、世界人類が平和でありますように」と祈り、「これが欲しい」と思ったら、「神さま、これが欲しい、世界人類が平和でありすように」というぐあいに、自分のすべての欲望を、「世界平和の祈り」の中に投げ入れてしまうのです。そうしておりますと、欲望は純化され、いつの間にか「世界人類が平和でありますように」一念になって、その人に必要な物は、おのずから神さまから与えられるようになるのです。