神の大愛を信じれば、救われる top page 
No.1530 1999/12/09 (木) 15:44 富士宮市
世界人類が平和でありますように

Q.
先生の”易行道”では、「一日一回、世界平和の祈りを祈ればよい」とのことです。これは、どういうことでしょうか? 一日一回で、”真の救われ(救い)”を体得するには、どうしたら良いのでしょうか?

A.
凡夫というのは、愚かで無知で、迷いの境界ある人の意味で、普通一般の人、ただの人、あたりまえの人とも解釈できます。修行らしいことを何一つできない愚かな人が、ただ念仏一筋で往生することを、凡夫往生といいます。そうした凡夫が救われる易しい方法として「一日一回、世界平和の祈りを祈ればよい」と私は教えております。一日一回ならば、ほとんどの人が実行できると思います。これは神の大きな赦しの教えであるのですから、あとは「世界平和の祈りを祈りつづけていれば私も人類も救われるのだ」と神の大愛と絶対力を信じるだけでよいのです。難行苦行を何一つしなくても、神を信じた人は、その瞬間、すでに救われた人であるのです。

Q.
五井先生は「たゆみなく祈りなさい」と説かれています。たしか法然上人は「百万回念仏を唱えなさい」と説かれ、親鸞上人は「一回でも念仏を唱えれば良い」と説かれていた、と記憶しています。五井先生の教え方と森島先生の教えの違いに、法然上人と親鸞上人の教え方の違いとの類似性を感じております。

A.
五井先生は、「たゆみなく祈りなさい」という教え方もされていますが、「思い出したら、祈ればいい」という教え方もされています。それにしてもご指摘のように、五井先生と私の教え方は、教えの根本は全く同じであるのですが、その教え方の関係は、法然上人と親鸞上人の関係に、非常によく似ております。親鸞上人の教え方が、法然上人の教え方よりも、更に民衆の立場に近づいて易行道になっているように、私の教え方も、同じ「消えてゆく姿で世界平和の祈り」の道を説いているのですが、五井先生の教えを総合的見地から整理し、その根本的な基本原理を抽出し、参考書のように理論化してまとめているために、五井先生の教えよりも更にわかりやすい表現になっているのです。教科書を読んだ後に、参考書を読むと一層理解が深まります。そして、また教科書を読み直してみると、今度は意味がわかりますから、よく記憶できます。それと同じように、五井先生のご本が教科書とすれば、私の教えは参考書であり、試験問題集でもあるのです。これは五井先生と私の天命の働き方が異なっているためです。