埼玉県民芸術文化祭 郷土芸能大会IN川越

   村津優麒彦氏撮影                               平成6年9月11日 川越市やまぶき会館                                                                                   

篠     笛                                                                    

コ ビ(小太鼓)

 

オオドウ(大太鼓) 曲を聞きたい方はこちらへ 地 囃 子                                                        

  

す  り  鉦

 

オオドウ(大太鼓) 曲を聞きたい方はこちらへ 四丁目囃子                                  

  

振 り 万 燈( 盃 )                  振 り 万 燈(ひょうたん)


高 倉 祇 園 太 鼓

  高倉祇園太鼓は、夏病み除けに霊験あらたかという氷川神社夏祭の「天王さま」(7月20日)に村廻りの屋台につけ江戸時代後期から打ちはやされて来たものである。その始まりは、土地の人が伊勢参りの帰り道、上方で行われていた、めずらしい祭の行事に出遭った話を村人に語り、早速皆でその祭のように、神に見たてた檜の枝葉をかつぎ、渋皮の太鼓を打ちならしながら村廻りをしたあと、西のハケに檜の枝葉を投げ捨ててしまった。するとそのたたりか村人らが熱病にかかり非常に苦しんだ。ある日、村人の夢枕に男神が立ち、「私はハケの下で苦しんでいる。早く拾い上げどこか高い所へ祀ってもらいたい。」とのお告告げにより、村の西方の天王山に祠を作り、その檜の枝葉を祀ると村人らの熱病はたちどころに全快した、その後、村人の信仰が次第に高まり八坂神社として益々栄え、祭りも盛大に行われるようになり。浅間山に登る勇壮な姿は、「高倉天王黒須まち」と呼ばれ近郷の 人出で大いに賑わった 。天王さまの祭りでは、2メートルほどの底なし屋台に太鼓をつけ、20人ぐらいの担ぎ手によって「ヨーイ、ヨーイ」の掛け声で威勢よく担ぎ回される。笛や鉦を奏でる人たちは屋台の外に出て、行列の最後について村回りを行う。昔は、あまりにも威勢よく屋台をもんだので、村 回りも終わりに近づくと屋台がボロボロになったというのが高倉の天王さまの呼び物となっていた。

昭和20年代 高倉天王 黒須まち

 昭和36年を最後にトラックの荷台に乗せて村回りをするようになり、現在に至っている。この地に伝わるオオドウ(大太鼓)の張り替え銘によると、最初初に文化12年(1815年)に張り替え修理が行われたと記されており、江戸時代後期には既に祇園太鼓が行われていたことが解り、歴史的に大変古い太鼓である。高倉の地では古くから伝わるこの郷土芸能を次世代へ継承するため、昭和30年頃に高倉祇園太鼓保存会が結成され現在に至っている。昭和52年には、入間市の無形民俗文化財に指定された。保存会は現在20人の大人で構成されている。
      
                                                    (大会パンフレットに村津氏加筆)