その窓が塗り固められた理由を、僕は知らない。
 不器用に均されたコンクリートと、いくつもの爪痕。
 それにそっと触れるたび、僕の中には抑えがたい衝動が渦巻いた。
 きっとそれが、彼女が抱いた衝動だと、信じながら。



『そして僕は幸せに眠る / 永瀬月臣』



「お前、正気か?」
 僕の話を聞いた須藤の第一声は、僕が予想していた回答のうち三番目の言葉だった。一番目は、僕の望まない種類の言葉。二番目は、僕の背中を押す言葉。そして三番目は、聞いたとおり、僕の足を止めない言葉だ。
 だから、僕は躊躇いなく頷いてしまう。それを見た須藤は何かを言いたげだったけれど、寸でのところで飲み込んで、代わりに力なく首を振った。
「いや、悪い。別に、お前の気持ちが分からないってわけじゃないんだ。ただ、その、何というか……」
「後ろ向き過ぎる……?」
 須藤の言いたいことを引き継いだつもりの僕の言葉は、小さく吐き出された須藤の溜息にゆるゆると流されていく。入れ替わりに、僕らの周りには耳が痛むほどの沈黙が訪れた。避けがたい不幸な事故のように、重苦しい沈黙だった。
 窓ガラスの向こう側は、雲ひとつない晴天。太陽は随分と躍起になって隣のマンションを照らしていた。くすんだ色をしたその建物に、人の気配は感じられない。数えることも億劫になるほどの四角形の集合体。
 事実、その全ての四角形は、――人を含んでなどいなかった。
「こんな世界、だもんな」
 ぽつりと漏れた、須藤の言葉。
 それは沈黙を破るための手段とも、僕を肯定する言葉とも取れた。
「やっぱり、それは淋しい選択なのかな」
「誰にとって?」
「たぶん、誰にとっても、かな。須藤にとっても、僕にとっても」
「アイツにとっても、か?」
 苦笑いを浮かべる須藤。僕はしばらくその言葉について考えてから、同じように苦笑いを浮かべることでそれに返した。そうかもしれない。もしかしたらそれは、彼女にとっても淋しい選択なのかもしれない。
「でも、お前の考えは変わらないんだろう?」
「そう…だね。もし僕がその淋しさを感じられたら、変わるのかもしれないけど」
「じゃあ、変わらないんだろうな。少なくとも、俺の言葉なんかじゃさ」
 そう言って見せた須藤の横顔は、やっぱりどこか淋しそうだった。僕は少しだけ後悔をして、それからその後悔を忘れ去った。僕はこのままでいなければならない。僕は今の僕を維持しなければならない。全てはまだ始まってさえいないのだ。始まりの場所に辿りつくまでは、僕は僕でいなければならない。
「鍵は?」
「持ってるよ。でも、今は必要ないけどね」
「ああ、そうだったな。お前が思いっきり蹴り開けたんだっけ」
 その時のことを思い出しているんだろう。須藤はひとりくつくつと笑う。
「ってことは、もう準備は整っちまっているわけだ。お前の心の準備も含めて、さ」
「そうなるかな。必要になりそうなものはある程度用意してあるけど、あまり持ち込みたくはないしね。第一、あんまり持ち込みすぎると、目的が変わっちゃうから」
「――――」
 目的、という言葉に、須藤はすっと目を細める。
 僕の真意を見透かそうと、僕の瞳の奥を見据える。
「ひとつだけ、確認していいか?」
「何を?」
 純粋に疑問の言葉を返す僕に、須藤は低い声で、言った。
「お前、……死にに行くつもりじゃ、ないよな」


      ◆


 餞別として、須藤は煙草を一箱、置いていった。


      ◇


 消失、という現象が、この世の中に存在するとは思わなかった。
 消去と消失は、似ているようでまるで違う。能動か受動かの違いだけでは、たぶんその本質に迫ることは出来ないだろう。消去は消え去ることを指すわけではない。消えるのではなく、無かったことにされるのだ。擬似的な時間軸の遡上。どこか潜在的な人間の欲望すら感じさせるその行為は、きっと消失という言葉と混同できない。
 消失という言葉は、消えたという事実を消してはくれない。
 僕らに残されたのは、その事実という無機質なカタチだけだった。それでも僕や須藤にとって、それはまだ救いのある現実だったと思う。カタチがあるということは、時として安堵を生み出してくれる。触れられること。言葉として放てること。それに比べれば、認識できないことの方が僕らにとってはよほど恐ろしいことだった。
 だから、だと思う。
 僕も須藤も、この世界の人々が『消失』したのだと知ったとき、それほど取り乱さなかった。
 もちろん驚きはした。人並みには驚いたと思う。一瞬の閃光とブラックアウト。そこから這い出るように目を開ければ、窓の外はがらんどうの街だった。慣性の法則に従って走り続ける車。一拍置いてからの、夥しい数の衝突音。どこかで煙が上がり、やがてそれも消えていった。それが消えていくまで、僕と須藤は窓の外を眺め続けた。
 たぶん、何時間もそうしていたんだと思う。気がついたときには、太陽は西の大地に沈み始めていた。マンションのそばの公園からは、誰の歓声も聞こえなかった。もう何処にだって、長く伸びた自分の影を見ている人はいない。そんな予感が僕の頭を支配していた。
『いま、何時?』
『そろそろ6時、ってとこかな』
『俺、腹減ったんだけど』
 確か、そんな言葉が僕らの最初の会話だったと思う。
 僕らは平静を装ってドアを開け、マンションのエレベーターのボタンを押した。エレベーターは恐ろしく大きな音で唸り、僕らの足音は何度か木霊してから見えない何処かへ消えていった。僕らが降りてしまえば、このエレベーターの唸りさえ消えてしまうだろう。たぶん、この世界にいた人々のように。


      ◆


 ファミレスのテーブルには食べかけの皿が大量に並んでいた。次に入った牛丼屋は、皿が丼に変わっただけだった。どこのキッチンからも煙が上がっていて、結局僕らはレストランでの食事を諦めた。牛丼屋をレストランに含めてしまえばの話だけれど。
『これは夢か?』
 コンビニのお弁当を食べながら、須藤はそんな風に切り出した。
『おかしいだろ。いくらなんでも滅茶苦茶だ。俺たちを残して、……いや、『あの部屋』を残して、世界中の人間が消えるなんて馬鹿げてる。それともこれは、俺の頭がおかしくなってるだけなのか? 見えるはずのもんが見えなくなってるだけなのか?』
 ご飯粒を飛ばしそうな勢いの須藤に、僕は溜息混じりに答える。
『そうだと、いいんだけどね』
 それを聞いて、須藤が大げさに空を仰ぐ。僕はそれを見ながら、あと何日カップラーメンや缶詰を食べずに生活できるかを考えていた。そして、保存食の可能性。それから、強いて挙げるとすれば、他に僕らのような人間がいる可能性だとか。
『これからどうするよ?』
『飲料水と食糧の確保』
『それから?』
『思いっきり大きい家に住む』
『それから?』
『あとは、そうだね、放射能に備えることかな。今は自動制御で動いてるだろうけど、どこかの原発がメルトダウンするかもしれないしね。覚悟くらいはしておいていいと思う。あ、でもそうすると、先に発電機の確保が必要かな。それと、それを動かす燃料の確保。といっても、僕ら二人だけで世界中の石油を使いきれるとは思えないから、差し迫ってやることはないかな。いくら世界が有限でも、僕らにとっては無限そのものだからね』
 須藤は呆れた表情で自分の煙草に火をつける。紫煙はゆるりと風にねじれ、無表情に消えていった。拡散し、在るにもかかわらず僕らの認識から零れ落ちていく数多の粒子。彼らもそんな風に消えたのかな、なんてコトを僕は頭の隅っこで考えた。
『煙草は、……もって2年だろうな』
 残念そうな須藤の独り言は、世界への諦めに似ていたと思う。


