高倉祇園太鼓は、夏病み除けに霊験あらたかという氷川神社夏祭の「天王さま」(7月20日)に村廻りの屋台につけ江戸時代後期から打ちはやされて来たものである。その始まりは、土地の人が伊勢参りの帰り道、上方で行われていた、めずらしい祭の行事に出遭った話を村人に語り、早速皆でその祭のように、神に見たてた檜の枝葉をかつぎ、渋皮の太鼓を打ちならしながら村廻りをしたあと、西のハケに檜の枝葉を投げ捨ててしまった。すると、そのたたりか村人らが熱病にかかり非常に苦しんだ。ある日、村人の夢枕に男神が立ち、「私は、ハケの下で苦しんでいる。早く拾い上げ、どこか高い所へ祀ってもらいたい。」とのお告げにより、村の西方の天王山に祠を作り、その檜の枝葉を祀ると村人らの熱病はたちどころに全快した。その後、村人の信仰が次第に高まり八坂神社として益々栄え、祭りも盛大に行われるようになり。浅間山に登る勇壮な姿は、「高倉天王黒須まち」と呼ばれ近郷の人出で大いに賑わった。大太鼓には、度重なる張替の記録が下記のとおり残され、胴の張った作りに江戸の様式がうかがわれる。(作者:御本丸 御用御太鼓師 藤本伊兵衛、純七)

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太 鼓 師 東京市亀岡町壱丁目
高 又


川越市大字小堤 御太鼓師 三吉傳造

1957年(53年前)


平成8年6月29日 宮本卯之助商店にて
明治二十五年二月(1882年)128年前
石渡五郎右衛門
昭和三十一年七月 張替
川越市大字小堤 太鼓師 三吉傳造


平成8年6月29日 宮本卯之助商店にて

平成8年6月29日 宮本卯之助商店前にて

1996年7月14日 平成8年天王さま準備にて
平成22年7月現在