「祈りの中に入る」とはどういう意味ですか? top page 
No.39 1998/09/29 (火) 16:11 静岡県
世界人類が平和でありますように

Q.
五井先生のお言葉でよく出てくる「世界平和の祈りに入る」と言う表現が、私にはどうもよくわからないのですが、他の言葉で言い換えると、どうなるのでしょうか?大事なことだと思うのですが・・・「祈りに入る」の意味は「祈る」と同義でしょうか?ただ祈れば、祈りに入っている、といえるのでしょうか? それとも人が入れる、目に見えない祈りの空間ができて、それに入ると言うことでしょうか?

A.
Kさんのこのご質問は、小さな問題に見えますが、実は宗教の核心をついた一番大事な問題なのです。「祈る」ということと、「祈りの中に入る」というのは、厳密に申しますと違うのです。「祈る」というのは、生命の宣言という深い意味のほかに、ふつうは祈りの言葉を唱える動作をあらわしますが、「祈りの中に入る」というのは、業想念波動圏の世界から抜け出て、世界平和の祈りの光明波動圏の世界に、その人の想念が真実に入りこんでしまう、ということなのです。

その心境になりますと、肉体を持ち、肉体界にいながらにして、業想念を感じる神経は持っているのですが、業想念の波にとらわれず、明るく、穏やかで、感謝に満ちた日々を送れるようになるのです。「業想念の波にとらわれない」ということは、ふつうの人と同じく喜怒哀楽を感じるのですが、いつまでも滞ることがなく、想念がスーッと消えてゆくのを観じることができる、ということです。それはちょうど、天と地をつなぐ霊波動でできている柱があって、電気掃除機でゴミが吸い込まれてゆくように、地上の業想念がつねに天へスーッと吸い込まれてゆくのです。いいかえると、その時、肉体の中は空になっているわけです。

肉体を持ちながらも、光明波動圏内に入りこみますと、業想念に左右されることがなくなり、不動心を得て、いつも気持ちが明るく、爽やかでいられるのです。その境地を、五井先生は「祈りの中に入る」と説いているわけです。五井先生は、このほかにも「祈りの中に投げ入れる」という表現も、よく使われますが、やはり同じ意味です。

では、どうしたら、「祈りの中に入る」ことができるのでしょうか?それには、「祈り方」を知らねばなりません。私がこの「祈り方」に気がつくまで、20年もの歳月がかかったのです。その方法については、皆さんの考えるべき重要な公案として残しておき、ここでは教えないことにいたします。いくら考えてもわからず、「どうしても学びたい」という強い熱意のある人は、私の主宰する塾においでください。直伝でお教えいたします。