      ◆


 それからの日々は、随分と単調に流れていったように思う。単調でないことがあったとすれば、それは人々が消えたあの1日に限られてしまうかもしれない。そもそも、単調でない日々を求めるなら、そこには連続性が必要になるのだ。徐々に変化していく日常。不連続性そのもののようなあの1日は、僕らにそれほどの変化をもたらすことは出来なかった。たとえ、僕の家族や須藤の家族が戻ってこなかったとしても。
 テレビは何の役にも立たなかった。ラジオ局からはホワイトノイズだけが発信され、それもいつか砂嵐に変わってしまった。それからしばらくして電気が止まり、水道が止まった。僕らは発電機とミネラルウォーターを探すために街を歩き、そのついでに、都市ガスではないボンベ式のガスを使う誰かの家に住むことにした。
 特に困ることはなかった。
 たしかに不便は沢山あった。だけどそれは、別段僕らを困らせなかった。僕らは料理ができなかったし、部屋の片付けも苦手だったけれど、それでも生き抜くということについては人より多少得意なようだった。それとも、それは僕らの驕りで、その程度の力は万人が持っているベーシックな能力だったのかもしれない。なにしろ、僕らの生活はサバイバルというわけではなく、見知らぬ誰かが置いていった生活のカケラの、その組み合わせで出来ているようなものだったから。
 そのうち僕らは車の運転を覚え、重機の運転のし方まで覚えた。重機の運転能力は、バールで煙草の自動販売機をこじ開ける労力を考えれば、必要不可欠な能力だった。それから、食べ物を炒める程度の調理能力と、電気の配線に関する経験的知識。人々が消えた世界でさえ、僕らの部屋のエアコンは唸り続けた。
 僕は気に入った車を見つけてはよくドライブをした。須藤は何処かからアコギを一本拾ってきて、気が向けば古い歌を歌っていた。気持ちよく晴れた日の午後は、僕の運転するアルファロメオに乗って、二人でビートルズを歌ったりした。燃え尽きた車がいくつも転がった海岸線を、何処までも何処までも走り続けた。
『まったく、なるようになるもんだな』
『ケ・セラセラ?』
『いや、レット・イット・ビー』
 世界は随分と平和だった。平和で、単調で、平坦だった。
 だから、その出会いもまた、別段驚くべきことではなかった。僕らの前髪がウザったくなる程度に伸びた頃、僕らは彼女と出会うことになった。
『……人だ』
 須藤のそんな呟きが僕にブレーキを踏ませ、BMWは当たり前のように彼女の前に停車した。彼女は呆けた顔で僕らとBMWとを見比べていたけれど、やがて当たり前のように、
『こんにちは』
 と挨拶をした。
 その夜、僕らは3人だけのパーティーをした。僕の精一杯である缶詰ミートソースのスパゲッティと、須藤の精一杯であるホワイトアスパラとミックスベジタブルの温野菜サラダ、そして彼女の精一杯であるホットケーキのアイスクリーム添えがテーブルに並んだ。須藤が何処かの倉庫からかっぱらってきたとびっきりのワインを開ける。僕らは大きな声で3人の出会いに乾杯をし、酔いつぶれるまで飲み続けた。だけど、何より僕らを喜ばせたのは、その出会いよりもむしろ彼女が美容師であることだった。
 単調な日々に訪れた、出会いという不連続性。
 だから、暫くすると、やはり僕らには平坦な日常が戻ってきていた。必要なのは連続性。2人が3人になったって、髪を切ってもらったって、僕らはこの日常から不連続性によって逸脱することは出来なかった。類似の円を描きながら押し流されていく螺旋。そのイメージは僕に宇宙の起源と終末を思わせた。それから太陽系の移動だとか。
 消えてしまった人々が戻らないように、僕らが元の日々に戻れないように、僕ら3人の日常は宿命的に回り始める。あまりにも単調に、あまりにも平坦に。


      ◆


 それからの僕は、二人乗りのスポーツカーよりもボックスタイプの車を運転することが多くなった。須藤も彼女も運転が出来たけれど、大抵は僕が運転席に座っていた。CD屋をみつけると、僕らは積めるだけのCDを積んでドライブをした。広くなった車の隙間は、彼女と、CDと、3人の歌声で埋まっていった。
 彼女がこっちに引っ越す日には、軽トラックでは面倒だからと大型のメルセデスのダンプを運転した。いつだったか、ファンカーゴで出かけて、キャデラックで帰ってきたこともあった。僕の運転は必然的に上手くなり、そして必然的に、須藤のパワーショベルの扱い方も上手くなった。僕らの部屋はCDと煙草で埋まっていった。
 僕らは実に様々な場所に行った。何も動かないディズニー・ランドや、何もかもが干からびた動物園、それからエレベーターの動かない東京タワーだとか。機重飛鳥で商店街を走ったこともあったし、首都高のど真ん中で日光浴をしたりもした。よく、戦車があればいいのにね、と話をした。
『ねぇ、今度は水族館に行こうよぅ!』
 そして、そういった外出の提案は、大概彼女によってなされた。須藤は賛成も反対もせず、その判断は僕の仕事だった。
『水族館? んー……、まぁ、たまには思いっきり吐くのもいいかもね』
 僕らは一度行った場所には二度と行かなかった。別にそれを決めていたわけではなかったけれど、それでもそれは暗黙の了解として成立してしまっていた。ただ一つの場所を除いて、僕らはことあるごとに新しい世界を求めて車に乗った。窓を開けて歌を歌い、廃墟の群れに手を振った。
『今日で、何日目だ?』
『127日目』
『何の倍数?』
『知らない。たぶん素数だよ』
 ただ一つの場所。
 僕らがあの日居た、僕の住んでいたマンション。
 その場所だけは、僕と須藤は週に一度は訪れた。そしてベランダで煙草を吸い、誰もいない街を眺めながらあの日からの日数を確かめた。幸い、僕のデジタルの腕時計は今でもちゃんと動いていて、日数の確認に無駄な時間を費やすことはしないで済んだ。もちろん、それ以外の時間は、すべて無駄な時間と言って差し支えのないものだったけれど。
『放射能、来なかったな』
『そんなの分からないよ。放射能なんて目に見えないんだから』
『そうなのか? 白い雪みたいな灰が降るんじゃないのか?』
『なにそれ?』
 僕らはそうして日々を確かめ、時には『沈黙の春』について考えたりした。けれど、いくら考えても灰は降ってこなかったし、僕らに降ってくるのは見ることも数えることも出来ない時間の流れと沈黙、それから須藤の吸う煙草の白い煙だけだった。
 須藤はギターのほかに読書の趣味を持った。僕は相変わらず運転技術の向上に熱心だった。誰もいない街は、別段変化を見せなかった。それが僕らを安心させていたんだと思う。
『どうしてこうなったのか、とかさ……』
『あん?』
『須藤は、考えたこと……ある?』
 その時、須藤が何て答えたかを、僕は憶えていない。それは須藤がやたら小難しい話をした所為でも、僕が本当はそのことに興味がなかった所為でもあるのだけれど。付け加えるならば、たぶん須藤だってそのことに興味を持っていなかった。僕らが欲するのは理由や理屈ではなく、この世界に絶望するまでの時間だったから。
 そう、――僕らは、生きたがりだった。
 いつだって、死ぬこと、消えることだけを、怖れていた。
 だから、僕らはこの部屋に足を運んだんだ。この部屋で生き残ったからこそ、僕らはこの部屋を離れることが出来なかった。この行為に名前をつけるなら、それは信仰と言い換えることが出来たかもしれない。僕らはこの部屋を無意識に崇め、僕らは無意識にこの部屋で安息を得た。
 神の胎内。
 思い切り敬虔な信者のふりをすれば、僕らはそんなふうにこの部屋を呼んだだろう。


      ◇


 僕はまず、この部屋から出口を奪った。


      ◆


 用意していた鎖は、僕の予想に反して20センチほど余ってしまった。あいにくワイヤーペンチは持って来ていなかったから、僕は仕方なくその中途半端な長さの余り部分をドアノブに巻きつけて対処をした。
 じゃらり、という金属音。
 それが、僕がこの部屋で聞いた最後の音だった。鎖と一緒に持ってきた南京錠は、鎖同様、僕の予想を裏切ってしまったから。かちり、というあの音は、耳栓をする前の僕の鼓膜を少しも震わせてはくれなかった。わざわざ高いものなんて持ってくるんじゃなかったと、僕は少しだけ後悔をした。
 何の音もしない部屋だった。テレビやラジオは、音を立てる前にその電力を供給されてすらいない。山のように詰まれたCDと、電源の入らないCDラジカセ。電源ケーブルは発電機につながれる以前に、はさみか何かで切断されてしまっていた。あまり綺麗な切り口ではない。
 僕はそれを確認してから、両耳に耳栓を詰め込んだ。


      ◆


 目を醒ますと、僕はまずキッチンに行くようになった。キッチンの窓は開かなかったけれど、それで今日の天気を知ることは出来たから。それだけが、僕と外の世界との接点だった。そして、僕の右腕で動き続けるデジタル時計。
 この部屋には、正確な時間を教えてくれる時計が存在しなかった。動いている時計は13個あったけれど、その全てが僕の時計と同じ時間を指さなかった。キッチンの時計は僕の時計より3時間51分早く進んでいて、ベッドの脇の目覚まし時計は僕の時計より9時間遅い。もしかしたら15時間早いのかもしれないけれど、今の僕にその答えを知る術はなかった。ただ、知ったところで何も変わらないことだけを、僕は知っていた。
 それ以外は、まったく見知った部屋だった。
 その全てが、僕の部屋のコピーだった。
 ベッドの位置も、ベッドに乗っている掛け布団すら同じだった。乱雑に積まれたCDは、精緻に並べられた一種の芸術品だった。面倒くさがりの僕はよくCDを違うケースに入れたりしていたけれど、その僕の気まぐれすらが完璧にコピーされていた。歯ブラシも同じならば、うがい用のコップまで同じだった。
 初めてこの部屋と出会ったとき、感動と同時に恐怖を覚えたことを憶えている。世界中の人々が消えてしまったときでさえ感じなかった感情。もう一人の自分に会う、なんていうオカルトな話は笑い飛ばしてしまう僕だけれど、その瞬間だけは、僕はその話を信じても良いと思えてしまった。急加速する思考に眩暈がするほど、その部屋に入った時の僕は取り乱した。
『消えてしまったのは僕らなんじゃないのかっ?』
 その時、僕は須藤の肩を掴んでそう叫んだ。
『この部屋に、見えないもう一人の僕がいるんじゃないのかっ? あの、元の世界の僕がっ』
『落ち着けよ! 今はそんな時じゃないだろ!』
『落ち着け? 落ち着けるかよ! 僕の部屋がここにあるんだぞ? 僕の部屋で、あいつが首を吊ってるんだぞッ!?』
 彼女の両手の爪は、みなぼろぼろだった。右手の人差し指と中指の爪は、真ん中辺りからいびつに折れてしまっていた。その折れた爪は、僕の部屋の唯一の窓の下に今も転がっている。そして、今もまだ、僕の部屋の窓はコンクリートで塗り固められたままだった。
 夜が来ると、この部屋は本当の暗闇に埋没する。
 その暗闇の中で、僕は何度も、その光の差さない窓に触れた。


      ◆


 初めて吸った煙草にむせると、ぼやけた音が体の中を駆け巡った。


      ◇


 数えてみると、僕は彼女の部屋には2度しか行ったことがなかった。一度目は、彼女がこっちに引越してきた日。二度目は、初めて彼女と寝た日だった。彼女の部屋は散らかっていない代わりに、うっすらと埃が積もっていた。僕らはあの大きな家に3人で住んでいるようなものだったから、それも仕方のないことだったかもしれない。
『それにね、この部屋って、なんだか住み心地が悪いの』
『どうして? 良い部屋に見えるけど?』
『んー、私も最初はそう思ったんだけどね。そう思ったんだけど……、なんだか、しっくりこないのよ。なんでだろう』
『僕らの家の居心地が、良すぎるからじゃない?』
 そう言って僕が笑うと、彼女もそうかもしれない、と言って微笑んだ。それから長いキスをして、互いの服を脱がせあった。彼女の胸に顔を埋めると、彼女は髪がちくちくすると文句を言った。その日、短髪のほうが似合うといって無理に僕の髪を切ったのは彼女だった。
『居心地が悪かったから、なのかな』
 その呟きに顔を上げた僕に、彼女はくすりと笑って、言った。
『だから、みんな消えちゃったのかも。この世界から』


      ◆


 基本的に、僕らは喧嘩というものをしなかった。そういう意味でも、新しい僕らの世界は平和だった。もちろん、長く暮らしていれば意見の食い違いくらいは起こる。だけど、その齟齬が険悪な空気を連れてくることはなかった。
 そもそも、僕は須藤と喧嘩をしたことが一度もなかった。驚くべきことに、15年も一緒にいて、僕らは一度もいがみ合うということをしなかった。幼稚園で出会い、小学校も中学校も一緒だったけれど、僕と須藤との距離はいつだって一定で変わらなかった。隣を歩いても手は触れ合わない、そんな距離だ。
 だから、見方によっては、僕は須藤よりも彼女に近い場所に立っていたように思う。同じように、須藤もまた僕よりも彼女に近い場所に立っていた。触れ合うという言葉を言葉どおりに解釈するならば、僕は彼女と寝ていたし、須藤もまた彼女と寝ていた。僕と須藤は、彼女を媒介すれば若干近づいたけれど、結局は同じ距離を保って生活をしていた。
 僕と彼女の間で意見が分かれたときは、いつも僕が先に折れた。須藤と彼女との場合は、いつも彼女が先に折れた。そして僕と須藤との場合においては、意見の食い違いというものが存在しなかった。だから僕らは、いつまでもいつまでも平和だった。
『平和の象徴って、どうして鳩なの? スズメがちゅんちゅん鳴いてるほうが平和な感じがしない?』
『それは、随分と日本人的な考えだな』
『そう? じゃあ、ヨーロッパだと、鳩がポッポーって言ってる方が平和に見えるの?』
『よく知らないけど、ヨーロッパでは『喧嘩っ早い鳥』っていう扱いらしいよ』
 首をひねる彼女と、それに笑う僕と、パブロ・ピカソについて話し始める須藤。そういう風景はいつも須藤の吸う煙草の煙に霞んでいて、僕は柔らかい輪郭のその世界にいつも小さな嫉妬をおぼえていた。僕の中に、そんな目を細めたくなる風景はない。須藤の中にも、彼女の中にもそんな風景は存在しない。在るのは、いつだってこの世界の中だ。僕らに無関心に回り続けるこの世界。
 何日も何日も、そうして僕らの日々は過ぎていった。僕らの髪が長くなれば彼女が切り、水がなくなれば美味しい水を探しに行った。須藤の煙草が切れた日は、問答無用で煙草を探す旅に連れて行かれた。何台もの車を捨て、何台もの車を拾った。
 いつまでも終らない永久(とわ)の螺旋。
 組み立て、組み合わせ、壊す普遍。
 積み木で作るお城のように、僕らの毎日は新しく組み上げられては無造作に壊されていった。壊したカケラから日々が生まれ、また僕らは新しい城を組み上げる。水槽の中で腐敗した魚の死骸も、檻の中で小さくなったライオンの死骸も、鎖に繋がれたまま動かなくなった犬の死骸も、そんな死のカケラさえが僕らの城の支えだった。その不安定な支えの上で、僕らは音楽を聴き、会話をした。
 世界は、何一つ変わってなかった――、そう思うようになったのは最近の話だ。
 僕はあの部屋のベランダで世界の在り方を見据え、一度も須藤にそのことを話さなかった。


      ◆


 彼女を僕らのマンションに連れて行ったのは、確かあの日から247日目のことだったと思う。その日は素数のようで13の倍数だったから、たぶんその日で間違いない。
 よく晴れた、随分と寒い日だった。僕らはコートを着て、マフラーをぐるぐる巻いてベランダに出た。それでも須藤と彼女の頬は寒さで赤くなっていた。きっと僕の頬だって赤くなっていたんだろう。
 彼女は何回か『やっほー!』と叫んだ。彼女の声は隣のマンションに跳ね返り、うわんうわんと妙な響きを連れて返ってきた。須藤は震える手で煙草に火をつけ、美味そうに煙を吸い込んだ。僕は部屋から持ち出したホットコーヒーを一口啜った。
『誰かいませんかーっ!』
 やっほーに飽きた頃、彼女は突然、そんな言葉を叫びだした。
 僕と須藤は少しだけ驚いて顔を見合わせ、それから彼女の冗談に苦笑した。
『私たちは、ここですよー!』
 うわんうわんと、彼女の声は跳ね返る。
『だーれーかーっ!』
 うわん、うわん。
『いーまーせーんーかーっ!』
 うわん、うわん。
『だーれーかーっ!』
 跳ね返る音。
 奇妙な反響。
 それから、小さく上下する彼女の肩。
『誰かぁ…っ!』
 その日、僕らは初めて、彼女の流す涙を見た。
 あの日から247日目。彼女と僕らが出会ってから、151日目のことだった。
 僕はその間、一度だって泣かなかったし、須藤の涙は少なくとも5475日見ていなかった。僕も須藤も何も言えず、彼女は泣きやむまでこちらを振り返らなかった。
 刺すように冷たい風が吹くベランダ。僕らはそのあと一言も言葉を交わすことなく、その部屋のドアを開けた。閉まる時、ドアは彼女の手よりもずっと冷たい音を立てた。
 人々が消えたことは、僕らに何ももたらさなかった。
 彼女と出会ったこともまた、僕らに何ももたらさなかった。
 不連続性の不協和音は、それでも音楽を乱さなかった。
 けれど、僕はその音で、どこかに連続性を生む一日があったことを、知った。


      ◇


 僕の朝は、いつだって9時間遅れて始まった。


      ◆


 時計の音で目が覚めて、僕は闇の中で目を開ける。そこは一面黒の世界。瞬きをしてみたところで、世界は何一つ変わらなかった。瞼の裏の暗闇から、世界の端の暗闇へ。
 沈黙と暗闇の世界に閉じこもって、7日目。
 須藤からもらった煙草の箱は、若干軽くなっていた。僕は暗闇の世界で目覚めることと同じように、少しずつ煙草の味に慣れてきていた。キッチンから見た今日の天気は、晴れとも曇りともつかない曖昧なものだった。風呂場の鏡に映った僕は、少しだけやつれたようだった。
 鏡の前で、今日一本目の煙草に火をつける。
 僕のこの七日間は、特に変化のある日々ではなかった。目が覚めたら天気を確認し、顔を洗って髭を剃る。朝食はインスタントコーヒーといくつかの缶詰で、食後にすることは真っ暗なあの部屋に閉じこもること、そしてあの壁に触れることだけだった。時に僕は夢にまどろみ、時に小さく口笛を吹く。奏でられるメロディーは、耳栓をしていても僕の鼓膜を震わせた。それから、認めたくないけれど、僕の心の弱い部分も。
『あの部屋で、何日か過ごしてみようと思うんだ。出来るだけ、あいつと同じように、さ』
 それが、彼女を埋めた僕がようやく出した結論だった。僕が思考の海を泳いでいる間に、世界は何事もなかったかのように4日という時間を押し流していた。
『お前、……死にに行くつもりじゃ、ないよな』
 その問いかけに、僕は答えることが出来なかった。それは、僕がなんとなく、そうなってしまうかもしれない、という予感を抱いていたからかもしれない。それとも僕は、そうなってしまうのもいいかもしれない、とすら思っていたんだろうか。それくらい、僕はその時の僕を把握できていなかった。把握できなくて、その蒙昧とした僕の心は、決して言葉になることなくそのまま表情に表れた。
 曖昧に微笑んだ僕を、須藤はどう思ったんだろう。無意識に口ずさんだ曲が前に須藤の弾いたものだった時、僕は必ずその時の須藤のことを考えた。そして、7日経った今でも、僕はその時の須藤の心を想像できずにいる。15年一緒にいて、僕は須藤の心が分からなかった。
「これは、やっぱり淋しい選択だったのかな?」
 僕はぼやけた声でそう尋ねる。触れた指先から伝わるコンクリートの冷たさは、鼓膜に届く僕の声と違って刃物のように鋭利だった。シン、と突き刺さるその冷たさが、僕の疑問を徹底的に否定する。
 淋しい? ――違う。
 間違い? ――違う。
 在るということすら否定されそうになって、僕はいつも目を瞑ってしまう。僕はやっぱり生きたがりだ。彼女のように、爪の痛みを忘れることも出来やしない。
 足元に転がった彼女の爪。形の綺麗な、人差し指と中指の爪。それを拾い上げようとして、僕は何度目かの躊躇いの後でそうすることを諦めた。触れられること、それで得られる安息を、僕はこの部屋で求めてはいけないから。
 僕の部屋で死んだ彼女。
 何にも触れずに死んだ彼女。
 コンクリートで窓を埋め、全ての音を断った彼女。

 触れられなかったから、埋めたのかもしれない。

 須藤の心にも、彼女の心にも触れられなかった僕は。
 そんな風に、彼女を埋めたときの冷たさを思い出していた。


      ◆


 12日目に、彼女が来た。僕の時計で深夜の3時、枕元の時計で夕方の6時だった。
「こんばんは」
 彼女の第一声はそれだった。だからたぶん、彼女は僕の腕時計か枕元の目覚まし時計を基準にしていたんだろう。キッチンの時計はもう朝の6時51分を指している。それを基準にしているならば、挨拶は『おはよう』のはずだから。
「……こんばんは」
 そんなことを考えながら、僕は努めて冷静にそう返した。僕は声をかけられるまで瞼を閉じていたけれど、別に眠っていたわけではなかったし、それほど取り乱した様子は見せずに済んでいたと思う。もちろん、それを表情に出したところで、ここは本当の真っ暗闇だから、彼女がそれを察することは出来ないはずなのだけれど。
 僕は手探りで煙草とライターを探した。ひとつは、明かりを点けるため。もうひとつは、より一層の冷静さを得るためだった。
「煙草、吸うようになったんだ?」
 僕の気配を察してか、彼女は呟くようにそう言った。
「うん、須藤がここに来る前にくれたんだ。……似合わないかな?」
「んー、分からない。今まで想像したこともなかったから」
「じゃあ、いま想像してみてよ。それから火をつけるからさ」
 僕は煙草を指に挟んで彼女の想像を待った。そして同時に、僕は今朝見たはずの僕の顔を思い出した。それから、4日前に鏡の前で煙草を吸った時のこと。あの時は、正直、全然似合っていなかったけれど、あれから僕は6本の煙草を吸っている。これで、15本目。少しくらい様になっているだろう、なんていう妙な自信が僕にはあった。
「うーん、……やっぱりダメ。煙草っていうと、どうしても須藤クンの顔が浮かんじゃって……。きみも須藤クンくらい格好よく吸えるようになったの?」
「どうかな。少なくとも、僕は今のところ格好よく吸う努力はしてないから」
 僕がそう言うと、彼女はどうしてかくすくすと笑い始める。
「なに? 僕、何か変なこと言ったかな」
「あははっ、ううん、そうじゃないの。そうじゃなくてね、……ふふっ」
「なんだよ。それとも、僕のことを想像して笑ってるとか?」
「ううん、それも違うの。想像してるのは……、ふふふっ、きみじゃなくて、須藤クン」
 須藤の想像?
 僕が呆気に取られていると、彼女は楽しそうに、その笑いの正体を教えてくれた。
「あのね、ふふっ、……須藤クンも、格好よく煙草を吸う練習をしたのかなって思ったら……、あははっ」
 その想像に、僕も思わず噴き出した。鏡の前に立って、咥える煙草の角度を変えては真剣に唸る須藤。それは須藤をよく知る僕らにとって、随分とシュールな映像だった。
「ぷっ、くくっ、はははははっ」
「ふふっ、あはははははっ」
 二人ぶんの笑い声は、視覚が機能していない所為か随分と大きく響き渡った。僕はお腹が痛くなるまで笑い、彼女は泣いているかのように笑った。僕らの想像の中には須藤がいて、僕の目の前には不確かな形で彼女がいた。僕らは久しぶりに、でも間違いなく3人揃ってその部屋に居た。
 ――その不確かさを、確かなものにしたくて。
 ――触れられる安息は、得てはいけないものなのに。
 笑いが収まったことを確認して、僕はライターの火をつけた。煙草に火をつけるために、彼女の顔を網膜に焼き付けるために。
 ジッ、とライターの火打石が、唸る。
「……久しぶり、だね」
 そしてそこに、笑顔の彼女が、居た。
 モノクローム。


      ◆


 彼女の顔は、モノクロ印刷の彼女の写真で、隠されていた。


      ◇


『ねぇ! 二人とも、ちょっとこっち向いてよ!』
 そんな呼びかけに振り返ると、そこには大抵ファインダーを覗く彼女がいた。写真家になる時の彼女の手にはいつだってコニカのポラロイドカメラが握られていて、彼女は僕らが何らかのポーズを取らない限り、絶対にシャッターを押さなかった。
 仕方なく、須藤はかったるそうに煙草の先をレンズに向ける。
 僕には須藤みたいに小道具が無いから、シンメトリックに『ピース!』と笑う。
 ジー、と音を立てて出てくる写真には、いつだってそんな僕達が映っていた。違うのは背景だけで、それは恐竜の化石だったり、雲ひとつない完璧な青空だったり、地面に長く伸びたキリンの首だったりした。そういった、大して違いのない、その実まるで違ういくつもの写真は、彼女の手によって僕らの家に貼り付けられる。僕らは水や食料の調達のついでに、よく文房具屋に行っては画鋲を取ってきた。
『そんなペースで貼ってったら、この家の壁なんてすぐ埋まっちまうぞ?』
 貼られた写真が100枚を超えた頃、須藤は皮肉っぽい笑いを浮かべてそう言った。
『貼る場所がなくなったらどうすんだ? 前に撮ったのと入れ替えんのか?』
『まさか。そんな勿体無いことしないよ』
『じゃあ、どうするの?』
 疑問の目を向ける僕らに、彼女は至極真面目な表情で言った。
『決まってるじゃない。その時は、新しい家を探すのよ』
 その言葉に僕は呆れ、須藤は心底可笑しそうに笑った。彼女はそのどちらの心境も理解できないみたいで、ひとり頬を膨らませていた。そういう風景こそ写真に収めたい、僕はそう思ったけれど、当の彼女にはまったくその気がないみたいだった。わざわざ僕らにポーズをとらせたりするあたり、彼女は「ありのまま」というのが嫌いらしい。もしかしたら、人の髪を切るという職業に就いたのも、そのへんに因っているのかもしれない。
『風景写真?』
 一度だけ、それを遠まわしに訊いてみた事がある。
『うん。この間、ヒマだったから写真を全部見てみたんだ。だけど、一枚も風景写真がなかったからさ、嫌いなのかな、って』
『全部って……、全部っ!?』
『うん。全部で141枚』
 僕がそう答えると、彼女はひどく嬉しそうに笑った。それから僕の首筋にキスをして、僕の鎖骨にキスをした。
『それって何の倍数?』
『なんだか須藤みたいなことを訊くね』
『えへへ、真似してみたの。それで、答えは?』
『3と47』
 彼女が僕の胸にキスをすると、彼女の長い髪が僕のわき腹をくすぐった。僕は思わず身をよじり、彼女は僕のお腹にキスをする。
『それで、そっちの答えは?』
 このまま誤魔化されてしまいそうで、僕はなんとかそう言葉にした。だけど彼女はそれに答えず、僕にキスの愛撫を続けた。僕らはそのまま抱き合って眠った。目が覚めたとき、彼女はベッドの中にいなかった。
『だって、こんな世界でしょう?』
 気だるく上半身を起こした僕とは対照的に、彼女はぴんと背筋を伸ばして窓の前に立っていた。窓の外には、あのベランダ。朝の光を全身で受け止めながら、彼女は下着もつけずに街を見下ろしていた。
『こんな世界だから、……だから、景色を撮らないのよ。……撮る意味が、ないの』
 僕の疑問は解決されなかったけれど。
 僕の頭はまだ上手く回らなかったけれど。

 その時初めて、僕は彼女を写真に収めたいと、強く思った。


      ◆


 カメラを探すことは、それほど難しいことじゃなかった。大きな電気屋にはどうしてかカメラ売り場がついていたし(そこには自転車やゴルフ用品まで置いてあった)、前に商店街に行ったとき、彼女が随分とはしゃいでいたカメラ専門店を憶えていたからだ。僕はその二つに加えて三つのカメラ屋を回り、そこにあるすべてのカメラを手にとってカメラ選びをした。ショーケースに入っているものは、ガラスを割ってでも手に取って感触を確かめた。
『カメラ選びのコツ?』
 鸚鵡返しにそう言葉にした彼女は、なんだか珍獣でも見るような目で僕を見た。須藤は僕の発言が心底意外だったようで、ひとり自分の煙草に咽ていた。あまつさえ、咳が止まると同時に思いっきり声をあげて笑い始める。まったく失礼な連中だと思う。
 だけど、ひとしきり僕をからかった後は真剣に答えを返してくれるから、二人とも憎めない存在だ。憎むことが出来ないから、僕の世界は平和でありつづけるのだけど。
『でも、カメラってどれもクセがあるから、撮ってみないと分からないよ? Lomoで撮った青が好きだって人もいれば、嫌いっていう人もいるだろうし』
『……ろも?』
『あー、そこからかぁ……。どうしよう、須藤クン?』
 僕の無知さに、彼女は困った顔で須藤に振る。須藤は面倒くさそうに本から顔を上げ、吸いかけの煙草を灰皿に押し付けた。
『焼き上がりのことなんかコイツに分かるわけないだろ。ギターの右も左も分からないヤツに、Gibsonのレスポールの良さが分からないのと一緒だよ。これから始めようってヤツには色も音も関係ねえの。「音色」さえ出れば何でも良いんだよ』
『じゃあ、僕がギターを始めたいって言ったら、須藤は何で選ばせるつもり?』
 僕がそう訊くと、須藤は新しい煙草に火をつけた。それからゆっくり煙を吸って、ハッと嗤いながら煙を吐く。
『そんなの決まってるだろ。手に持った時の感触以外に、決め手なんて存在しねえよ』
 そして僕は、六つ目のカメラ屋で236個目のカメラを手にしている。未だにギブソンのレスポールの良さが分からない僕は、感触以外に頼るものを持たないのだ。
 ずしり、と重いキャノンの一眼レフ。ファインダーを覗くと、そこには更に重い僕らの世界が待っていた。鋭く切り取られた長方形。ピントの合わない世界でさえ、その端は冷酷に切断されてしまうから。
 思わず、手を離す。
 重力は僕からカメラを奪い、致命的にそれを砕く。
『……またかよ』
 僕の背後で、須藤が溜息混じりに呟いた。
『今までずっとそうしてきたのか?』
『……うん』
『ったく。お前、今からカメラ始めて正解だよ』
 苦笑しながら僕の隣に立つと、須藤は僕が落とした残骸を壁際まで蹴り飛ばした。ガチャリといびつな音を立てて、瓦礫の山はほんの少しだけ成長する。それはまるで、僕らの生活そのものだった。触れて、壊して、どこか遠くに蹴り飛ばす。
『ギターでやったら殴ってるとこだけどな』
 須藤はそう言って笑い、僕はそれに笑いながら237個目のカメラを落とした。耳障りな、無機的な音。世界が崩れ落ちる音。
『方法なら、もう一個だけあるぜ?』
 再び大きな溜息をついて、須藤は諦めたようにそう言った。
『方法?』
『消去法だよ』
 消去法。それはたぶん、僕らが生き残ってしまったように。


      ◆


 結局、僕はキャノンのデジタルカメラを相棒に決めた。それについては特に決め手があったわけじゃない。単に、僕が須藤のアドバイスどおり消去法を用いただけの話だ。少しだけ今の世界について考えれば、選択肢を少なくすることは酷く簡単だった。
『で、お前はどうやって現像をするつもりだよ?』
 それが、決め手といえば決め手だっただろう。
『あ……。そうか、そうだね。どうしよう?』
 僕の間の抜けた回答は、須藤を脱力させるには十分だったらしい。僕は疲れた顔をした須藤に半ば強制的にデジカメ売り場に連れて行かれ、『見た目』というただ一点だけでカメラ選びをさせられた。僕にカメラを触らせなかったのは、偏に須藤がデジカメの全滅を恐れた所為だ。
 幸い、僕らの住む大きな家には、それなりに高性能で無駄にソフトがインストールされているデルのパソコンと、なかなかに高性能なくせにあまり使われた形跡のないエプソンのプリンターが置いてあった。そしてデジカメ売り場には、大量のメモリースティックと写真印刷用紙、プリンター用インクが置いてあった。少なくとも僕がこのカメラに飽きるまでは、データの保存から印刷までの行程で大きな問題は起きそうになかった。起きるとすれば、それは僕が何かの拍子にカメラから手を離してしまうことくらいだろう。それさえ起こらなければ、僕は何百枚でも写真を撮ることが出来そうだった。
 家に帰り着く頃には、外はもう暗くなっていた。何万本もの街灯は、何も得ることなくただ立ち竦んでいる。月の出ていない暗い夜だった。星が五月蝿いほどに綺麗で、足元は絶望的に見えなかった。
 隣で、合成されたシャッター音がした。振り向くと、須藤がフラッシュも焚かずに街の写真を撮っていた。いつの間にか、須藤も自分のデジカメを選んでいたらしい。そしてその最初の一枚は、おそらく何も映っていない夜の街だった。
 ――それが、僕らと彼女の違いだ。
 本当にそれを悟ったのは、たぶんその瞬間だったと思う。頭のどこかで感じていた僕らと彼女の相違点。僕らはあの日、同じように生き残ったけれど、だからといって僕らと彼女は同じではなかった。僕と須藤が違うイキモノであるように、彼女もまた僕らとは別のイキモノだった。
 それはほんの小さな差異だ。写真を撮ることを手段とするか目的とするか。改めて考えてみたところで分からないような、その程度の小さな段差。でもそこに段差が在るなら、いつか躓くことだって有り得るのだ。たぶんあの日も、そうしてやって来た一日なのだ。
 僕は手に入れたばかりのカメラを抱いた。
 電池も入れられていない僕のカメラは、まるで微動だにしなかったけれど。


      ◆


 最初の写真は、やはり彼女の写真だった。


      ◇


「須藤に、印刷してもらったの?」
「うん。私、パソコンとか全然ダメだから」
「須藤は元気?」
「元気、なのかな? 少なくとも、私にはいつもどおりに見えたけど」
「いきなり君が訪ねてきて、須藤は驚かなかった?」
「んー、どうだろう。君と同じくらいには驚いていたんじゃないかな。顔が見えなかったからよく分からないけど」
「須藤の部屋も真っ暗だったの?」
「そう。でも、この部屋ほどじゃないよ。この部屋は、暗すぎるよ」
「須藤は僕について何か言ってた?」
「ううん、特には。ただ、君のところに行くつもりなのか、とは訊かれたけど」
「それで、なんて答えたの?」
「当然でしょ、って。だって、須藤クンにだけ会うのって、なんか不自然でしょ? 不自然……うーん、ちょっと違うかな。なんだろう。こう、気持ち悪いっていうか、さ」
「うん、分かる気がする。ずっと3人だったもんね」
「うん、ずっと3人だったね」
「今は、決定的にばらばらだけどね」
「決定的……。うん、そうだね。決定的だね」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………私を、恨んでる?」
「どうして?」
「だって、……だって」
「君が、最初に僕らの輪から外れたから?」
「………」
「それは違うよ。君は勘違いしてる。僕らは元々『輪』でなんかなかったんだ。こうなるのは、遅かれ早かれ決まっていたことだったんだ」
「そうかもしれないけど……」
「僕らの日々は輪じゃなくて螺旋だったんだ。何処かで一歩を踏み出さなくちゃいけなかったんだ。それが最初の一歩なのか最後の一歩なのか僕は知らない。多分、須藤だって知らないし、君がどれだけ考えたって分からないことだったんだ。あの世界の人たちが、――そう、あの60億人の人たちの中にだって、一人もその一歩の意味を理解できる人なんていないよ。あの日の一歩の意味を理解できる人も、君が踏み出した一歩の意味を理解できる人も、僕がこれから踏み出すべき一歩の意味を知っている人も、どこにも居ないんだ」
「そうなのかも、しれないけど……」
「かもしれない、じゃなくて、そう、なんだ。僕らは僕らの一歩の意味なんて理解できないんだ。この部屋にいて分かったよ。僕がどれだけこの部屋に閉じこもろうとも、僕は君の一歩を理解できないし、それどころか、僕は自分がこの部屋に踏み込んだ最初の一歩の本当の意味だって理解することができないんだ。それは、どこかで決まってしまっていたことだからだよ。決まってしまっていることに、僕らは意味を押し付けることはできる。だけど、事象に最初から包括されている意味は、僕らがどれだけ努力したところで汲み上げることはできないんだ。僕らは『それそのもの』を受け止めることしかできないんだ」
「そうなのかもしれないけど、でもっ」
「でも、何? その先にある言葉は僕にだって予想がつく。だけど、それを言葉にする意味は何? それを『君』の口から聞いて、『僕』はどうすればいい? 少なくとも、僕は『それそのもの』を受け止めることしかできない。それ以上を望まれても、僕にはそれしかできない。たぶん須藤もそうだ」
「………」
「それが、僕らと君との違いだったよ」
「………」
「だから、僕は君が羨ましかった。だから、――僕は君の写真を撮ったんだ」


      ◆


 その沈黙を、僕は知っていた。
 それはあの日の僕らを包んだ、避けがたい不幸な事故のような重苦しい沈黙だった。
 静寂との境界線なんてとうに忘れ去られている。
 あのコンクリートの冷たさに似た、絶対的な壁を思わせる沈黙だった。
「…………」
 ブレーキが、今さらその機能を思い出していた。
 本当は言葉を止めることだって出来たのに、僕にはそれを止めることが出来なかった。
 恨んでいる?
 もしかしたらそうだったのかもしれない。本当に僕が彼女に対して冷静だったら、僕は僕のブレーキをなんの躊躇いもなしに思い切り踏みつけていた。でもそれが出来なかったということは、僕が何かしら彼女に対して強い感情を持っていたということだ。その正体はこの沈黙と思考と躊躇の中ですら見分けられないけれど、場合によってはそれを怨嗟と呼ぶことも出来たかもしれない。
 可能性。
 あくまでも、可能性だけれど。
「…………」
 コンクリートの壁は全てを否定する。僕の持ちうる可能性の全てを、その壁は否定したがっている。僕は見えないふりをする。そして、聞こえないふりをする。
「…………」
 螺旋。
 そう、僕らの日々は螺旋だった。
 彼女が現れるまで正常にループし続けていた僕らの輪は、彼女の介入によってついにその軌道を螺旋へと変えてしまった。それは宇宙のように、それはネジを回すドライバーのように、僕らは進むことを覚えてしまった。たぶんそれが始まりだったんだ。
 不連続性による変化なんて、と、僕はそれを信じなかった。
 津波に洗われた街のように、結局は元に戻るのだと。
 僕は色々なものを失って生きてきた。彼女だって須藤だって、消えた60億の人々だってみんなそうだ。何かを得て、何かを失うことが生きることだなんて、誰だって気づいていたことだった。プラスとマイナスの繰り返しが生きることだって知ってたんだ。
 だからこそ、僕は信じた。
 それでも生きるという連続性に変化はない、と。
 僕らはやがて死を迎える。それを僕は知っていたけれど、それは死であって生きることではない。僕らの生は、いつまでも終らない永遠だった。死への階段ではなく、生というひとつのループなのだ。不連続性。出現と消失。老いることも何も関係なかった。何かを得ることも何かを失うことも全部ひっくるめた『生』という環。それは真の永遠だった。それに比べれば、死なんていう現象は時として僕らをそのループから逸脱させるだけの存在だった。僕らのループは終らない。僕らに目的地は存在しない。そう信じた。そう信じていた。
 けれど。
 けれど、――現実として、僕らはその一歩を踏み出した。
「ねえ……」
 そして僕は、また一歩だけ足を踏み出す。
「この部屋は、君が見つけたの?」
 それはもしかしたら、過去への一歩かもしれないけれど。
「……違うよね?」
 なぜなら、僕はその答えを確信してしまっている。
「答えてよ」
 可能性。それを否定する壁を僕は無視する。可能性。否定する言葉を否定すれば、それは真実に姿を変える。可能性。それは真実を孕んでいて。可能性。僕は限りなく真実に近い場所に立っている。可能性。僕が一歩を踏み出せば。可能性。僕が次の言葉を放ってしまえば。可能性。全てはたぶん、もう元には戻らない。可能性。可能性。可能性。


      ◆


「この部屋をみつけたのは、……須藤だったんだろう?」


      ◇


 随分と長い冬だったように思う。僕は3月になってもまだ厚いコートを着ていて、そのコートの右ポケットにはいつもあのカメラを忍ばせていた。一緒にカメラを選んだ須藤は、自分用のカメラを選んだにもかかわらず、結局10枚程度しか写真を撮らずにカメラという趣味を諦めていた。須藤の撮った写真はすべて風景写真だった。僕のカメラは、まだシャッターを押されていなかった。
 彼女は、相変わらず僕らの写真を撮り続けていた。
 その数は、間もなく300にもなろうとしていた。計算してみると、彼女は一日に一枚とちょっとの写真を撮っていることになる。ついにリビングの壁を埋め尽くした写真に僕は苦笑し、須藤は『記念に』と自分の写真を一枚混ぜた。誰もいない渋谷のスクランブル交差点だった。
 彼女の写真がキッチンへと侵攻を始めたその日、僕は彼女と二人でドライブに行った。春の嵐と呼ぶにふさわしい最低な天候の日だったと記憶している。地球の温暖化防止のためなんかじゃなく、ガス欠という最悪の事態を回避する目的で、僕はトヨタのプリウスを選んだ。僕の運転するプリウスは、最大限にその電力とワイパーを活用して雨の中をひた走った。
『あ、そういえばさ…』
『うん?』
『カメラはどう? 何枚か撮ってみた?』
 その問いかけに答える前に、僕は何が『そういえば』なのだろうと考えた。僕はいま走っている地名を考え、僕らの家から何キロ走ったかを計算し、それから、かけていたCDのタイトルを思い出した。フリッパーズギターの名盤は、雨の中、大声で笑う歌を歌っていた。午前3時のオプ。カメラ・カメラ・カメラ。
『ううん、まだだよ』
『……そう』
 カメラについての話題は、それだけだった。僕らは普段どおりに意味のない会話をし(それは件の地球温暖化についてだとか、現時点での桜前線の正確な位置についてだとか、そんな話だ)、どこかにあるはずの雨の降っていない場所に向かって走り続けた。フロントガラスを叩く雨の音。それに織り交ぜられるスネアドラム。ある場所でふつり、と映画のフィルムが切り替わるように雨雲が切れる。
『……青』
 僕らはそこで車を降りた。
 誰もいない街だった。人ひとりいない、灰色をした寒々しい街だった。なのに、つい10分前まで雨が降っていただろう街は、見ているこっちが照れてしまうほど輝いて見えた。煌くダークグレイ。くすんだライトシルバー。
 そんな街だったからだろう。そんな、何色かも言葉に出来ない街だったからだろう。青。それは空の色。――――。名前のない灰色の街。僕はなんとなく彼女にレンズを向けた。液晶に彼女の横顔が映る。ほつれた髪が風に揺れた。僕はシャッターに指をかける。彼女は振り返らなかった。彼女は振り返らなかった。

 だから、――僕はシャッターを切った。

 それは彼女であって彼女ではなかった。彼女が驚いて振り返る。僕は用心深く作り物の笑顔を返した。それを見て彼女が笑う。僕はもう一度シャッターを切る。小さな液晶の中に彼女の笑顔が切り取られた。本当に、本当に呆気なく切り取られた。僕はそれを見て満足そうに微笑み返す。そう、満足しているように見えるように微笑み返す。それが重要だった。僕が何に満足したのか悟られてはいけなかった。彼女が彼女であって彼女ではないこと。僕がそれを捉えることが出来たということ。それに満足していることを悟られてしまってはいけなかった。僕が本当に撮りたかったものは、僕がずっと抱きしめていたいと願ったものは、僕以外の誰かに知られてしまってはその価値を失ってしまいかねなかった。それは『それそのもの』のままでいなきゃ、僕以外の誰かに意味を押し付けられてしまってはダメだった。この雨上がりの街のような輝きは、神秘性とも言い換えられるものだったに違いない。秘匿すること。隠されてこそ発揮される価値、というものは存在する。それは僕と須藤が生き残ったあの部屋のように、それは僕が未だ知ることのない彼女が生き残った場所のように、あるいはあの消失の日に起こった何かしらの信じがたい出来事のように絶対的な価値を孕んだものなのだ。ユダヤの民が神の名を発音しないのと同じだ。隠し通さなければならないのだ。だから僕はそれを悟られてしまってはいけない。僕は僕の表皮に全神経を集中して僕を偽らなければならない。
『うまく撮れた?』
『どうかな。分からないよ』
 そう、分からない。それが撮れたことは間違いないけれど、上手く撮れた自信はない。そこに映った『それそのもの』を、僕は上手く撮れたと言い切ることができるだろうか。分からない。それは果たして、僕が名づけていいようなものだっただろうか。分からない。それはそもそも、目に見えるようなものだっただろうか。分からない。
『あとで須藤クンと品評会だね』
 そう笑う彼女に、僕は曖昧に微笑み返す。
 それが精一杯だった。それがその時の僕に出来た精一杯だった。


      ◆


『なかなかいいね』
 ディスプレイに映った彼女の写真を見て、須藤はまるで白い象のようにそう言った。
『これが、最初の一枚?』
 僕はただ頷いてみせる。そこで何か言葉を放ってしまえば、それは簡単に見抜かれてしまいそうだった。あるいは、余計な言葉を連れてきてしまう、そんな予感を感じていたのかもしれない。どちらにしろ、咄嗟に働いた僕の防衛本能からの行動だった。
『あんまりじろじろ見ないでよね。恥ずかしいから』
 背後のテーブルから、本当に照れた彼女の声が聞こえてくる。パソコンの画面に1600×1200のサイズで自分の笑顔が映し出されているのだ。見ているのが僕らとはいえ、被写体本人の彼女にとっては、それはそれは照れるシチュエーションだっただろう。
『これは何処で撮ったんだ?』
『知らないよ。適当に走って、適当に撮ってきたんだ』
『そのわりには良い街だったよね。ぶらり途中下車の旅って感じ?』
『ははっ、テレ東よりは良いセンスしてるよお前ら』
 苦笑いを浮かべながら、須藤がファイルビューワーを閉じる。それに内心ホッとしながら、僕は静かに立ち上がった。それから、注意深く右ポケットに手を入れて、そこにそれがあることを確認する。一本のメモリースティック。それに封じ込められた一枚の写真こそが、僕が撮った本当の最初の一枚だった。
『やっと、一歩前進だな』
 僕に背中を向けたまま、須藤がそんな風に言って笑う。
『何が?』
『何がって、おまえの写真っていう趣味の、だろ』
『あ、そうか。……うん、そうだね。一歩だけ、だけどね』
 動揺が声に出ないように気をつけながら、僕はもう一度メモリースティックに触れる。その薄っぺらで華奢な感触は、幸い僕を十分に注意深くさせてくれた。いつも通りの声だ。須藤の声も、彼女の声も、僕の声もいつも通り。その先にある日々だって、今までと何ら変わらない、平坦で単調で平和なものであるはずだ。僕はそう信じた。少なくともその瞬間だけは、僕はそのことを信じられた。
 翌日、目を覚ましてみると、家の中には須藤も彼女も居なかった。
 いつものことだ。
 そう信じようとした僕の前に帰ってきたのは、須藤ひとりだけだった。


      ◆


 それから一度も、彼女は僕らの家に戻らなかった。僕はそれを異常に思ったし、不自然にも感じたけれど、それでも特に彼女を心配したりしなかった。一度だけ、須藤に彼女の居場所について尋ねたことがあっただけだ。
『なんで俺に訊くんだよ? 知らないよ。何か思うところがあったんじゃねえの? 手紙も来てるんだし、大丈夫だろ。そのうち戻ってくるさ』
 それが須藤の回答。
 僕は別段その言葉に疑問を持たなかったし、むしろ僕も須藤の言う通りだと考えていた。僕が彼女を心配しなかったのは、僕が誰かを心配するということをあまりしないことに加えて、須藤の言う『手紙』というものの存在も大きかったと思う。
 そう、彼女は僕らに姿を見せない代わりに、手紙をよこしてきていた。それは僕らが寝ている隙だったり、僕らが気まぐれにドライブに行っている最中だったり、とにかく僕らと鉢合わせない時間を狙って郵便受けの中に入れられていた。世界中の人々が消えてしまって、もう二度と使うことはないと思っていたけれど、随分とまっとうな理由で僕らの家の郵便受けは再びその役目を果たしていた。世の中、分からないものだ。
 その手紙の内容は、概ねこんな感じだ。


 二人とも、元気ですか?
 私は、とりあえず元気にやっています。
 突然いなくなって、ごめんなさい。
 少しだけ一人になりたくて、君たちのところを出ることにしました。
 今は、静かなところで静かに生活しています。
 もう少しだけ、こっちにいるつもりです。

 P.S. 返事は書かなくていいからね


 返事は要らないと書いてあったし、僕は一度も彼女に手紙を書かなかった。もとより、返事を書こうにも、僕には相手の住所が分からないのだ。宛名のない手紙。それは随分詩的で魅力的でもあったけれど、その先にあるものは『いつか』でも『きっと』でも『もしかしたら』でもないって分かっていたから、やっぱり僕は一度も筆を取らなかった。暗闇に言葉を放つことほど怖いものはない。


 お久しぶり。一週間ぶりだね。
 窓の外に、狭いけど空が見えます。なんだか忙しない春の空が。
 そろそろ桜が咲くのかな。それとも、もう咲いているのかな。
 分からないけど、暖かくなった所為か、
 最近は朝が静かなだけじゃなくて、なんだか優しい感じです。
 よく、二人と一緒にいる夢を見ます。
 優しい夢です。


 でも、彼女はそれに近いことをちゃんと続けていた。
 僕らと出会わずに、しかも返信を期待せずに手紙を出し続けること。それは僕の恐怖に限りなく近いものなんじゃないだろうか。僕にはきっと続けられない。いくら須藤や彼女の夢を見られても、それはその恐怖に対して何の力も与えてくれない。手紙を出す目的は、誰かと繋がることだろう。言い換えれば、それは誰かと手を繋ぐための手段なのだ。彼女はその手を振り払いながら手紙を書き続ける。それはどんな強さだろう。


 もうすぐ夜が来ます。
 夜が来る前に、こうして手紙を書いています。
 何の匂いもしない夕暮れです。昔は、いろんな匂いがしたのにね。
 今は何の匂いも、何の音もしません。誰の足音も聞こえません。
 冷たい夕暮れです。
 もう春なのにね。


 弱い僕は、何度も何度も彼女の短い手紙を読み直した。
 淋しかったわけじゃない。恋しかったわけでもない。僕はただ、その短い文章のその向こう側で、彼女がどんな顔をしているのかを思い描いていただけだった。彼女はどんな顔でこの手紙を書いているんだろう、どんな強さを以ってこの手紙を書いているんだろう、それを確かめてみたかったのだ。僕にはきっと分からないから。
 文字が滲んでいなければ、僕は彼女の悲しみにすら気づけない。


 もう、何通目の手紙なのか、分からなくなりました。
 数えてみても、数字さえぼんやりしてしまいます。
 何の倍数かを答えるなんて、もっと無理。
 いくつ目の夜なのかも、もう分かりません。

 それとも、私の夜は、ずっと続いているのかなぁ。

 あの日から、いろんなことがあったね。
 いろんな場所に行って、いろんな歌を歌いました。
 料理も少しだけ覚えたし、君たちでいろんな髪型を試しました。
 そのひとつひとつを憶えていられたら、
 この手紙が何通目なのかも憶えていられたのかなぁ。
 ここは静かです。
 静かで、暗いです。
 全ての痛みを忘れてしまえるほど、何もありません。
 夢を見て、夢から覚めて、一日が終わっていきます。
 さよならを言う相手も、君たちしかいません。

 みんな、みんな夢だったらよかったのにね。

 どうして、いなくなっちゃったんだろう。
 どうして、私を連れて行ってくれなかったんだろう。
 それとも私は夢を見ているだけで、
 ある日突然、あの日の朝をみんなと迎えているんじゃないかって、
 そんなことばかり考えてる。
 君たちがいない世界をずっと考えてる。
 君たちと出会わなければ、私は私だけでいられたのかな。
 私だけで、みんなのことを考えていられたのかな。
 分からない。分からないです。
 あの日が来なければよかったの?
 あの日に、私が消えられればよかったの?
 それともあの日に、君たちが消えていればよかったの?
 分からない。分からないよ。
 夢を見ます。あの日の夢。あの日の前の日や、子供の頃の夢。
 暖かい、暖かい夢です。醒めるのが怖くなるくらいに。
 どうして夢なんだろう。
 どうしてここはこんなに冷たいんだろう。
 どうして。

 君たちの強さが、少し羨ましいです。
 世界と向き合える君たちの強さが。


 私が居なければ良かったんだよね。


 最後の手紙には、住所が書いてあった。
 いくら鈍感な僕にでも、それが返事を期待して書かれたものじゃないって分かった。
 僕は車を飛ばした。車種を選んでいる余裕なんてなかった。
 鍵のかかった鉄のドアを蹴り開ける。


      ◆


 そこで初めて、僕はその部屋と出逢った。


      ◇


 彼女は僕の質問に答えなかった。
 いや、答えないことで、彼女は僕の質問に答えていた。
 僕は燃え尽きた煙草を諦め、新しい煙草に火をつける。これで16本目。2でも4でも8でも割れるし、おまけに4の二乗で256の平方根の片割れだ。他には何にもなれないけれど、Fにならなれる。16本目。
「あの日にね、」
 煙を二口吸ったところで、漸く彼女は言葉を放った。僕はそれに注意深く耳を傾ける。
「君の写真を見た日の夜に、須藤クンに誘われたの。俺も見せたいものがあるんだって、そう言われて。君を起こさないようにちょっと歩いてから車を拾って……、ほら、君の好きな車って、エンジンの音が大きいでしょ? だから、そうしたの。拾ったのはマーチだったかな」
 彼女は懐かしそうに目を細める。いや、そうしたような気がしただけだ。
「運転は須藤クンがしたの。半年ぶりだって言って笑ってたなあ。すごい慎重に発進して、窓をちょっとだけ開けて……。CDはジョン・コルトレーンだった。宇宙から地球を見たら、ジョン・コルトレーンをかけながら走る車のヘッドライトしか見えないんだなぁって考えてた。そんな風に、マリアナ海溝の深海魚みたいに、ゆっくりゆっくり夜の街を走ったの。そんな風に、私はあの部屋に連れて行かれたの」
 僕は夜の海を想像した。それから、マリアナ海溝を走る日産のマーチを想像した。僕と彼女達は絶望的に遠い場所にいて、僕の目の前には、僕の撮った写真で顔を隠した彼女がいた。全てが何かに隔てられている。
 僕は小さく首を振って、そのイメージを頭の中から追い出した。
「鍵は開いていたの?」
「ううん、閉まってたよ。でも、鍵は須藤クンが持ってたから」
「じゃあ、須藤は、本当にこの部屋を見せるためだけに君を連れ出したんだね?」
「そう…なるのかな。うん、……そうなんだよね」
「そうだね。たぶん、そうなんだと思う。どうしてそうしたのかは僕にも分からないけれど、『どうしたかったのか』はこの部屋を見ればなんとなく分かるから。須藤は本当に、君にこの部屋を見せたいだけだったんだと思う。その先で君が何を選択するかまでは、須藤は考えてなかったんだと思う。とにかく須藤は、君に見せるためだけにこの部屋を用意したわけだ。カーペットから初回版のCDまで、全部完璧にコピーしてさ」
 僕はそっと溜息をついた。煙混じりの溜息は、仄かに闇を濁らせてから僕らの間隙に落下していく。
 いくつかの疑問と、いくつかの諦め。壁際に蹴り飛ばされては確実に増殖していく、正体の分からない何かの塊。目の前の彼女。埋められた窓。音もなく進むデジタル時計と、正確さという無意味さの闇。
 何もかも、溜息と一緒に落下させてしまいたかった。
 何もかもを、この暗闇の中に放り込んでしまいたかった。
 僕は彼女をこの部屋に連れてきた須藤を理解できないし、これからもきっとそうだろう。僕はこの部屋を見た彼女を理解できないし、これからもきっとそうだろう。僕は二人を理解できない僕を自然と無視してしまう。そのことについてだって、これからもきっとそうだろう。僕はぐるぐると回るだけだ。進んで、進んで、戻るだけだ。
 それでも、僕にだって出来ることはある。
「どうして、須藤はこんな部屋を作ったのかな」
 僕は、ひどく意識的に、だけど自然に聞こえるようにそう呟いた。
 彼女の答えが聞きたかった。それがこの部屋の真実だから。
「君も、……そう思うの?」
 彼女の震える声が、聞こえる。
「君も、須藤クンが作ったんだって、そう思うの?」
 泣いているようにも聞こえる、弱々しい声。
「そんな……、だって、君だって言ったじゃない……ッ! もうひとつの世界があるんじゃないのかって、もうひとりの僕がいるんじゃないのかって……ッ! どうして? どうしてなの? この部屋に入ったからそう思うようになっちゃったの? だってあの時は、あの時は……そう言ってくれたのに……ッ!」
 泣いている。彼女は、もう泣いている。
 彼女の写真の向こう側。薄っぺらな、虚構と演技の壁を隔てて。
「どうしてっ」
 僕は生きたがりだ。彼女のように死を選ぶ勇気なんて持っていない。
 僕はうそつきだ。彼女に届く言葉は、いつだって彼女を泣かせる言葉で。
 僕は残酷だ。何もかもを知っていても、僕の手はその写真を剥ぎ取ろうと動き出して。
 僕は卑怯だ。最後の最後で、僕は二人を裏切ったのだから。
「理由なんて、僕にだって分からないよ」
 そして、写真を剥ぎ取った僕は。


      ◆


 15年ぶりに、須藤の泣き顔を、見た。


      ◆


 つまり、僕らの一歩は、絶対的なものではなく相対的な一歩だった。
 僕にだって彼女にだって、須藤にだって自覚はなかった。僕らは平坦で単調な日々の環の中に取り込まれ、その中で同じ場所をぐるぐると回っているとそう信じていただけだった。踏み出すべき一歩を知らない僕らには、互いの距離を縮める方法が分からない。ベクトルは何処にも生まれず、僕らは誰とも引き合わなかった。もとより3人の世界だ。
 でも、それは錯覚だった。
 確かに平坦な日々だった。単調で、平和な日々だった。だけどそれは、僕と須藤との二人きりの世界に比べれば、――いや、僕と須藤と、その他大勢の世界に比べれば、あまりに起伏の激しい危うい世界に他ならなかった。僕らがその一歩を踏み出してしまった理由を敢えて一つ挙げるならば、僕らがそう錯覚したこと、それになるだろう。
「アダムしかいない世界だ…って、そう思ったよ、最初は」
「でも、彼女がいた」
「うん、あいつがいた」
 僕らは錯覚したまま抱き合った。お互いの心なんて分からないまま、むしろ無関心に抱き合って眠った。そうして近づくものなんてない。そう信じていた所為もある。
 僕と須藤は、平行して走るベクトルだった。隣を歩いても手は触れ合わない、そんな距離だ。その僕と須藤とのその間に、同じように走り始めた平行線が彼女だった。僕らはそれでも無関心を装った。同じ位置から互いを見つめる、ただそれだけの存在だった。
 でも、手が触れ合わない程度の隙間に、彼女がいたのだ。
「惹かれた?」
「どうだろう。分からない。でも、そうなのかもしれない」
「俺、……ううん。……私は、そうだと思う。惹かれたんだよ」
 その表面的な結果が僕の写真であり、須藤の『部屋作り』だったんだろう。僕らは知らず知らずのうちに互いの距離を縮めていたのだ。距離が縮まるということは、何処かから何処かに向けて進みだしたということだ。一歩という言葉に囚われるならば、つまり僕らはその時初めて、何処かに向けて歩き始めてしまったのだ。
 ただ、その方向が正しかったのかどうか。
 もし違えていたならば、それは何だったのか。
 それは分からない。僕が彼女の写真を撮ったことだったかもしれないし、そもそも僕らが彼女を見つけてしまったことだったかもしれない。あるいは彼女を僕らの生き残ったあの部屋に連れて行ってしまった所為だったかもしれない。僕らの神秘が薄れたが故に、僕らの矢印は何処かから希釈され、滲み、触れ合ってしまったのかもしれない。
 それとも、僕が、あの一枚の写真を見せなかったから。
「この写真を見たときにさ、確信しちゃったんだ。惹かれてるってこと。それから、嫉妬しているってことにさ。……だから、彼女にこの部屋を見せたの」
「彼女は、なんて?」
「どうしてこんなものを見せたの、って。……震えてた。見てるこっちが怖くなるくらい青ざめてた。それから彼女、私から鍵を奪い取って、私をあの部屋から追い出したの」
 そう言って俯く須藤は、あの日を後悔しているようだった。それは僕の後悔に似ているのかもしれない。今となっては何も覆らない歯がゆさ。それは事実に対して、それは諦めようとしている自分に対して。
 そう、後悔している。
 後悔した上で、それを振り切ろうとしている。
 だから須藤は、彼女を装ってこの部屋に来た。
 15年もの封印を、解いてまで。
「そして、君はイブになった」
「でも、君はアダムをやめた」
「………」
 須藤の涙を最後に見たのは15年前だ。それは須藤が両性具有だと知った日でもある。その日以来、須藤は僕の前で一度も涙を見せなかった。決して僕と手を繋がなかった。
 でも、決してそれが事態を複雑にしたわけではない。僕らはただ決められていた『それそのもの』を受け止めてしまったに過ぎない。ただ彼女は受け止められず、僕らは受け止めることが出来てしまった。それだけの違いだろう。それが僕らと彼女の違いだった。
 ――君たちの強さが、少し羨ましいです。
 ――世界と向き合える君たちの強さが。
「……一体、何を撮ったの?」
 それに答えない僕に、須藤は小さく溜息をつく。
「君のCDのケースの中に、メモリースティックがあったよ」
「それで?」
「中は見てない。見られたくないから、そんな場所に隠したんでしょう? だからそのままにしてある。そのままにしてあるから、こうやって訊いてるの。あれが、私や彼女と向き合わない理由なんでしょ? 一体、君は何を撮ったの?」
 君たちの強さが羨ましいと、彼女は言った。
 それは半分正解で、半分はたぶん間違っている。
 須藤は強い。僕なんかより圧倒的に強いと思う。だけど僕は弱い。彼女よりも須藤よりも、消えてしまった60億の人々よりずっと弱い。
 彼女と僕らは違う。
 そして、僕と須藤もまた、違うイキモノだから。
「なんて言ったら須藤は納得する?」
「なんて言っても納得するよ。今までもずっとそうだった」
「もう今は、今までとは違うよ」
「それは私が変わったから? それとも君が変わったから?」
 その詰問じみた質問に、僕はなんと答えられただろう。
 それは、あの写真について語るより、ずっと辛い言葉のはずだ。
 僕の中にはその答えがある。あの窓にさえ否定できない、確固とした言葉がある。
 それを放つことで、僕はどこに進むというのか。
 もう止められない螺旋の日々。
 何処かに向かい続ける有限の日々。
 限りあるからこそ永遠を求めるのか。
 あるいは停滞。あるいは瞬間。あるいは無限。あるいは蒙昧。
 僕らは意味を汲み上げられない。組み上げた意味をそっと事象に乗せるだけだ。崩れないように壊れないように、慎重に作り上げる砂の楼閣。暗闇の中でさえ、僕らは何かに意味を与え、何かに心動かされる。何をも求めないことを求め、何をも拒むことを求める日々は、いつまでも『それそのもの』には届かない。明確さ。境界線。信念。信仰。僕らを定義し、僕らの立つ場所を定義すること。僕ら自身の正しさを信じ、僕ら自身を正しいと意味づけること。全てが組み替えられ、全てが挿げ替えられる。僕らが相対的に歩き出してしまったように、僕らが歩き出したと喩えてしまったことのように、僕らは僕らである限りその絶対領域には踏み込めないのだ。僕はその何をも否定し、何をも拒み続けるあの窓のような、そんな『それそのもの』を言葉に出来るだろうか。――できる。出来るだろう。いま彼女の問いに『答えない』ことで、僕はいつの日かその言葉を放つことが出来るだろう。ならば僕のすべきことは何か。何をもとに僕は言葉を選ぶべきか。あるいは、選ぶということ自体を放棄し、僕らが僕らであることを諦める。つまり僕のすべきことは何なのか。
「……そう」
 須藤は、そう言っただけだった。
 僕はただ、曖昧に笑う。


      ◆


 その窓が塗り固められた理由を、僕は知らない。
 不器用に均されたコンクリートと、いくつもの爪痕。
 それにそっと触れるたび、僕の中には抑えがたい衝動が渦巻いた。
 きっとそれが、彼女が抱いた衝動だと、信じながら。

 そう、それこそが、『それそのもの』だ。

 僕は信じる。僕だけが、そう信じる。
 彼女の爪はまだ転がっている。須藤のくれたライターも転がっている。
 それもまた『それそのもの』だ。僕が欲し、僕がついに得たものだ。
 彼女はこの部屋で首を吊り、須藤もまたこの部屋で首を吊った。
 僕はあの大きな家で、一人きりでまだ生きている。
 僕は生きたがりだ。僕はうそつきだ。僕は残酷で、僕は卑怯だ。
 それもすべてそれそのもの。僕だけが意味を与え、僕を定義し、僕を形作る。
 それ以上の幸福があるだろうか。


      ◆


 話は、これ以上ないくらい単純なのだ。
 僕だけが変わらなかった。

 それだけの話だ。



 >>了。




◆あとがき◆
 はいはい、やっと終わりましたよ。
 60kbとか書いてしまいましたよ。
 何も考えずに書いたので、何も得られない結末になりました。
 骨折り損のくたびれ儲けとは何を隠そうこのことです。

 今回は、3年ほど前に鯰氏から戴いた三題噺のテーマのひとつ
 『光の差さない窓』
 から話を発展させました。
 本当はちゃんと三題噺にしたかったのですけど、
 奴さん、『十字軍』とかワケの分からないテーマを出してたので、
 非情にも呆気なく他の二つは斬り捨てました。あはは。
 世の中、何が起こるか分からないものです。

 兎にも角にも、何も起こらない感じに書いてみました。
 それから音楽。ジャズっぽい感じのイメージで。
 パーフリ出してるからエレアコかしら。とにかくゆるい感じに仕上げました。

 言い訳をひとつ。
 予定調和的な須藤クンの設定ですが、
 これは彼女と出会うところを書いているあたりで決まっていました。
 どこで話そうかと思っていたら、最後の最後になってしまったというだけの話。
 これだから何も考えずに書くとこまるよねー。
 あはは、まいったまいった。

 やっぱり言い訳をもうひとつ。
 この話も、やっぱりいつもの逃避から生まれた文章です。
 だから、『この話が書きたかった』わけではなく、
 『こんな感じの話が書きたかった』というだけで書きました。
 絶望的に曖昧に笑う感じで受け止めていただけるとこれ幸い。

 感想の書きにくい作品だと思いますが、
 何かありましたら掲示板まで。